カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2017-01-01 み心に適う者に平和あれ

英神父 ミサ説教                 神の母聖マリア 聖イグナチオ教会於

ルカによる福音書 2章16-21節  そのとき、羊飼いたちは急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、(彼ら)は、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である十

今日は一月一日、神の母聖マリアの大祝日にあたっています。それと同時に毎年ですが世界平和をお祈りする日というふうに、教皇様が定めておられます。世界をみると様々なところで紛争がたくさんあることは明らかだと思います。パパ様の今年の平和メッセージの中に、世界は散発的な戦いがある、大きな戦争はないかもしれないけれども、いろいろなところで暴力やテロが頻発している。去年を振り返ってもそうだと思います。そのような中でわたしたちは平和を求めていくのは、意味のあることではないかと思います。わたしたちは大きなところはお祈りをささげながらというところですが、わたしたちの周りの生活や、心の中の葛藤を乗り越えていくために、わたしたちは平和の道を歩んでいかなければならないと思います。
そういう場合はどういう心がけが大事かというと、それは今日の福音のご降誕の場面で語られていることですが、羊飼いたちが幼子のところへ来て、幼子について天使たちが話してくれたことを人々に知らせたと。「聞いたものは皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。」とあります。多くの人たちはこの話を不思議なものと思ってそれ以上は気にとめなかったかもしれない。「しかしマリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」とあります。マリア様もその意味は分からなかったかもしれないけれど、それがどういうものであるのか、思い巡らしておられたとあります。
わたしたちが平和を望むならば、平和の道がどのようなものであるのか、それはマリア様と共に思い巡らしながらその道を探していく。それがわたしたちクリスチャンとしての生き方ではないかと思います。
日本の中でも平和でなかった時期は多々ありますが、その一つは戦国時代の血で血を争う国内の戦争が長らくありまして、その時期がちょうど切支丹の時代と重なっているわけです。その中の戦国武将の一人であった、高山右近が今年の二月に列福されるわけですけれども、高山右近の生き方をみるならば、この混乱の中でどのように平和を求めていけばいいのか、そのひとつのヒントを与えてくれているように感じます。彼が高槻の城主になったあとぐらいに、荒木村重が上司で、その上が織田信長だったのですが、その荒木村重が謀反を起こすわけですね。それで信長と敵対関係になるわけです。そして信長が村重を討つ戦いに来るわけですが、その両方の中間にあったのが高槻で、そこに右近がいたわけですね。信長も右近を敵にしたくなかったので、懐柔策というか、脅しのようなことをした。信長は切支丹を守ってきたので、もし村重と一緒に自分に戦いを挑むなら、その切支丹の宣教師を全部追い出して弾圧すると圧迫してきた。それに対して村重のところには、妹と息子が既に人質にとられていて、父親も村重と戦うべきであると強く言ってきて、右近は究極の選択に責められるわけですね。村重について戦うなら、家族を守ることはできるけれども、信長の性格は口でいうだけではないと分かっていたので、切支丹が大弾圧されることは明らか。信長と共に村重と戦うならば、妹も息子も殺されて、お父さんとも刃を向ける関係になってしまう。右近の家臣団も二つに分裂した。
高山右近のすごいところはマリア様のように、絶体絶命で、どっちをとっても暴力と多くの死人が出てしまうのは明らかですけれども、宣教師からは信長につけと言われる中で、右近は家族と家臣団と一緒に祈りをささげるわけですね。神の御旨は何なのか、どういう道を選ぶべきなのか。その中で平和の道は何なのか、神様に必死で願い求める。そして右近は決断をして、刀を置いて断髪、ちょんまげを切って、白装束を着て織田信長のところへ行き、自分は侍を辞めるから、みんなを救ってほしいと懇願しに行く。
誰しも思いつかなかった一つの道を彼は祈りの中で悟って、それを選ぶわけですね。自分を犠牲にして、他の人々を全て救うという道を選んだわけです。信長もそれは驚いたと思います。それは降伏するということになったわけで、逆に右近は信長から評価を高めることになった。右近が信長のところに行ったということを聞いた村重は、戦うことを諦めた。そして右近の妹と息子を解放された。それで血は流されずにそこはおさまった。信じられない平和の道を、右近の祈りによる選択から生まれるわけです。お父さんは敵対側にいますから、信長から死刑にされるところですけれど、右近が懇願したので、流罪ということで減刑された。多くの人の命を救うことができた。
右近には様々の出来事がありますが、その時は三十五歳で、若い中でもうすでに一国の主としてどのような選択をするべきなのか、神の御前で考え祈った結論が、平和への道だったわけです。
わたしたちも場合によっては、それ程ではないけれども、窮地に追い込まれることがある。職場の中で、家族の中で、平和のない、対立やしこりや、問題をわたしたちは抱えることがある。わたしたちは表面的なところで判断しがちですが、こういう時にこそ、マリア様や高山右近のように、何をすべきかをわたしたちは神の前に自分を置いて、祈り求める道を探す。その中でこそわたしたちに平和の道が示されると思います。
この新しい年に大きな困難が来そうな気がしますけれども、何があったとしても、どんな窮地に追い込まれたとしても、表面的な事だけをみるのではなく、わたしたちは神の前で自分自身をおいて、神の御旨を求めるときにこそ、芯の救いの道、平和の道が示される。自分自身に執着していたらその道は示されない。高山右近の場合でも自分や家族の命をどうするかとか、表面的なところでも選択できない。一つの窮地だったわけですけれども、自分の命をもおいて、神の御旨を第一に考えた時に、全く思いもよらない道が開かれてくるということが、わたしたちの中にもあると思います。
羊飼いに天使が何と告げたのか。御心に適うものに平和あれですね。わたしたちが神の御旨、御心が何であるか。それを絶えず問いながら、その御心を生きていく時、実行していく時に、必ずそこに平和が生まれるわけです。それを天使が約束して伝えているわけですね。
だからこをわたしたちは新しい年の初めにあたり、世界平和を願うというのは、自分自身の生き方の中でこの一年、神の御旨を誠実に真摯に求め、それを生きていくということだと思います。その中でこそ今日いる世界平和ということはわたしたちの周りから少しづつ実現していくのではないかと思います。
多くの問題は誰しも解決が分からないんですよ。小さなこと、大きなことをどうすればいいか分からないことが多々あると思いますが、だからこそわたしたちはいつも自分の利害とかを置いて、神の御旨を求めていく時に、平和の道が示されていくと思います。
その平和の道をわたしたち一人一人が見いだし、それを歩んでいくことが出来るようにこのミサでお祈りしましょう十

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第一朗読 民数記 6章22-27節

主はモーセに仰せになった。アロンとその子らに言いなさい。 あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らしあなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けてあなたに平安を賜るように。彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。

第二朗読 ガラテヤの教会への手紙 4章4-7節

皆さん、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです十

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