カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2018-1-1 神の恵みを生きる

英神父 ミサ説教                 神の母聖マリア 聖イグナチオ教会於

ルカによる福音書 2章16-21節(そのとき、羊飼いたちは)そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、彼らは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である十

 イエス様の誕生を迎えて、そしてその一週間後に、この一月一日の神の母マリアの祭日をわたしたちはお祝いしています。イエス様が誕生されたのは、今日の第二朗読で、はっきりいっているんですけれども「神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。」イエス様が遣わされたのは何のためかというと「贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。」イエス様がこの世に人としてお生まれになったのは、わたしたち一人一人が神の子となるためであるということ、それをあらためてわたしたちは噛みしめたいと思います。わたしたちは神の子として生きるように呼ばれているし、そのようなものだということです。この新しい年を始める時に、わたしたち一人一人が神の子として歩むという、それを意識した上で、この一年を始めたらいいのではないかと思います。神の子であるということは、第二朗読の最後に書いてありますが、聖霊を受けているから「あなたはもはや奴隷ではなく、子です。」子供であるならば相続人でもあるということです。奴隷ではないということ、それをしっかりまずは受けとめなければならないと思います。奴隷というのは現代では、いないですけれども、わたしたちはせっかくクリスチャンになったのに、気持ち的に奴隷のように生きている人がおられる。わたしたちは神の子どもとして生きるよう呼ばれている。だから基本は喜びと感謝の内に神に愛されているものとして、喜びの内にわたしたちは歩むということができるわけです。奴隷は相続人ではないですけれども、子供ということは相続人であるということです。わたしは修道会に属しているので財産放棄の誓願をたてているんですが。資産家の子どもに生まれると本人の努力と関係なしに、莫大な遺産をもらう権利はあるわけです。わたしたちは神の子どもであって、神の相続人であるとは、どういう遺産を継ぐのかといったら、みなさん一人一人が神の莫大な恵みの相続人なんです。わたしたちは神の子どもの相続人なのだから、神様の無限大の莫大なお恵みを自動的に相続できる立場に、みなさんがおられるということです。神様の莫大なお恵みをみなさんは相続する、受け取ることができるわけです。神の子どもとして生きることがどれほどのお恵みなのか。神様の無尽蔵のお恵みをみなさんは努力なしに、子どもということはつまり自動的に莫大なお恵みを頂くことができる。だからわたしたちはまったく奴隷ではないです。どれほどの大きなお恵みの中にいるのかということ。そこをわたしたちの出発点にしたらいいのではないか。とにかくその大きなお恵みをわたしたちは日々頂きながら、その恵みを分ち合って生きるようにということです。この新しい年を始めるにあたって、わたしたちは神から莫大なお恵みを頂いて、それを生きるということができるということを思いおこして、そしてこの一年を、この神の大きなお恵みを頂きながら分ち合いながら、それを喜びながら、そこからわたしたちは奉仕の気持ちで歩んでいけるように祈りをささげたいと思います。みなさんがこの教会の習慣として、小さなカードにお願いみたいなことを書いて奉納致しますけれども、神の恵みはみなさんが神に書いたもの以上というか、もっとすごい神の恵みがあるわけですから、その恵みを生きていくということ、それを出発点にして喜びの内に生きていけたらいいと思います。でもわたしたちはそれをどのように具体的に生きていけばいいのか。一つはこの福音朗読に出てくるマリア様のように、天使の話を聞いて皆不思議に思った。天使が現れた、それ自身が大きなお恵みですけれども「聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」それがどれほどのお恵みなのか。それがどういうメッセージなのか、わたしたちには分からないので、マリア様でも分からないから、思い巡らしながらその意味は一体なんなのか。どのような恵みが与えられて、それをどのように生きていくのか。若いマリア様は分からなかったから思い巡らしていたんです。わたしたちも同じだと思います。だから思い巡らして神や恵みは何なのか。神の呼びかけは何なのか。あるいは困難を乗り越えていくために、どのように主が手出してくださるのか。それは思い巡らしていく必要があると思います。わたしたちは神様が目に見えないのでなかなか分からないですから。わたしたちはマリア様と共に思い巡らしていく中で気付くことがあると思います。二番目に大事なことは何かと言ったら、思い巡らしながらそこでこうだと思った時に、それを勇気を持って実行していくという。それはマリア様のパートナーのヨセフ様にもよく現れていると思います。なぜ身籠ったのか分からない。でもはっきりと天使が夢に現れて語ってくださったので、そこでもすぐ決断をしてマリア様を迎え入れたんですね。イエス様が生まれたあと、ヘロデ王が命を狙っているということで、夜の内に決断して行動に移す。この勇気を持って行動に移すということも大切だと思います。ただ椅子に座って思い巡らしていればいいという問題ではない。ここだと思う時に勇気を持って歩んでいく。新たな決断と実行を行っていく。その中でわたしたちは困難を乗り越えたり、新しい道を歩むことができるし、神の恵みに触れることはできると思います。この新しい年に、冷静に慎重に思い巡らしながら、でも勇敢に大胆に実行していくマリア様の心とヨセフ様の態度と両方に支えられて、神の豊かな恵みを生きていくことができる、分ち合っていくことができると思います。マリア様は神の母ですから、わたしたちは神の子でありマリア様の子でもあると思います。このマリア様をヨセフ様の態度にならいながら、わたしたちのこの一年が本当に恵みに満ちたものになるように。その恵みを見い出し、その恵みを実際的に生きていけるように、このミサでわたしたちの祈りをささげましょう十

  

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第一朗読  民数記 6章22-27節
 主はモーセに仰せになった。アロンとその子らに言いなさい。あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らしあなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けてあなたに平安を賜るように。彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。

 第二朗読  ガラテヤの信徒への手紙 4章4-7節
 (皆さん、)時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです十

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2018年 1月 1日(月)18時ミサ
神の母聖マリア〈赤〉B年
 カトリック麹町教会 主聖堂於
  イエズス会 英 隆一朗 助任司祭 ミサ説教記