カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2015-11-29 目を覚ましていること

英神父 ミサ説教                   待降節第1主日 聖イグナチオ教会於

ルカによる福音 21章25-28、34-36節 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」十

 待降節第一の主日ですが、福音書は世の終わりに恐ろしいことが起きるところ。太陽と月と星がおかしくなったり、海がどよめいたり、様々な事が起こると書いています。でもそのような危機的な状況になった時にこそ、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」イエス様の再臨ですね。そのような苦しみの真ん中で、イエス様がこの地上に来てくださる。だからこそわたしたちは、今日の福音書の最後ですが「目を覚まして祈りなさい」ということをわたしたちにすすめています。この待降節を目を覚まして、わたしたちは歩んでいくようにということですね。もちろんこれは心の問題だと思いますね。目を覚ましてわたしたちは生きるというのは、どういうことか。あるいはどういう時に、わたしたちは目を覚まして生き、祈っているのか。

古い白黒映画で、黒澤明監督の「生きる」があります。主人公が役所に勤めている公務員で、定年前のおじさんの話なんですけれど、癌であることがわかり、余命いくばくもないと気付くのです。そして彼は自暴自棄になり、若い女性とデートしてみたり、夜の酒場に行ってみたりするんですけれど、気持ちがあまり晴れない。結局彼は、その時関わっていた仕事に打ち込むことにするんです。
映画の中だからでしょうが、全く仕事しない公務員なんですね。ことなかれ主義というか、なるべく何もしないで定年を迎えようという、安易な生活をしていた。そういう主人公なんですが、自分が死ぬということをきっかけにして、その映画の中では、ドブ川みたいな所を綺麗にしてほしい、という苦情が来たんですけれど、彼は全く相手にしない、やる気のない感じだったんですが、彼はそれに取り組んだけど、縦割り行政のようで、なかなか話が進まない。各部署をたらい回しにされる状態だけど、彼は粘り強くいろんなところと交渉して、最後にドブ川を公園にするんですね。そのブランコに乗りながら歌うのが最後のシーンでした。
映画の内容は死んでいく男の人の話なんですけれども、映画のタイトルは「生きる」というタイトルがついている。彼は自分の死を意識して、その時初めて目覚めたんです。それまで彼は全く目覚めない、適当にやる人生を送っていたけれど、死を意識して初めて目覚めて、最後の一年間を本当の意味で生きたんです。
今日の福音書は非常にわかる気がするんです。太陽と月と星に徴が現れたり、世の終わりのような、恐ろしいことがいっぱいあって、そこで目が覚める。目覚めるということは、わたしたちにはそういうことかもしれない。その時にこそイエス様が天から来てくださる。その時にこそ神の恵みがわたしたちに注がれるわけですね。
みなさんの中で大いなる困難を、抱えている方もおられるでしょうし、幸せに暮らしている方もおられるでしょうけれど、わたしたちがいつどうなるかわからないとしたら、わたしたちは目を覚まして生きていく必要性は、あるんじゃないかと思います。この滅びとか死とか、そういうことを考えれば考えるほど、結局はわたしたちがどう生きるかにつながっていくと思います。
有名なルターの話なんですけれども、明日、世の終わりが来るとしたらどうするかの問いに、ルターは「もし明日、世の 終わりが来るとしたら、私は今日、リンゴの木を植えよう」という名文句を残しています。いつわたしたちは倒れ、死んでしまうかもしれないですし、世の終わりがいつ来るかは、もちろんわからないですけれども。いつ何があってもいいと思って生きられるとしたら、目覚めて毎日を大切にして生きていくこと。それしかないのではないかと思います。
しかも今日の福音書は「いつも目覚めて祈りなさい」ということですね。ただ単にこの映画のタイトルのように「生きる」ということを目標にしているわけではなくて、わたしたちは神と共に生きるのが、わたしたちの中心だと思います。神と共に生きていくために、わたしたちはいつも目覚めて祈っていくということですね。
目覚めて祈るとはどういうことなのか。結局わたしたちは今の自分の立場から、今いる場所から、今いるところで、神に祈りをささげていくことしかないと思います。嬉しいことがあった時には神に感謝する。苦しい時があった時には神様に助けてくださいと願う。あるいは朝起きて、何か難しい仕事があるならば、それが出来ますようにと、心から願いをささげて一日の祈りを始める。あるいは今日一日、素晴らしいことがあったら、晩の祈りにその事を感謝していく。つまりわたしたちは、神様と共に生きているということを、あるいは神様により頼みながら、神の恵みに感謝しながら生きていく。それがわたしたちにとっての、目覚めて祈るということだと思います。怒っているときには、怒りながら祈ってもいいと思います。疲れているときには、疲れながら祈る。嬉しい時は嬉しさの中で、悲しいなら悲しみの中で、神様に力を願っていくときに、世の終わりにイエス様が来てくださるだけではなしに、わたしたちの毎日の生活のに、目覚めて祈る中で、イエス様が来てくださると思います。
やはりわたしたちは朝、神に願わなければならない。今日一日、悔いがなく過ごせるように、今日一日を精一杯、神と共に愛を持って生きれるように、そして夜寝るときに、神に感謝しなければならない。今日一日、嫌な事があったら、ごめんなさいと言わなければならないし、今日のごちゃごちゃした、もやもやした気持ちを神様に委ねて、床につかなければならない。目覚めて祈るというのは、今日一日を祈りの中で大切に生きていく、その積み重ねを、毎日歩んでいく、その地道な努めということになると思います。
待降節が始まりました。イエス様の降誕を迎えていく日々になるので、十二月は特にお忙しい年末かと思いますが、わたしたちが絶えず目覚めながら、神様に助けを願いながら、感謝しながら、神様とのつながりを意識して、この忙しい日々を過ごしていけるように、神様に願いたいと思います十

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 第一朗読 エレミヤ の預言 33・14-16

  見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、「主は我らの救い」と呼ばれるであろう。

 

 第二朗読使徒 パウロのテサロニケの教会への手紙第一 3・12-4・2

 皆さん、どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように、わたしたちがあなたがたを愛しているように。そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです。十

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