カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2018-05-06 互いに愛し合いなさい これがわたしの命令である

英神父 ミサ説教   聖イグナチオ教会於

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ヨハネによる福音書 15章9-17節(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」十

  今日の福音書はヨハネの15章、イエス様の告別説教の中の一部ですけれども、有名なところだと思います。「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」イエス様がわたしたちを友としてくださる。親しい友人としてくださるということです。この事はしっかり受けとめたいと思います。わたしたちの人生の中で、一つの喜びは、本当の友がいる、親友がいるということは、わたしたちの大きな助けになります。本当の友達というのは、一緒にいるだけで助けられたり励まされたり、一緒に仕事をしても食事をしても遊んでも、何でも分かち合ったり話し合ったりできる、そのような対等で親しい結びつきがあることが、人生にとって大きな喜びの一つだと思います。心理学者は言うんですけれども、本当の親友というのは人生において、二人から三人ぐらいだろうというんです。本当の友がいない人もおられるかもしれない。あるいは自分が結婚したパートナーと友達関係を結び、何でも分かち合えたら幸せなことではないかと思います。そのような友、イエス様がわたしたちの本当の友であるということです。これは大きな力づけ、励ましになるのではないかと思います。現代の人の苦しみの半分は、大きくいうと孤独、本当に自分を分かってくれる人がいない。苦しみというのは確かにあるかもしれない。そのような中でイエス様だけは、どんなに孤独な中にあっても、わたしたちの心の友となってくださっているのですから、わたしたちはイエス様と何でも分かち合うことができる。慰める力を与えてくださることができるわけです。このように友となってくださるイエス様ですから、わたしたちはイエス様と本当の友になることができるならば、クリスチャンにとっての一番の宝になるのではないかと思います。友の特徴は何なのか。喜びを分かち合えるということと、苦しいときにこそ互いに助け合う。苦しみも喜びも共にすることができる。調子の良いときにだけではなしに、苦しい時にこそ、そばにいて励ましたり、励まされたりする、それが本当に大きな喜びの一つではないかと思います。イエス様が友になってくださっていること、難しいかもしれないですが、それを受けとめたいと思います。わたしの好きな聖人で、アビラの聖テレジアという、スペインの現代の女子カルメル会を改革した人ですけれども、すごい強いタイプのシスターです。神秘家であって、イエス様と深い深いつながりがあったんです。アビラのテレジアというのは、人格がしっかりしていて、深い交わりがあったようなタイプでした。伝記を読んで思うんですけれども、アビラのテレジアには苦しみが多かったんです。カルメル会修道院の改革をしたんですが、途中で変えるほうが、旧勢力や反対勢力があって、戦いながらでないと改革できなかった。創立するよりも大変だったように思います。さまざまな苦しみが多かった。ある日テレジアがイエス様に文句を言った。何でこんなに苦しみばかりを次から次へと与えるんですかと。いい加減、嫌になってしまうとイエス様に言うんです。イエス様の答えは「あなたがわたしの本当の友人だから」そに対してテレジアは「だからあなたの友人は少ないんです」イエス様の友となるということは、苦しい時に助けてくださるけれども、イエス様の苦しみをわたしたちは担わなければならないことでもある。でもそれはイエス様の復活の喜びを共に味わうことでもある。そのようにわたしたちが本当の意味で、イエス様と神様と友として歩むことが、大変なことでもあるけれども、人生の宝になるのではないかと思います。そのようにわたしたちは過ごしていけるように、そしてまたイエス様と友になるということは、周りの人とも友として、関わっていける恵みが与えられると思います。

今日はちょうど世界広報の日にあたっています。何かの日は、だいたいパパ様がメッセージを出すことが多いんですけれども、世界広報の日のメッセージがホームページに出ているんですが、とりあげているのがフェイクニュースの話なんです。真実ではないニュースを発信して、世界中で多くの人が振り回されているということは良くないとパパ様が言っているんです。わたしたちもそういうものに振り回されないということが一つと、もう一つはフェイクニュースを流さないということです。噂話とか陰口とかそういうものを語らないようにするということが、大事なことではないかと思います。だいたいわたしは数年に一回ぐらいデマが流されて、イグナチオ教会でも一つぐらいすでにデマが流されている。根も葉もない非常に不愉快なことを勝手に信者の方が流したり、教会の中でもよくあることかもしれない。噂話とか作り話を勝手に流すという。何でそういうことがあるのか。一つのことは、友ではないからだと思います。本当の友人だったら、デマとか嘘とか言いふらすことはあり得ないでしょう。本当の友であるならば、それが真実かどうか確かめることもそうだけれども、良いこととかを分かち合う。だから噂話とか、どうでもいい話が教会の中でもどこでも広がるのは、信頼関係がないところに変な噂が流れる。わたしたちは人と人との関係を大切な友として受けとるかどうかです。そうでもない限りフェイクニュースとかデマや噂話は消えないのではないか。陰口とか悪口とかそういうことも含めてですけれども。わたしたちが多くの人と深い友人関係は結べないと思いますけれども、周りの人と友として付き合う。そして語るべきことは福音です。福音の喜びをわたしたちは分かち合わなければならない。今年の教会のテーマは福音を伝えるということですから、陰口とか噂話を伝え合っても本当に意味がない。何のプラスにもならないと思います。本当に伝えるべきは福音の喜び、救われた喜び、神様の喜びを分かち合う、伝え合う。だから世界広報の日というのは、私たち一人一人が救いの喜びを人々と分かち合っていく。そういう気持ちがなければ意味がない。その基本は本当の友であるイエス様の素晴らしさを、周りの友と分かち合うことだと思います。そのような気持ちでこの一週間、自分自身が信頼に足る友として生きることができるように。イエス様に対しても、周りの人に対しても、そのような気持ちで過ごすことができるように、このミサで世界広報の日に合わせて共にお祈りしましょう十

 
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  第一朗読  使徒言行録 10章25-26、34-35、44-48節
 ペトロが(カイサリアに)来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」 (そして、)ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。

 

第二朗読 ヨハネの手紙 第一 4章7-10節
 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

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 2018 年 5 月 6 日(日)8 時半ミサ 
  復活節 第6主日〈白〉B 年
 カトリック麹町教会 主聖堂於
  イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記