カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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「いつくしみの特別聖年」 講話

英神父 講話                                                  2016-3-4東京カテドラル於                                     主に捧げる24時間。振り返り、慈しみを思い巡らせるために導入の話をしたいと思います。 ルカの福音書4章18節を読みたいと思います。  「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」   ここからイエス様の活動が始まるわけですが、主の恵みの年を告げる、ヨベルの年ですね。 レビ記25章を読まれたらいいですけれど、神様が世界を創られたときに、六日で世界を創られ七日目に休まれた。七日目が安息日になっているわけですね。それがさらに発展していって、七年間働いたら、七年目は安息の年にして休むようにという記事が出ているんですね。安息の年を英語でいったら、サバティカルイヤーsabbatical yearといって大学の先生が研究のために休むとか、外国の人が国に帰るのをサバティカルといいますがこれが安息の年なんで、安息は七年に一回ですが、七の七倍、四十九年でもう一年の五十年に一年のことを、ヨベルの年として定めると、聖書の中に書いてあるんですね。元々は五十年もたつと、貧富の差が激しくなり、貧乏な人はどんどん貧乏に、お金持ちの人はどんどんお金持ちになっていくから、五十年に一回借金をチャラにする。売った土地が返ってくる。奴隷になった人は自由になって戻ってくる。そのような年をヨベルの年と定めた。実をいうと、今年はユダヤ人のヨベルの年なんですね。五十年に一度、彼らも必ずヨベルの年をお祝いしますが、たまたまでしょうが、ユダヤ人のヨベルの年と、カトリックの特別聖年が同じ時期に行われている。ボニファティウス八世が1300年に、元々は借金をチャラにするという話でしたが、カトリック教会にヨベルの年のことを採用して、借金の代わりに罪を赦すと宣言して、1300年に初めて、カトリックの聖年というのが始まったわけですね。聖年というのはヨベルの年で、ジュビリー jubilee ジュビリーイヤー ですが、その前が、2000年の大聖年だったわけですけれども、今年はフランシスコ教皇が聖年というのを定めた。この年は特別に回心と罪の赦しを願う、聖年の一つの課題、フォーカスされるところです。しかもそこに、「いつしみの」とついているので、わたしたちに神のいつくしみを、特に聖年の間に、今日と明日に深めたらいいのではないかと思います。   いつくしみ、ということばなんですけれども、ラテン語では、ミゼリコルディア Misericordia ですが、聖書の中のどこに出てくるか。ミゼリコルディアはギリシャ語では、スプラングニゾマイsplanchnizomai。聖書の中では「憐れみ」と訳されている、その話を今日はしたいと思います。       ルカ15章11節の、放蕩息子の話の中に出てくるのですけれど 「また、イエスは言われた。ある人に息子が二人いた。 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。 」  有名なお話ですね。ラテン語の、ミゼリコルディアが出てくるのは20節ですね。「父親は息子を見つけて、憐れに思い」この「憐れに思い」がラテン語の、ミゼリコルディアで、ギリシャ語だったら、スプラングニゾマイで、ヘブライ語だったら、ラハミール、子宮という意味なんですね。おなかのなかから痛む、という意味なんですね。はらわたの中から痛みを感じる。ものすごく強いことばなんです。だから「いつくしみ」と訳すと、ちょっと弱い感じがしますけれど、「あわれみ」というと別のニュアンスがあるかもしれない。痛みを知るとか、心が痛むとか、はらわたから痛むというのを黙想する、それを生きるというふうに呼びかけられている年だと思います。  