カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2015-05-30 三位一体の恵みは広がる

英神父 ミサ説教               三位一体の主日  聖イグナチオ教会於

マタイによる福音章 28章16-20節 〈そのとき、〉十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」十

 今日の主日は三位一体の主日をお祝いしています。イエス様が復活して聖霊の恵みを受けて天に昇られて、父と子と聖霊、御父とイエス様と聖霊というのは、三位一体であるという。そのような教えをわたしたちクリスチャンは大事にしていく教えです。ペルソナというのはパーソナリティといいますか、三つに分かれるけれども、神様としては一体である。そのような教義の基盤の上にキリスト教が成り立っているというふうに言えるかと思います。
ただこの教義はなかな分かりにくいかもしれませんが、わたしにとっては明らかな教義だと思います。キリスト教において一番大事なことは神の愛、神様がわたしたちを愛してくださっている。その神様の愛であるということの、前提のような、それは神様自身が愛し合っている。つまり愛というのは他者がなければ愛にはならないわけだと思いますが、神様としても互いに愛し合っている存在だということです。それは極めてキリスト教的な考えではないかと思います。
わたしは結婚していないから分からないですが、子供を育てるので一番何が大事なのか。本などいろいろありますが、一つの意見では子育てで一番大事なことは、両親が愛し合っていることだと、つまり子供にどうこう言う以前にお父さんとお母さんが愛し合っていることこそが、子供にとっては最大の恵みであると、それが子育ての一番大事な事だという意見もあります。断言はできませんがそれはそうかもしれません。親が子供を愛する以前に、親同士が愛し合っているとすれば、その愛は自然と子供に伝わっていくものではないかと思います。全く神様でも同じで、神様も神様同士で愛し合っているから、心から互いを受け入れ、互いに支え合っているからこそ、わたしたちにその愛が伝わってくる。
人間は不完全だから神様のように愛し合うのはもちろんできないから、不完全な事は多々あるのは仕方がないですけれども。でも一番大事なのは神様が愛し合っているからこそ、わたしたちはその愛を受けて、わたしたちも互いに愛し合うことができるということ。そこに一番大事な本質があると思うんです。しかも互いに愛し合うんだったら、父と子と二人いれば十分ではないかとか、イエス様と御父が愛し合っていれば、それで十分ではないかとかと思いますが、そこがキリスト教的な愛の大切な点で、互いに愛し合う時にこそ、新たな恵みが生まれてくる。つまり愛というのは閉じていないから、二人で見つめ合って愛するだけではなくて、愛するがゆえに広がっていく。だからこそお父さんとお母さんが本当に愛し合うからこそ、子供が生まれ、子供が育つ。つまり本当の愛であればあるほど、愛というのは三位一体的に広がってくるものだということです。そしてわたしたちの、キリスト教の一番の根本が三位一体であるからこそわたしたちも三位一体的に愛するように呼ばれている。あるいは恵みが広がっていると言えると思います。
今日の福音書でイエス様が言うんです。「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」なさいと書いてある。みなさんの聖書と典礼の下に説明が書いてある通りなんですけれども、ギリシャ語の原文的には何によってではないんです。父と子と聖霊の中に向って沈めなさいという。英語でいうとin to になるんです。~の中でというふうに前置詞が使われています。父と子と聖霊の名前というのは、ユダヤ人にとってもギリシャ人にとっても肩書の話ではなくて、物事の本質を表すのが名前なんです。そのものの実質とも言えるし、本質とも言えるとすれば、わたしたちが洗礼を受けるとすれば、ギリシャ語的に言うと、父と子と聖霊の交わりの本質の中に向かって沈められたということなんです。つまり交わりの中にそのまま投げ込まれたというか、わたしたち一人一人が名前によってというのは、肩書がついたみたいとは実は全然違うんです。父と子と聖霊のど真ん中に、わたしたちが投げ込まれたというかそこに沈みこまされた言葉なんです。
だからわたしたちの生き方は三位一体の交わりのど真ん中にあるということなんです。意識するかしないかはともかく、クリスチャンになって洗礼を受けるというのは、この三位一体の交わりのど真ん中に、自分の生き方がすでにあると。それをわたしたちが生きていくことができる恵みの中にも沈みこまれたというか、わたしたちはその恵みが染みついている。それが三位一体の生きていくようにわたしたちは呼ばれているということです。この大いなる恵みをわたしたちは噛みしめながら、そのように生きていけるように恵みを願ったらいいんではないかと思います。
古い話で申し訳ないですが、わたしが中学生か高校生ぐらいの時にミッションスクールでしたから黙想会に出たんです。神父様がいろんな話をしてくれてその中で、歌謡曲で左良直美の「世界は二人のために」という歌がはやっていて、神父様が「けしからんあの歌は」と言っていました。たった二人のために世界があるというのは、考え方が間違っているというふうにすごく怒っていました。確かに逆なんですね。二人のために世界が全部あると思えるのもある意味幸せですが、そのようになかなか普通は思えないですけれども、それは本当ではないんです。二人の愛は世界のためにあるんです。つまり三位一体的に広がるためにわたしたちの愛が与えらている。二人で閉じてしまう愛は、キリスト教の愛ではないし、三位一体的ではないんです。本当に愛し合うならば、三位一体的に三番目のものが広がってくる。聖霊の恵みがあふれて、周りの人を豊かにしたり、幸せにするようなそのような愛を生きていく。そのような三位一体的の愛にわたしたちは沈みこまされているんです。それを生きるのが本当の幸せだということだと思います。
結婚して子供がおられる方も多いかと思いますが、夫婦の素晴らしさは、やはり力を合わせて子育てすることだと思います。愛し合うということはどこかそれが広がりにつながる。子育てということに限定されていないですけれども、愛というのは広がるように、もともとできているんです。だからいつも三位一体的に、わたしたちは広がっていく、全てがそうだと思います。教会の中の活動にしろ、別に夫婦のことだけではなしに、家族の関わりにしろ、あるいは友だちとの関わりにしろ、職場の関わり、教会やあるいは社会の中で、ボランティアされている方々もおられると思いますけれども、愛は広がっていくようにもできていることです。あるいは本当に真剣に、誰かと関わる時に、そこに聖霊の恵みが、あふれてくるとも言えると思います。
本当に人格的に、愛し合うというのは、相手を心から赦す決断が必要なこともあるでしょう。自分の捕らわれを捨てなくてはならない事もあるでしょうし、あるいは本当の忍耐がいるかもしれない。そこで本当の誠実さを持って本当の感謝を持って、相手と関わらなければならない。心の態度を変えなければならない事が多いと思います。でもそのようにしたときにこそ、聖霊の恵みがお互い同士、そしてさらに周りの人にも広がってくる。そのようなものだと思います。だから神様が三位一体だということは、大いなる恵みだし、わたしたちのクリスチャンの生き方の模範でもあるし、理想でもあると思います。
三位一体のエリザベートというカルメル会の福者ですけれども、その人もはっきり言っている、わたしたち全員に三位一体の神様が住んでおられる、それを生きるようにというですね。わたしたちの中に愛のダイナミズムがあるということですから、わたしたちの一人一人は慎ましい毎日かと思います。でもその中でこそ、人格的に本当に誰かを大事にする、大切にする生き方を選んで実行するならば、そこに必ずや大いなる実りが、聖霊の実りが開かれていく。結果がすぐに見えなくてもです。
そのような三位一体の交わりと広がり、それをわたしたちが今週一週間を特に意識していけるように、このミサでお祈りしたいと思います十

