カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2016-04-03 信じてイエスの名により命を受けるため

英神父 ミサ説教  聖イグナチオ教会於

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ヨハネによる福音 20章19-30   その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

 今日はイエス様が復活されて、数えで八日目にあたる日になります。そのためにトマスに、イエス様が現れた箇所が朗読されました。一週間前の日曜日、弟子たちの前でイエス様が復活されたとき、たまたまトマスはいなかったんです。それで他の弟子たちが復活したということを、トマスは信じられなかった。信じられないのは当たり前と言えるかもしれない。
トマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と、割と頑強に言ったわけです。そして数えで八日の後、一週間ですが、イエス様はもう一度、弟子たちの前で復活された。そして、復活された主の体には、十字架に釘付けられた傷跡が残っていた。
復活された主の体に、傷跡が残っているのも不思議な気がします。わたしたちのけがなんかは、だいたいは残っても跡が無くなってしまうわけですけれども。イエス様が十字架にかかったということは、かなり大きな傷を負った。そして復活した体としても、イエス様に傷跡が残っていたわけですね。
先輩の神父様が一度おっしゃっていたことですけれども、復活したイエス様の体の中で、どこが一番輝いていたのか。もちろん復活されたイエス様の体というのは特別だったでしょうけれども。その神父様は十字架の傷跡、そこが一番輝いていたのではないかとおっしゃって、確かになるほどと思います。傷こそが輝く。傷跡というか、傷そのものが一番輝いていた、というのが、わたしたちに対する復活の大きな恵みではないかと思います。
トマスはその傷の輝きを見て、イエス様の復活のすごさを、悟ったのではないか。傷の輝きを見て、罪の赦しの恵みを感じた。あるいは自分の疑いがまるで吹っ飛ぶような、信仰の恵みをいただいた。あるいは悲しい心が、全くの喜びに変えられる。そのような体験を多分トマスはその時にしたんだと思います。
そしてその恵みは、ここに集まっているわたしたち一人一人全てに、与えられている恵みだと思います。クリスチャンであるということは、この復活の恵みに与ることができる。その恵みを頂いている。それは何かというと傷が輝く、ということです。みなさんが過去の体験や、今体験されているかも知れない、傷であったり、苦しみであったり、辛さであったり、悩みであったり。傷は傷のまま、治っていないかもしれない、傷を背負っている方もおられるかもしれないですけれども。わたしたちがイエス様の復活に与るならば、傷が全て輝いている。恵みに変わるということですね。これこそ神の慈しみの最大の神秘ではないかと思います。その恵みをわたしたちは、かみしめたいと思います。
では、傷が輝くために、わたしたちに何が必要なのか。それはイエス様がおっしゃるんですね。「見ないのに信じる人は、幸いである。」見えていないことを、信じられるかどうか。見えていることはそのまま、傷であったり、苦しみであったりするけれども。その傷の中から恵みがあふれてくる。その見えない恵みを信じられるかどうかです。
傷にはいやしが与えられる。罪には赦しが与えられる。わたしたちの悲しみは喜びに変えられる。そのいやし、赦し、喜びを、まだ見てなくても信じて歩むことができるかどうかです。見えない恵みを信じていく中で、その傷は恵みと変えられていくと思います。わたしたちが信仰によって自分の人生を受けとめるときに、わたしたちの苦しみは、全て慰めと恵みに変えられていく。すぐにかどうかは別ですが、だんだんと、ある時突然かもしれない。いつのまにか、恵みに変えられていると言えるかもしれない。わたしたちが信じているのは、イエス様の十字架の苦しみではなくて、復活の恵みを信じているんですね。信じる信じないにかかわらず、イエス様が十字架にかかって苦しんだってことは事実ですよね。
みなさんも信じる信じないに関係なく、苦しみや辛さがあるわけで、信じる信じない関係ないんですよね。受けとるか、受けとらないしかない。認めるか、認めないしかない。わたしたちが信じるのは復活だけなんです。神の恵みだけを本当は信じている。わたしたちは、現実の苦しみが恵みに変えられていくことを信じていくわけです。それを信じたときに、恵みの世界に変えられていくと思います。神の慈しみが示されているのもそこだと思います。全ては恵みであり、全ては神の慈しみ、わたしたちの経験している日々の出来事、全てだと思います。もちろん亡くなって、神様の天国に行ったときに、明らかなことだと思いますが、今、わたしたちはわからないことが多い。けれどイエス様が復活されたということを、心から信じたいと思います。
キリスト教は、超楽観主義ですから、恵みの世界にわたしたちは生きている。それをわたしたちは信じている。それ以外のことを信じる必要性は全くないと思いますね。苦しみは受けとらなければならない。日々の苦しみそのものはありますから、それは否定できないけれど、恵みの世界を信じてわたしたちが歩むときに、神の慈しみはみなさんの心の中に、生活の中にあふれてくるのは間違いないと思います。その恵みをわたしたちは生きていけるように、特に復活節に入りましたから、神様の慈しみのすごさ。みなさん一人一人の生活の中に働いている、神の恵みの力。それを信じて見いだしていきましょう。
わたしたちが神様の喜びと力をよりわかり、知っていくときに、わたしたちはさらに変えられていくと思います。わたしたちが復活した主と共に、復活した主を信じて、恵みを日々受けとりながら、歩んでいけるようにこのミサをささげたいと思います十

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 第一朗読 使徒言行録 5・12-16

 使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われていた。一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、13ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆は彼らを称賛していた。14そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。15人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。16また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まってきたが、一人残らずいやしてもらった。

 第二朗読 ヨハネの黙示録1・9-11a、12-13、17-19

 わたしヨハネは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっている者である。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。ある主の日のこと、わたしは〝霊〟に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。その声はこう言った。「あなたの見ていることを巻物に書いて、アジア州にある七つの教会に送れ。」わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。」

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