カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2017-06-11 神はその独り子をお与えになった

英神父 ミサ説教 三位一体の主日  聖イグナチオ教会於

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ヨハネによる福音書 3章16-18節 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである十

 今日は三位一体をお祝いする主日にあたっています。三位一体というのは、父と子と聖霊、それぞれパーソナリティーが分かれていますけれども、本質的に神様と一つである、キリスト教の大事なものを教えるというか、それをお祝いしている主日にあたります。
なぜ三位一体なのか。一神教だったら神様はもっと簡単だったし、三つに分かれていて一つであるという、分かりにくい教えをわたしたちは一番大切なところとして、信じているわけです。
わたし自身は、はっきりとなぜこの教えがあるのか。わたしの解釈ですけれども、キリスト教で一番大事な教えは、互いに愛し合うというのが最も大事なことだと思います。だから神様も三位一体という形で互いを愛し合っている。それが神様の一番大切な神秘を、そのような形であらわしているということが、わたしにとっては三位一体のこの神秘の一番大事なことだと思っています。つまり神様も互いに愛し合っている存在だということです。
父と子と聖霊という三つのペルソナに分かれているわけですけれども、互いに愛し合うといったら、父と子とか、お父さんとお母さんとか、二人だけでいいのではないかと考えます。結婚した男と女の間には子供が生まれることが多い。三番目の命が生まれるということが、愛の本質をあらわしていると思います。それが一体であり、非常に大きな神秘だと思います。父と子と聖霊、それぞれが違っているけれども、一つである。そこにわたし自身は、最高の愛のかたちを見い出すように感じます。わたしたちの世界ではどちらかというと、特に現代は三位一体の三つのバラバラな方に強調点があるかもしれない。それぞれが、それぞれのバラバラであるということを、強調され過ぎているかもしれない。でもバラバラでありながら一つであるという、そこに一番の愛の本質がある。一つだけだったら、苦しすぎてやっていけないかもしれない、みんな同じで一つにしましょうというだけであったら、かえって窮屈で苦しいかもしれない。それぞれが違っているけれども、全く一つで同じであるといえる人間関係をもし持てるとしたら、それは最高の愛の姿だと思います。なかなか一つになるということは難しいわけですが。
とあるお話で、一人の真面目で、祈りの深い修道者が、若い頃に亡くなって天国のドアをたたくと、イエス様が「おまえは誰だ」とおっしゃる。その修道者が「あなたの忠実な僕が来ました」と言ったらイエス様が「おまえのことなど知らない。もう一度地上で修行をやり直しなさい。」と言われて、その人は息を吹き返した。それで色々と修行して、彼はまた亡くなって神様の所へ行ったんです。また天国の門をノックして「おまえは誰か」と聞かれ「あなたの親愛なる友が来ました」と言ったら、イエス様が「おまえのことなど知らない。もう一度修行し直しなさい。」と言われ、また息を吹き返して地上で祈りを深めて生きていた。また歳をとって亡くなって、天国の門をノックしたらイエス様が「おまえは誰だ」と聞いたらその修道者が「あなた自身が戻ってきました」と言ったんです。そうしたらイエス様が「ようこそ戻ってきた」と言って扉を開いて、彼は天国に迎え入れられた。たぶん人間が歩める最高の姿は、神様と一致する。自分というものが消えて、神様だけの存在になるくらい一致して、一体となる。永遠の命の最高の姿だと思います。
わたしたちは、なかなかそこまで神様と、あるいは人と一体になることは難しいかもしれない。でもわたしたちはそういうところに、向かっているということです。神様の三位一体の交わりに、わたしたちも加えていただける。そのような存在であるということは、思い起こすべきことだと思います。そしてわたしたちは神様との愛の交わりの親密さに呼ばれているということです。
それは一足飛びにはできないことだと思います。でも少なくともわたしたちは、神様と生きた交わりということを、少しずつ深めていけたらいいのではないかと思います。そのために今年はイグナチオ教会で、ミッション2030というものを始めて、毎月祈りのカードを作って、ミサの共同祈願の四番目に唱えていますけれども、一人一人が自分の家で、神様との交わりを深められるようにということで、カードを作ったんです。今月号にはお手もとに記してあると思いますけれど。
わたしたちはなかなか一体にはなれないけれども、では神様との交わりを深めていくにはどうすればいいのか。それはわたしたちが何か感謝したいことがあったら、神様にも「ありがとう」と、心から素直に言うこと。そしてわたしたちは神様と一体になれていないことが多いですから、罪とか弱さとか失敗が出てくる、というところに素直に神様に「ごめんなさい」と謝る。そうしてわたしたちには足らないところがいっぱいあるから、必要なことに対して、神様は「お願いします」ということ。神様に対して、ありがとうと、ごめんなさいと、お願いします、という三つの祈りをささげながら、わたしたちは少しずつ神様との関係を、生きた関係を深めていけるのではないかと思います。
この6月の祈りのカードでそれを強調していますから、わたしたちが少しでも、神様との交わりを深めていけるように、その三つの簡単な言葉ですけれども、それを心がけるようにされたら、いいのではないかと思います。
これは人間関係でも同じなんですね。8年前だったか、日経新聞の記者が、半分しゃれですけれども、夫婦関係が悪くなって、それを回復するために「新・関白宣言」というのを出したんです。それは何かというと、自分の妻に対して・「ありがとう」をためらわずに言おう。・「ごめんなさい」を恐れずに言おう。・「愛してる」を照れずに言おう 。「ありがとう」と「ごめんなさい」と「愛している」を自分の奥さんに言いましょうとそういう運動をしていたことがありました。人間関係も同じだと思います。わたしたちはどれだけありがとうが言えるのか。心からごめんなさいが言えるのか。そして愛しているとか、お願いしますという気持ちで歩めるのか。そのような気持ちがあった時に、どんなに違っている相手でも、わたしたちは少しずつ一つになっていける。心を通わすことができる。親しみを深めることができると思います。人間関係も神様との生きた交わりは同じだと思います。だからこそわたしたちが神様に対しても、そして、人と人との関わりにおいても生きた交わり、愛を深めていくことができるように、この三位一体の交わりの神秘を、わたしたちは少しでも生きていけるように、この三位一体の神様に支えられながら、神様との人との愛の関わりを深めていけるようにこのミサでお祈りしましょう十

 

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第一朗読 出エジプト記 34章4b-6・8-9節

 〈その日、〉モーセは朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち(た者)」モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」

第二朗読 コリントの信徒への手紙 第二13章11-13節

 兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。
 すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように十

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                      2017 年 6 月 10 日(土)18時ミサ
                       三位一体の主日〈白〉A年
                       カトリック麹町教会 主聖堂於
                        イエズス会 英 隆一朗 助任司祭ミサ説教記