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第一朗読 申命記 4章32-34・39-40節

〈モーセは民に言った。〉「あなたに先立つ遠い昔、神が地上に人間を創造された最初の時代にさかのぼり、また天の果てから果てまで尋ねてみるがよい。これほど大いなることがかつて起こったであろうか。あるいは、そのようなことを聞いたことがあろうか。火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きている、あなたと同じような民があったであろうか。あるいは、あなたたちの神、主がエジプトにおいてあなたの目の前でなさったように、さまざまな試みとしるしと奇跡を行い、戦いと力ある御手と伸ばした御腕と大いなる恐るべき行為をもって、あえて一つの国民を他の国民の中から選び出し、御自身のものとされた神があったであろうか。あなたは、今日、上の天においても下の地においても主こそ神であり、ほかに神のいないことをわきまえ、心に留め、今日、わたしが命じる主の掟と戒めを守りなさい。そうすれば、あなたもあなたに続く子孫も幸いを得、あなたの神、主がとこしえに与えられる土地で長く生きる。」

第二朗読 ローマの信徒への手紙 8章14-17節

〈皆さん、〉神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです十

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                      2015 年 5 月 31 日(日)
                       三位一体の主日 B年
                       カトリック麹町教会 主聖堂於
                        イエズス会 英 隆一朗 助任司祭ミサ説教記