この放蕩息子ですが、ばか息子という感じですよね。ユダヤ人は、ほとんど長男が継ぐんです。だからお父さんの家にいても、弟は居場所がないんですね。遺産相続はほとんどお兄さんのもの、長子相続です。弟は家にいても、将来性ないから生前相続をして、自己実現するために、家を出ていったわけです。だけど力及ばず、世間慣れしていなかったからか、財産を使い果たして、どん底の生活をしてしまうわけです。ユダヤ人がここを読んで、どこが一番気になったかというと、豚の世話ですね。豚は異邦人にとって、汚れた動物ですから、ユダヤ人にとって最低、最悪にまで堕ちたということ。でも最低限のところに立って、はじめて「我に返って」と書いてありますが、お父さんの家に帰ろうと決意して、しかも悔い改めの気持ちで、戻るわけですね。そうすると、お父さんが心から帰ってきたことを喜んでくださって、まさしく「憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」と。そして、良い服を着せたりして迎えた。このお父さん、甘やかし過ぎだと思いますが。昔、男子校で教えていたときに、生徒がみんな、このお父さん甘やかし過ぎだ、と放蕩息子みたいな生徒たちが、文句いっていましたが。このような神様の憐れみの心、慈しみの心で、いつもわたしたちを迎えてくださる。御父がイエス様の心をあらわしているし、御父が心をあらわしてくださる。この心をまずはゆっくり黙想したいと思います。自分自身が今まで、失敗したか、自分が何かに巻き込まれたか、どん底のような辛さ、心の中のことかもしれないし、どういうことか人によって違うでしょうけれども、でもそのような状態になっても、迎えてくださる神様の心。それが慈しみの憐れみの、ミゼリコルディアの心ですね。それを黙想したいと思います。この箇所は、わたしは年をとってきてから分かってきました。回心とか悔い改めとか、どっか自分を責めたり、自分がダメだとか、責める気持ちが悔い改めだったり、それはどこか自分に囚われていたのかもしれないけれど、最近は赦されている喜び。たとえば自分自身のことを考えても、大きい小さい、様々な失敗とか欠点とかありながら、それが全て赦されて、今、導かれている。司祭として、あるいはクリスチャンとして。その喜び、嬉しさは、クリスチャンの、最大のお恵みではないかと思いますね。赦してくださる神様がおられて、だからいつもわたしたちは、悔い改めて、神様の慈しみの家に戻ることができる。神様が全て赦してくださった。それは大きな慰め、喜びだと思いますね。だからわたしたちは何回失敗しても、どんなことがあっても、いつも帰る家がある。今日と明日、自分のことを振り返ってみて、赦される喜び、自分のいたらなさを認めたうえで、神様の恵みがどれくらい大きいものか、それをもう一度振り返って、味わいたいと思います。聖年というのは、ボニファティウス八世から、巡礼することとセットなんですね。東京教区でも、6つ巡礼教会が指定されていますが、本当の巡礼はなんなのか。特に大聖年の巡礼の一番大切なことは、やはり自分の気持ちや生活が、父の家に帰ることだと思います。何かが外れて父の家から飛び出している。慈しみの家に戻るのが、巡礼の旅だと思いますね。本当は父の家に帰る道を、こういう聖年にするということ。父なる神様の上に、自分の心や生活の全てを戻す。そのような心構えで、父なる神様の家に帰るつもりで、巡礼をされたらいいと思います。このお話はこの後にお兄さんの話があって、「ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」というお兄さんの話ですけれど、これは考えさせられる話で、このお兄さんは怒って、家に入ろうとはしなかったわけですね。つまり家で祝宴しているわけです。ちなみに祝宴やパーティーは、神の国の喜びの象徴ですね。でもこのお兄さんは怒って、祝宴に参加しないと思った。そしてお父さんはわざわざ、なだめに行ったと。「子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。」といってますが、でもお父さんの財産は、ほとんどお兄さんのものだから、全て自分のものですけれども、このお兄さんの立場に立って、自分自身のことを振り返っておられても、いいのではないかと思いますね。