カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2014-09-14 かかしの話

英神父 ミサ説教                         聖イグナチオ教会於

ヨハネによる福音書 3章13-17節〈そのとき、イエスはニコデモに言われた。〉 天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである十

 今日は十字架のお話をしようと思って、十字架を持ってきました。これが一体どういう意味があるのか、そういうお話をしたいと思います。そろそろ秋になってきて、畑とか田んぼで収穫をするんです。その時にいろんな動物とかに食べられないように、昔ですが、かかしというものを立てたんです。人間のような人形を立てて、畑に動物が入って作物を食べられないようにする習慣が、外国でも日本でもありました。
昔々ある所に一人の農民がいて、その人はケチンボだったんです。収穫の時になったら誰にも盗られないように、自分で畑に泊りこんで見張りをしていたんです。でも毎晩泊まり込んでいたら、だんだん疲れてしまって、かかしを作ろうと思いました。
だいたい木を縦横にして、その人はワラで人の体を作って、頭にかぼちゃを乗せたんです。そして顔を麦の穂を口の代わりにしたんです。それでニンジンを鼻につけて、目はトウモロコシの粒を代わりにしてつけたんです。そして服を着せてワラをつけて服を着せて、あたかも人間が立っているようにつくりました。その人は一つ忘れている事があって、心臓を入れていないと思い、梨をかかしの胸の中に入れて、それでかかしに守らせようとしたんです。
でもそのかかしは、ものすごいやさしい、かかしだったんで、そこで見張りをしていたんですけれども、スズメさんが来て、「おなかが空いているから、何か食べものをくれませんか」と聞いたら「自分の口は麦の穂だからスズメさんどうぞ」とかかしさんは言って、スズメさんは喜んで口を持っていったんです。その次にウサギさんが来て、おなかが空いているからかかしさんが「では鼻のニンジンを持っていって」と言って、ウサギさんは鼻であるニンジンを持って行きました。その次にニワトリが来て、いつも卵を農民にとられているから、おなかがペコペコで食べるものはないですかと言ったら、かかしは自分の目であるトウモロコシを、持っていくように言いました。
そのかかしは自分が持っているものをどんどんと与えてしまった。その後に男の子が来て、お母さんが病気で食べるものがないと泣いていました。そうしたら頭のカボチャを持っていくといいと言いました。そしてそのかかしは自分の頭を子供に与えてしまいました。かかしだったけど自分が持っているものをどんどん与えました。最後にホームレスのおじさんが来て、服を持っていなかった。それでかかしは自分の着ている服をホームレスの人に与えたんです。
かかしは持っていたものを全部人に与えてしまった。その時に農家の人が来て、言いました。「せっかくかかしを作ったのに、ただのワラの塊になってしまった。」そのケチな農民はすごく怒りました。そうしたら助けられた動物たちが来て、このかかしはこうして助けてくれたんだけど、ケチな農民ですから、ますます怒って、役立たずのかかしめ、と言って火の中に投げ入れようと思ったんです。
でもその時にふと思い出して、ワラの中に心臓の梨が入っている事を思い出したんです。おまえがそんなに全部を与えるなら、おまえの心臓もとってやると言って、梨を食べたんです。そうしたら、その梨はかかしの心、そのものだったんです。その農民が梨を食べた途端、かかしの全てを与えるやさしい心が、農民の心に入って来て、それで自分がケチで何にも与えなかった事が、間違いだと気付いて、そこでその農民は回心したというお話です。
かかしは火に投げ捨てられたんですけれども、燃えた日が煙になって天に昇ってそのかかしさんは一つのお星様になったという。そしてその人は回心したというお話です。
そのかかしは全てのものをみんなに与えて、困っている人を助けた。それがかかしと十字架が似ているんです。でもイエス様の十字架は、わたしたち困っている人に、いつも全てのものを与えてくださった。
そしてわたしたちのわがままな心とか、自分の事しか考えない心があったら、それを反省して、悔い改める機会を与えてくださるんです。そのイエス様を信じていて、いつもイエス様が助けてくださることを信じていきたいと思います。
今日は十字架を持ってきましたが、これは十字架につけられたイエス様なんです。わたしの持っているものの中で最も大事なものです。わたしが神父になるためにイエズス会に入って、誓願というのをたてたんですけれども、初誓願といって、誓いを神様の前にたてた時にもらったものがこれで、この十字架に生きていくようにという意味で、その誓願をたてた日にもらって、これはわたしが死ぬ時に棺桶に入れてもらって、燃やされるという、他のものはどうでもいいですけれども、これはイエズス会からもらった、わたしの持ち物の中で一番大事なものです。それはなぜかといったら、十字架によって生きるようにということです。いつも十字架に恵みをいただきながら、わたし自身が人々に全てをささげるように、そのようなつもりで暮らしなさいといって、与えられている十字架です。
みんさん一人一人も十字架の心を大事にしながら、このいつもイエス様に信頼しながら、困った時は十字架のイエス様が助けてくださるし、恵みも与えてくださると思います。そしてわたしたちが生きていく時もこの十字架のイエス様を信じて、歩んでいけるようにお祈りしましょう十

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第一朗読 民数記 21章4b-9節

〈その日、イスラエルの民は旅の〉途中で途中で耐えきれなくなって、神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」モーセは民のために主に祈った。主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

第二朗読 フィリピの信徒への手紙 2章6-11節

 〈イエス・〉キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです十

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                      2014年 9 月 14 日(日)
                       十字架称賛 A年
                       カトリック麹町教会 主聖堂於
                        イエズス会 英 隆一朗 助任司祭ミサ説教記