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キ リ ス ト 教 の お は な し ○ カトリック 英神父の説教集 ○

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2015-02-22 荒野にて

英神父 ミサ説教                  四旬節第 1 主日  聖イグナチオ教会於 

マルコによる福音 1章12-15節 そのとき、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた十

 今日の福音書では、イエス様が荒野で40日間を過ごしたとあります。マタイとルカも、サタンの誘惑の内容をしるしていますが、マルコでは、サタンから誘惑を受けたことだけをしるしています。そのためマルコの福音書を読むときに、40日間イエス様が荒野でどのように過ごしたのか、荒野でのイエス様の姿を思い浮かべたり、何を祈ったのかを考えさせられるような気がします。
はっきりしているのはマルコに書いてある、サタンの誘惑を受けられたことと、天使たちが仕えたという神様の助けもありました。しかも野獣と一緒にいたというのはわかりませんが、荒野といってもさまざまな力が働いていたと、えがかれています。
イスラエルに行けば現実に荒野があるんですけれど、日本の国内では野原はありますが、荒野はあんまりないですね。ただこの何年間で本当に荒野だと思ったことは、震災の後です。東日本大震災のあとの大槌町や陸前高田が水の力で見渡す限り荒野になっていました。。
第1朗読でノアの洪水がありますけれども、洪水でも荒野ができます。街の上にあるものが全部はぎとられたら、荒野が日本の土地にもできてしまう。荒野に立っていると、わたしたちの生活も、荒野の上に建物とかを建てているわけです。何かの力ではぎとられて、わたしたちの生き方の根本は、荒野の上に住んでいるのではないか。荒野の上に住んでいることを自覚したほうがいいのではないかと思いました。
そして荒野になればなるほど、悪いものの力がはっきり現れてくるし、逆に天使たちや神様の働きも現れてくる。普通の町に住んでいると、いろいろなものがありますから、何がいいのか悪いのかよくわからないです。どういうところに誘惑を受けているのか、どういうところに神様の恵みがあるのか、あまりわからないですけれども、荒野のように何にもないところに行けば行くほど、神様の働きと、神様の働きではないのがはっきり現れてくるような気がします。それも震災のあとがそうでした。
被災地に訪問してさまざまな話をいっぱい聞きましたが、悪の力も働いています。暴動が起きずに日本人は紳士的だということになっていますが、非常時には人間の悪意は現れてくると思います。人間の悲惨な事が全て現れ、大いなる苦しみがでたことは確かですし、家族のバラバラさがはっきり見えた場面もありました。荒野というのは人間の闇の部分というか、サタンというのも明らかに現れてくるのも事実だと思います。
そういう時にこそ天使たちが仕えるということで、神様の働きも荒野になればなるほどはっきりわかります。逆に津波で家族の絆が強まった人たちもたくさんいます。津波の直後でみんながやったことの第一は家族を探しました。命がけで家族をなんとしても探そうとした人たちがたくさんいて、人間と人間のつながりがいかに大事であるかということも、多くの人が経験した事ではないかと思います。
一人の方は商店街で全部をなくしたんですけれども、息子さんが都会の大学を辞めてここで働く、震災の支援活動する、と言ったらお父さんが、こういう時にこそ大学で勉強をして、ちゃんと資格をとってから働いた方がいい、ということを、一晩徹夜で二人で話し合ったというんです。お父さんと息子さんが震災という経験をどう受けとめて、何をすればいいのかということを、そこで一生懸命二人で徹夜で話し合いました。結局息子さんは大学を辞めずに卒業してから、震災のためにできることは何なのかを、しっかりと考えてやりたいということになったと言っていました。
今日の福音書の最後、「悔い改めて、福音を信じなさい」という言葉が出てくるんですけれども、わたしたちの苦しみは、そういう時にこそどう悔い改めて、どう福音を信じていけばいいかということを、本当の意味で問われるし、明らかになると思います。
荒野が一つ現れるということは、人間の悲惨さとか苦しみとか、悪の力もはっきりと目にみえるかたちで現れてくる。それと共に神様の働きがどういうものかもはっきりみえてくるわけです。だからこそわたしたちもどう悔い改めて、どう福音を信じていけばいいのかは明らかです。
ボランティアに来た何人もの若者たちが、いい意味で悔い改めて、人生を振り返り、生きる目標を、自分の人生の目標をみつけました。それは彼らが福音を信じるということにつながると思います。自分の人生を問い直して、本当に何が大事かを見つめ直すことによって、自分の本当の道をみつけた若者たちといっぱい出会いました。
荒野を体験するということは、人生で重要なことだと思います。もちろんイエス様は霊に導かれていたから、行かざるを得なくて行ったんです。イエス様が福音宣教する前に荒野に行ったのが分かる気がします。わたしたちもやはり荒野に自分の身をおいて、問い直さなければならないです。本当にサタンの力がどこに働いているのか、本当に神の導きはどこなのか、それを問い直すチャンスではないかと思います。
日本人全体が悔い改めるときを与えられて、どう歩むべきか、問わなければならないですけれども、津波と原発の事故からもうすぐ4年になり、なんとなく全てを忘れてしまって、何事もなかったかのように東京の人は生きているように感じますけれども、本当は悔い改めなければならないわけです。悔い改めて福音を信じて生きていくというのはどういうことなのかを問い直す、大いなるわたしたちの時が与えられていたわけです。でもわたしたちは今も時が与えられている。時が満ちたと書いてあるわけですから。
わたしたち一人一人クリスチャンは、四旬節を迎えるわけですけれども、四旬節というのは荒野なんです。荒野に身をおいて、自分の生き方を振り返る一つの期間を、毎年毎年与えられているわけですから、わたしたちがささげるのは小さな犠牲だったり、お祈りでしょうけれども、荒野の中に自分の身をおいて、イエス様と共に自分の生き方をみつめ直す時です。何を悔い改めて、何をわたしたちは信じているのか、人によっては生活上の困難から荒野に行かざるを得ないですが、そういう時にこそ悔い改めと福音を信じる、大いなるチャンスが与えられる恵みの時だと思います。
この四旬節で、荒野で過ごされたイエス様にならって、わたしたちの生き方を振り返って、悔い改めて、本当に福音を信じていく生き方を新たにできるようにお祈りしたいと思います十

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第一朗読 創世記 9章8-15節

 神はノアと彼の息子たちに言われた。「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。」

第二朗読 ペトロの手紙 第一 3章18-22節

 愛する皆さん、キリストは、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです十

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                    2015 年 2 月 22 日(日)
                        四旬節第1主日 B年
                       カトリック麹町教会 主聖堂於
                        イエズス会 英 隆一朗 助任司祭ミサ説教記