このお兄さんの言っていることに、賛同している人は多く、日本人は真面目で、特に宗教やっている人は、真面目な人が多いからでしょうけれど。宗教の罠というか、キリスト教の難しさとは何かといったら、真面目になればなるほど、このお兄さんになってしまう。熱心な信者ほど、このお兄さんになってしまう可能性が高い。これはよく振り返ってみたらいいのではないか。自分をこの弟において、神様の、ミゼリコルディアを味わうのもいいですが、このお兄さんの立場において、神様の憐れみの心を、見つめられたらいいかもしれない。自分も同じ日本人だからですけれど、真面目にがんばれば、がんばるほど、神の慈しみから遠くなってしまう。なんであいつはちゃんとやらないかとか、まわりを批判したくなる。批判してしまう気持ちがわく。それが宗教の罠というか、人間の傲慢さというか。回心とか悔い改めは、このお兄さんにこそ必要ですね。真面目にやっているということが、神様の慈しみから離れた。  あるシスターがわたしのところに来て、その会はフィリピンと日本に修道会があって、韓国にはまだなかった。韓国の人が会に入って、修練1年目を日本でやって、2年目をフィリピンでやって、初請願を立てて、韓国に帰る前に、日本に寄って、司祭にこう言った。「一年目の日本の修練は、きちんとすることを学びました。二年目のフィリピンでは、愛について学びました。それで誓願が立てられました。」日本人の司祭は「わたしたちが伝えられたのは、きちんとすることだけだったのか」と、がっかりしていましたと。きちんとするとか、真面目にするとかいうことに、気持ちがいきがちなのかと思います。いい加減だったらそうはならない、真面目だからそうなる。  ルカの15章1節で「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている』と不平を言いだした。 そこで、イエスは次のたとえを話された。」イエス様も宴会していたのですけれども、誰と食事をしていたかというと、罪人とか、徴税人とか、そういう人たちと一緒に食事をしていたのを、誰が批判していたのかというと、ファリサイ派の人々や、律法学者たちがそれを批判していたので、イエス様はこのたとえを語られた。このお兄さんの立場はどうみても、ファリサイ派や律法学者の人たちにに対する批判でもあるし、悔い改めているよう、呼びかけていることでもあるわけですね。   これは福音書の、どこにでも出ているお話ですけれども、律法学者やファリサイ派というのは、今のカトリック教会が振り返ったら、真面目で堅い、神父、シスター、信者になります。神様の慈しみに向かって、わたしたちは回心しなければならない。どこでもいつでも、わたしたちはすぐ人を批判したくなる。そこからわたしたちは悔い改めて、神の慈しみの心に戻ることができるか。あるいはそれを中心にして、わたしたちは生きることができるか。これはよく振り返らなければならないポイントですね。正しさとか、きちんとすることは、悪いことではないですが、それ以上にわたしたちは、神の慈しみを生きるように呼びかけられている。アルゼンチンから来た、一人の神父様が日本で働いていて、共同体の院長でした。神学生もいたんですが、問題は、その神学生が朝の7時のミサに起きて来ない。だいたい、どこの院長でも、仕事の一つは神学生に、朝の7時のミサに出て来い、と注意をすることなんですね。私みたいな当時、若い神父は、心の中では「なんで出て来ないんだ」とイライラして、批判するんですが、その院長は特別で、朝寝坊した神学生のために遅いミサをやってあげていた。遅く起きる神学生のために、別のミサをわざわざ捧げていたんです。朝早いのは体に悪いからとかで。 それぐらいレベルを超えると、しなきゃならないとか、するべきだというのがないんですね。神の慈しみだけに生きているから。今まであった人の中で、一番素晴らしい人だった。掟に囚われていないから、一人一人見ている。一人一人のケア、慈しみの心で生きているから、朝起きてくる、来ないの規則で人を全くみない。寝坊してくる神学生は、他の修道院から非難されるから、自分が院長だったら出来ないと言っている(笑)普通の人は出来なくていい。