カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2014-07-27 畑は買ったけれどー隠された宝

 英神父 ミサ説教                         聖イグナチオ教会於

マタイによる福音 13章44-52節 そのとき、イエスは人々に言われた。「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」十

 マタイの13章、天の国あるいは神の国の、印象深いたとえ話をイエス様は語られています。この宝が隠されている畑を見つけたので、喜びながら帰って持ち物をすっかり売り払って畑を買う。神の国はそのようなものだというのです。この人はなんでその畑に宝が隠されていると分かったのか。 
全財産を売ってその畑を買うほどの価値をどうやって見つけたのか、もちろん今の人は銀行も貸金庫もありますから、埋める人はあまりいないと思いますが、昔は銀行とか貸金庫とかなかったので、宝物は土の中に埋める習慣があったのだと思います。でも埋めてそれを覚えておかないと、掘りだすことはできなかったことはあるだろうと思います。だからよく世界中にはあるわけですけれど、日本だったら山梨県だったら、武田信玄の財宝が埋まっている山とか、お宝伝説みたいのがあって、それを一生懸命掘っている人がるようです。
わたしがフィリピンの南のルソン島へ行った時に、現地の人が言っていたのは、第二次世界大戦のときに山下将軍が、中国から財宝をが持ってきて埋めて終戦を迎えたといいますが、日本人からみたら考えられない、現地の人は信じていて、ジェネラル山下の財宝があると掘っている人たちがいるそうです。
財宝とかがが隠されているという確証がなければ、畑を買うとかはあまりないです。これはお宝探しの話ではなくて、神様の国が隠されている、それをどのように見つけるのか、どのように掘り出すのかということ。それはわたしたち一人一人に問われていることではないかと思います。みなさんは生き方の問題ですが、その畑を見つけられているかどうかと、もう一つは隠されている宝をみなさんの生き方の中で掘り出したでしょうかということです。
知り合いで大阪の人でカトリック信者ではなくて、学歴もない、家もそれ程お金持ちではなかったんですが、若いときにお金持ちになろうと決めて、一生懸命働いて、ちょうどバブルの時と重なったから、みるみるお金持ちになって、当時の大阪の一番高いマンションの最上階に住めるくらいにお金持ちになって、大阪にある一番高い宝石も買える、世界旅行も行けるようになっていました。
当時は最上階の部屋で、最新式のテレビを見ていた。その時に彼女の心の中はむなしい気持ちがして、若い時から努力して勝ち得た冨のお金持ちの生活の中にいて、心の中には寂しいむなしい気持ちがしたというんです。そこで終わっていたらいいんですが、バブルが崩壊したと同時に財産をどんどん失って、わたしと出会った時にはアパートで宝石一つと毛皮を一枚以外全部手放した状態で、負債を抱えていて、バブル崩壊と共に富も粉々になってしまいました。その時にキリスト教に出会い洗礼を受けて、あれだけあった冨を失ったけれど信者になった時の方がずっと喜びが大きい。
彼女はお金持ちの生活の中に、隠された宝は全くなかったんです。でも生活の上で全てを失って、毛皮と宝石1個ぐらいになってしまった。でもその生活の中に隠された宝があったんです。だからずっと幸せな生活を送っています。みなさんはどこで隠された宝を見つけているか。畑を買っただけではだめなんです。その後に隠されている宝を掘り出しているかどうか。宝をどれだけ掘り出して、みなさんは生きていくかということ、それを問わなければならないです。
たとえば先週に映画で「大いなる沈黙へ」というドキュメンタリー映画を見てきましたが、カルトジオ会というカトリックで最も厳しい男子修道会なんですが、カルトジオ会とイエズス会は特別な契約があって、イグナチオ・ロヨラはカルトジオ会に入会しようと思っていた時期があるんです。だから今でもイエズス会とカルトジオ会はいつでもカルトジオ会に入れるんですけれども、わたしのイエズス会の後輩は10年間日本のイエズス会にいて、今はイギリスのカルトジオ会に入っています。
全くの沈黙で、食事ですら週に一回一緒にするだけで一人でします。自分の庭があって、一週間ずっと沈黙の中で厳しい生活をするドキュメンタリー映画です。喋れるのは日曜日のお昼ごはんと散歩の時間だけです。それ以外は全く一週間話もできなくて、祈りと聖書と手仕事などにささげている。表面的に見たら厳しい生活ですが、その映画をみて明らかなのは、隠された宝が表れているんです。隠されているから映像にはならないんです。生活そのものは厳しくて、質素なものを食べているし、祈りなどに打ち込んでいる姿しか映像には出てこない。でもここに莫大な隠された宝があるということを見ていれば分かるわけです。
ここにいるみなさんはカトリックの洗礼を受けている方々でしょうし、生き方として畑を買われているでしょう。その購入されている畑に隠されている宝をどれだけ見いだしているかどうかにポイントがある。せっかく隠された宝を生きているかどうかにポイントがある。せっかく畑を買って隠された宝を忘れてその畑の上にジャガイモを植えましょうかとか、パセリが獲れたとか獲れなかったとかだけで一生涯過ごして隠された宝を一度も味わわなければ、宝の持ち腐れということになります。
この中で洗礼を受けられていない方もいるでしょう。洗礼を受けるということは、隠された宝を見つけて、生きて味わって喜んで、感謝しているその生活に招かれているわけです。この隠された宝をみなさん、見つけて何かを通って、この一週間を生活しましょう。
なんといっても神様は見えないですから、神様そのものが隠されているんです。神様は目に見えないですから。神の力や憐れみや恵みは、あふれるように出ているんです。隠されているけど隠されていない恵みの中にわたしたちは日々歩んでいるんです。でも日常生活の畑だけ見たらいけないんです。嬉しい悲しい、うまくいったとか、いかなかったとかということばかりみていると、宝のことを忘れていたら宝の持ち腐れなんです。神様の恵みの世界、そこに生きるようにわたしたちは呼ばれていて、今日も明日もあさっても味わうことができる。畑は洗礼を受けている方々みなさんはすでに購入済みなんです。あとはその宝をどれだけ味わって、日々の生活で生きるかどうか。
呼ばれた人はそうでしょうけれど、カルトジオ教会へ入る必要はないと思います。みなさん呼ばれたところの畑はあるのです。それが痩せた畑か、肥えた畑か、実りがあるかないかどっちでもいいんです。その中に隠されている宝があるから価値がある。わたしたちのクリスチャンの生活はそうですから、お金持ちか貧しいからとか仕事がうまくいっているとかいかないとか、どっちでも本当はいいんです。隠された宝さえ見つけてそれを生きていくならばものすごいお恵みです。しかもどれだけ隠されているか分からないくらい、無尽蔵に隠されている宝があると思うんです。ちょっと発見してこれで良かったと喜んでいるだけじゃもったいない、ものすごく宝が隠されていると思います。
その恵みやクリスチャンに与えられているわけですから、その恵みをわたしたちは少しでも見いだしながら、この1週間を過ごせるように神様にお祈りしましょう十

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第一朗読 列王記  上 3章5. 7-12節

 その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。
 ソロモンは答えた。
「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
 主はソロモンのこの願いをお喜びになった。神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。

第二朗読 ローマの信徒への手紙  8章28-30節

 皆さん、神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです十

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                      2014 年 7 月 27 日(日)
                      年間 第 17 主日 A年
                       カトリック麹町教会 主聖堂於
                        イエズス会 英 隆一朗 助任司祭ミサ説教記