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キ リ ス ト 教 の お は な し ○ カトリック 英神父の説教集 ○

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2014-05-25 風は吹いている

英神父 ミサ説教                         聖イグナチオ教会於

ヨハネによる福音 14章15-21節 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」十 

 今日の福音書はヨハネの14章、復活節の後半はイエス様の特別説教の中から朗読され、聖霊降臨に向けての心構えを整えるように、わたしたちに呼びかけています。今日の福音書でも「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒いるようにしてくださる。」「この方は真理の霊だ」聖霊のことですが、「この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」とわたしたちに呼びかけています。
この聖霊の働きですね。やはり復活の恵みの大事なことは、わたしたち一人一人に聖霊が与えられているということです。ただ聖霊ということを物のように考えると、やはり分かりにくい。聖霊というのはいろんなたとえがありますが、そよ風のようなものです。いわゆる風、神様の息ということですから、風だと言ってもいいと思います。でも風というのは、手につかむことができないし、見ることもできない。でも風が吹いていると、明らかにそこに風が吹いているということが分かるわけで、特に今のように暑くなってきたら、そよ風が吹いてくると気持ちがいいわけです。風が吹いていないと、どんよりしたりしてしまう。でもわたしたちの心の中に神様のそよ風のような、そういうものを神様が吹かしてくださるというわけです。この聖霊の恵みをわたしたちはいただいているということ、それをわたしたちは心に刻みたいと思います。
風がなければ、淀んでしまうことも事実ではないかと思います。少し前の映画で宮崎駿の「風の谷のナウシカ」という映画がありましたけれども、人類が戦争を起こして腐敗物質がたまってしまって、空気が汚染して、風が吹いているところでしか暮らせない人々の話なんです。その風が、聖霊の風がなければ、確かにわたしたちはこの世でクリスチャンとして生きていくのは難しい、風が真理の霊だというわけです。
真理というのは日本語として固いので、わたしは真実と訳した方がいいと思いますが、真実の風が吹いているところに、神の霊が働いている。そしてわたしたちの真実の風の心と体を合わせて生きるということです。
たとえばマザー・テレサの生き方がわたしたちに語りかけるのか。あるいはアッシジのフランシスコや、今だったら教皇様の言葉や生き方が、なぜわたしたちの心に響くのか、真実があるからです。彼らは真実の生き方をしているから。貧しい人に奉仕したり、貧しくいたりする、真実の生き方があるところに、聖霊の働きがあるから、その生き方に触れるだけで、わたしたちは心がホッとしたり、慰められたり励まされたりするわけです。真実がないところに聖霊の風も吹かないわけですね。わたしたちの心を生き方を、真実の風の吹いている方向性に合わせていくことができるかどうかなんです。
ヨハネの4章のところには、サマリアの女として出てくるんですけれども、この人は聖霊の働きがない典型的な、5人の男性と結婚していたけれども、離別か死別して6人目の男性と同棲中という、彼女の生涯を考えると、どんなに複雑だったか分からないくらい、聖霊の働きはゼロだと思います。罪と欲望と複雑な人間関係の中に巻き込まれていた人だと思いますけれども、その時にイエス様は聖霊の別のたとえ話を使うわけです。
イエス様からいただくものは、生ける泉だというんです。自分の内からわき上がる泉のような、水のイメージも聖霊のイメージですから、その時彼は、はっきり言うわけです。霊と真実をもって「霊と真理をもって、父を礼拝する時が来る」まさしく聖霊と真実なんです。それを礼拝してそれを生きていく時に、あんなに混乱したサマリアの女も生き方が整えられて、自分の内から風が吹いてくる。泉から水が湧いてきて、いきいきとした生き方ができるように、変えられていく話なんです。わたしたちもその聖霊の恵みの中で、変えられていく恵みが与えられていくということです。
聖霊の風が吹いていなければ、混乱、貪欲、イライラ、自分勝手、我欲、孤独、争い、けんかがあったり、それは真実がないところ。パウロによれば、聖霊の反対の肉の業に捕らわれてしまう時に、わたしたちの生き方は混とんとしてしまう。けれどもイエス様の復活に合わせて、この聖霊の恵みに合わせるならば、わたしたちは真実と霊によって、神を礼拝して、その恵みの中で生きることができるわけです。みなさん一人一人がその恵みが与えられるように。そうして少々暑くても心の中に爽やかな風が吹いて、真実の生き方の中に、大いなる喜びと恵みの中で歩む。生きていく恵みがみなさん一人一人に与えられているということです。イエス様の約束ですから、空約束ではない。
みなさんが真実の生き方に、自分の生き方を合わせていく時に、聖霊の風がみなさんの心の中に吹いてくださるというわけです。この恵みをわたしたちは生きていきたいと思います。
この一週間、聖霊降臨は少し先ですけれども、明らかに復活の恵みの中に、わたしたちはこの真実、本当に大切なものを、大切にした生き方が与えられている。そのために聖霊の恵みが、わたしたち一人一人の心の中に吹いていると言えるし、湧き出てきていると思います。どんな宝にも代えられない本当の恵み。人生を支える真の恵みだと思います。
この恵みに従って、わたしたちがこの一週間、歩んでいけるように、共にお祈りしたいと思います十

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第一朗読 使徒言行録 8章5-8.14-17節

 そのころ、フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。町の人々は大変喜んだ。
 エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。

第二朗読 ペトロの手紙 第一 3章15-18節

 愛する皆さん、心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。十

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                    2014 年 5 月 25 日(日)
                      復活節第 6 主日 A年
                     カトリック麹町教会 主聖堂於
                        イエズス会 英 隆一朗 助任司祭ミサ説教記