大切なのは、どの角度から物事をみるか、人をみるかですね。神の慈しみの心から、日々の出来事を、人との関わりをみつけられるか、みつめられるかということです。  規則を守ることは簡単だし、規則で人のことを言うのは簡単ですけれど、でも一人一人の心をみてるのが、難しいけれども、もっとも大切な事ではないだろうかと思います。イエス様の生き方が、まさしくそうでしたからね。罪人と食事をするのは律法違反、汚れた人と食事をしたら絶対だめな事を、掟を破って食事をしていた。自分の立場の中で、自分が引っかかっていることとか、何かイライラしたり、怒ったりすることとか、あるかもしれないけれども、神の慈しみから振り返ってみて、何をどのようにすることが、どのような心で生きるように、今呼ばれているのか、慈しみの自分がどのように受けとめるというのを、振り返ってみるのも、いいのではないかと思います。   ここでもう一つ振り返るとしたら、お父さんですね。真面目人間も、いい加減人間も、両方受け入れて、等しく愛しておられる。慈しみの心でバカ息子の方も、堅い真面目人間の方も、両方とも受けとめて、父なる神の家で、この慈しみの食事に招いておられる。わたしたちがそのような心になるのか。あるいはわたしたちの教会が、そのようになるのか。存在であるかどうか。振り返ってみてはどうか。   また、慈しみの聖年をやると言ったのは、教皇フランシスコですね。ここに「教皇フランシスコ キリストとともに燃えて」という本を持ってきたんですけれど、彼の伝記が翻訳されたのが出たんですね。わたしはこの翻訳に深く関わって、日本語で600ページで厚いんですけれど、今の教皇様の詳しいことを知りたいなら、日本語で読める、一番詳しい伝記の本です。この本から教皇のことをいうと、神の慈しみを生きておられる方ですね。その生き方は簡単なことではない。神様と心を一つにして生きていく、強い信仰、信念というか、自分の生き方の中に一つの軸のようなものがないと、なかなか難しいことかもしれない。  教皇がイエズス会の内部抗争まで、赤裸々に語っていて、当時は難しい時代だった。アルゼンチンのイエズス会で、管区長がトップで、当時60年、70年代は、まだまだ揺れていた時代で、軍事政権が台頭したり、共産党が、ゲリラで戦争していたり、内戦寸前だった。日本だったら学生紛争ぐらいでしたが、当時の南米は共産党ゲリラが、今でいうテロをやっているような時代でした。その中でイエズス会も完全に分裂していた。イエズス会は学校をやっているから、政府関係者とか、大企業のトップとか、イエズス会の学校出身者が、カトリックの国は多いんですね。するとどうしても、イエズス会は権力側になることが多いんですね。軍のチャプレンがイエズス会だったりとか、かたや、貧しい人とともに生きなければならないということで、スラム街に住んでいる神父様とかおられる。イエズス会が内部分裂しそうなときに、今の教皇様が、36歳で管区長になった。全く分裂していたから、どちらの派閥からも管区長が出せない。だから一番若い、最終誓願を立てたばかりの36歳でなった。ちなみにわたしは36歳から神父で働きだしましたが。 軍事政権で反政府勢力は殺されている。神父たちも民衆側につくと、ターゲットになって殺されているような状態だった。そして彼は、軍のチャプレンになっているような神父様から、ブラックリストもらって、殺されそうな神父やシスターや信者を、偽造パスポート渡して、国外脱出させた。また、神学院の中の黙想の家に、殺されそうな人をかくまっていたんですね。政府に殺されそうな人を黙想者だといって入れて、夜中に帰していた。そういう中で仕事をしなければならなかった。結局、軍事政権が終わって、どうなったかというと、左派勢力の神父様が二人捕まって、拷問を受け苦しんだ。ベルゴリオ神父様を、フランシスコ教皇は、管区長として助けようとしたけど、ベルゴリオ神父様は拉致され拷問まで受けた。軍事政権が崩壊して、その二人の神父様が彼を訴えることによって、左派勢力からも訴えられる立場に追いやられた。逆に彼はどうなったかというと、彼はズバズバ言うタイプだったから、権力者側からもにらまれるようになって、左派からも批判されて、右派からも批判されて、結局、彼は50歳くらいで、博士課程のためドイツに送られる、左遷なんですね。ベルゴリオ勢力により、アルゼンチンから追い出された。あまりに彼に対する反対が多いから国外追放されたんですね。そして、教皇は、ドイツで司教様になったから、また戻ってきて政府と戦い、カトリックの国だから、司教様だから地位が高い。政府とか大統領と犬猿の中で、なぜ彼は戦うかといったら、貧しい人を守るためですね。貧しい人の側に立って、神の慈しみを生きていこうとするときに、ものすごい反対にあう。なぜかというと、社会は貧しい人は、基本的には置き去りにする社会だから。この本を読んでも、神の慈しみに生きるとは、それほど簡単なことではない。ある反対する力と戦ったり、中傷されたりしながら、やらなければならない。そのような覚悟がいる。  私自身この本を読んで思ったことは、神の慈しみを生きることは、司祭にとっても簡単なことではないと、つくづく思いますね。  この本の裏に、善きサマリア人の、たとえばなしが書いてありますが、これも有名なお話で、ルカ10章33節ですが「ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い」この追いはぎに襲われて、倒れている人がいて、祭司とレビ人が途中を通り過ぎていくわけですね。善きサマリア人だけは「その人を憐れに思い」この言葉が、ミゼリコルディアということばにあたる。「近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。」有名なところで、よくご存じでしょうが。祭司やレビ人、宗教的に関わる人は、見て見ぬふりをして通り過ぎる。でもこのサマリア人だけが、憐れみの心から、慈しみの心から旅人を助けたお話ですね。教皇フランシスコのことばからですが「世界は無関心のグローバル化に落ちこんでしまった」 無関心のグローバリゼーション。あまりに世界には問題があるのに、多くの人は無関心で、このレビ人とか祭司のように、横を通り過ぎていくだけの人が、あまりに多い。わたしたちは無関心のグローバリゼーションではなくて、まさしく、慈しみの心で生きましょう、ということですね。私自身、教皇様のことばで思ったことは、多くの人は、祭司やレビ人のように生きていると思いますね。忙しくて、自分がやらなければならないことがあまりにも多い。たとえばわたしのことですが、道端で倒れている人がいても、助ける余裕がない気持ちになってしまって、この善きサマリア人の心になれないのは、大きな反省ですね。どれだけフランシスコ教皇が、一人一人を大切にしているのか、山のようにエピソードがこの本にもあるし、アルゼンチンの神父様からも聞きますけれども、一人一人の苦しんでいる人々を、大切にされる。慈しみの特別聖年にあたって、わたし自身が回心しなければならないと、本当に思います。ただ体も弱いので、全部のことをやったら、いつもギリギリの線で生きているので、やりすぎるか、しないか。常にそういう苦しみなんですけれども、でもどうやって慈しみの心を、自分自身が受けとっていくのか。これは大きなチャレンジではないかと思いますね。みなさん一人一人が、慈しみに呼ばれているのは確かだと思います。それはわたしが、わたしなりにできることを。みなさんでしたら、どのような叫び声があるのか。それに対してどのように慈しみの心を持って、わたしたちが応えていくのか。問いかけてみてはいかがかと思います。  そしてマタイ9章35節「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」この「深く憐れまれた」が、ミゼリコルディアですね。「そこで、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』」神様の慈しみの心から、イエス様は「働き手が少ない」と嘆いておられるわけです。この社会の中でも、みなさんの周りの中でも、「飼い主のいない羊のように、打ちひしがれている」人はたくさんいると思いますね。それをみてイエス様は、はらわたから心を痛められた。そして「働き手も少ない」  ここに集まっているみなさんは、当然働き手となるように、イエス様が期待されているのも、間違いないと思いますね。神様は慈しみ深いと、わたしは神父だからよく言うわけですが、誰かがそれをあらわさない限り、伝わらないということですね。みなさん一人一人が、神様が、いかに慈しみ深い方であるかを、あらわすようにしない限り、伝わらないですね。みなさんも生活している場で。あるいはちょっと周りの人々に、みなさん一人一人が働き手となるように、呼ばれているのは間違いない。神様が心を痛めながら、みなさん一人一人に何を期待しているのか。今も昔も働き手は少ないと思いますけれど、改めて問いかけてみてはと思います。私自身、問いかけなければならない。今、置かれている司祭の立場で、これでいいのかどうか、自分自身もしっかりと、問いかけ直さなければならない。心がけとか、心のおきどころ。神様の慈しみの年というのは、それをあらわす年でもありますね。みなさんも改めて自分のやっていることとか、心がけていく、あるいは生活の中でしていることを、少し振り返ってみるといいかもしれません。でも、新たなことをするのもいいし、今やっていることを、どういう心で、どのような態度で、果たしていくかということではないかと思います。   神の慈しみの、元々のインスピレーションは、ポーランド人の、シスター ファウスティナにイエス様が現れて、みなさんに伝えなさい、と言った。そのシスターの本で『聖ファウスティナの日記 わたしの霊魂における神のいつくしみ』聖母の騎士社から出ているんですが、聖人になられた、シスター ファウスティナの伝記を読むと、ほとんど何もやっていない。このシスターはすごく病弱ですから、ボランティア活動など全くしていない、若くして亡くなったシスターですが、神の慈しみをすごく言っていた方なんですね。フランシスコ教皇のように表に立ってあらわす方もいるし、密かな形で神の慈しみを現わす方もいる。ファウスティナの基本的な考え方は、自分自身が日々受けている病弱さとか、他のシスターからの中傷、批判とかの自分の苦しみを、神様に捧げきる。自分自身が感じている、人間関係であれ、体のことであれ、内的な神様がいないという、暗闇の中におかれたりとか、様々な苦しみを経験するのですが、それをイエス様の慈しみの心に合わせ、ささげていく。それでシスターは神の慈しみを、示された方だということですね。神の慈しみを生きるということは、ただ単に活動だけの問題ではなくて、自分自身の感じている痛みや苦しみを、神様の痛みに合わせて捧げきる。それだけで大いなる働き、全く目には見えないけれども、神の前で大いなる貢献をする。このシスターファウスティナの生き方も、参考にされたらいいかと思います。みなさんの中で、内的か、心的か、年齢からの病気で動けないとか、様々な痛みや苦しみを、背負って苦しんでいる方も多くおられると思います。それを単なるマイナスとして、出来ないと考えるのではなくて、その経験している痛みや苦しみを、イエス様の慈しみの心に合わせるときに、みなさんの苦しみや痛みは、価値あるものとして、他の人々を助ける、大いなる力になっているのも、間違いないと思いますね。ボランティアで人を助けることも、絶対しなければならないことですけれども、みんな行けるわけではないし、目に見える活動だけではない。心は、ボランティア活動しようが、自分自身の苦しみを捧げようが、神様の慈しみの心と一つになって、それを捧げるときに、本当の意味が出てくるのではないかと思いますね。神様はわたしたちの心と、わたしたちの態度と、わたしたちのあり方をみていると思います。どれだけたくさんの活動をやったとか、やらなかったとか、そういうところをみているわけではない。わたしたちは慈しみの年を自分なりの生き方で、自分自身のことを振り返って、反省し、悔い改め、神様の慈しみの心と合わせて、自分がどのように、何を捧げて、生きるのか、それをゆっくりと、振り返ってみたらいいと思います。そして一日一日を大切に、イエス様の慈しみの心に合わせて、生きていけるように振り返っていただきたいと思います十 

                 「いつくしみの特別聖年ー主にささげる24時間」

                    導入の講話2016年3月4日東京カテドラル