カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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一周年記念2017-10-08全ては神のもの

英神父 ミサ説教                         聖イグナチオ教会於 

マタイによる福音書 21章33-43節〈そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〉 「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。

 『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。

 これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』

だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」十

 ちょうど10月の初めで、秋らしい季節になってきました。先日は海外から来た神父様を連れて、山梨の向こうの方までドライブへ行きました。収穫の秋ですか、田んぼは稲が刈り入れのちょっと前か、稲が黄金色に輝いていていました。
今日の聖書の箇所がまさしく収穫のお話ですね。ぶどう園で労働して収穫の秋を迎えたときに、わたしたちがどのような態度をとるのか。それを問うているように思います。収穫のためには前提としてわたしたちの活動というか、労働が前提になっているわけです。特にこのイグナチオ教会では毎月、月の共同祈願をささげています。今月は活動、働きを神の御旨にかなうものにしましょうということを心がけているんですね。その働きの実りというはどういうものであるか。今日の福音書はわたしたちに問いかけていると思います。
主人と農夫、今でいう小作人でしょうか。自分の土地を耕すのではなくて、雇われて働いているわけですが、収穫の時に、小作人の身でありながら主人に渡さないで、自分たちのものにしようというふうに、あまりに頑なだったので、結局、滅ぼされてしまったという、悲劇的なたとえ話として描かれているわけです。
わたしたちの働きとか、日々の活動とその実りも、結局わたしたち一人一人も小作人だということですね。つまり、借りているわけですね。わたしたち一人一人、神様の小作人だと思います。神様から全てを借りているわけですね。だからわたしたちは神様の小作人として働く。そして実りは当然神様にお返しするのであって、自分のものにするのではないということですね。時々思いますけれども、日頃農業、漁業はやっていないですけれども、農業でも実りは自分のものだ、漁業でも魚は自分のものだといっています。でも実りもお魚も神様のものですね。この世で自分のものだと言っているだけで、みなさんの土地にしたって、法律で守られていて、所有権とか認められているし、所有権を犯すべきではいですが、この地上のものの全ては神様のものだとしか思えない。所有権が与えられたとしても、それは神様から一時的にお借りているだけだと思います。土地にしてもお金にしても。全ては一応法律的には自分のものだとか人のものだとか。それは人間が勝手に線引きしてやっているだけで、全てはわたしたちの神様からお借りしている、預かっている。それをしっかり管理するように委ねられているだけで、時がくればいつでも神様にお返しすべきものであろうと思います。だからわたしたちの働きは、自分のために働くのではなくて、神様のために働く。あるいは神様の実りになることを目的に、わたしたちは働いていくんだと思いますね。
今月の祈りのカードに、マザー・テレサのお祈りを唱えましょうと書いてあります。「主よ、今日一日貧しい人や病んでいる人を助けるために、わたしの手をお望みでしたら、今日わたしのこの手をお使いください。」この通りだと思います。「わたしの手」というのは、神様の手だからです。だから神様にどうぞお使いくださいと、神様の御旨のままに手をお使いくださいというものです。「主よ、今日も一日共を求める人々を訪ねるために、わたしの足をお望みでしたら、今日わたしのこの足をお使いください。」わたしの足も自分のものであるというより、神様のものだから、神様の望むように使ってくださいとお祈りするんですね。「主よ、今日一日優しい言葉に飢えている人々と語り合うために、わたしの声をお望みでしたら、今日わたしのこの声をお使いください。」わたしたちの口も声も神様のものだから、神の御旨にかなうようにわたしたちは働く。だからわたしたちの働きにしろ活動にしろ、神様のものを、神様が望むように有効に活用するからこそ、本当の実りは生まれる。その実りは自分のものではなくて、神様が働いて、実らせてくださったものだから、その実りを神様に返すわけです。旧約聖書でもはっきりしています。農業で初物、最初に採れたものは、神様に感謝しておささげする。なぜかというと本来的に神様のものだからです。全ての実りは、神の恵みの中で行われたことだから。
わたしたちはその自分のものにするのではなくて、神様と共にその実りを感謝して、賛美出来るように願いましょう。多分自分のものにしたって、あまり面白くない。神様にささげることによって、神様が喜ぶし、周りの人も喜ぶし。自分自身も喜ぶことにつながるんではないかと思います。
そしてわたしたちは遅かれ早かれ、死を迎える時があるわけですね。老いていって、全員が死に向かうんですけれども、全てをお返しするわけです。自分の体も命も。自分のやってきたこと全て。最終的に借りているものは全て神様にお返しして、わたしたちの一生は、終わるわけですね。全てを神様にささげて、神の栄光の内に、神様の賛美の内に、日々の小さな活動を行っていくことができるように、特にこの一週間、そのような気持ちでわたしたちの日々の働きをささげていけるように、このミサでお祈りしたいと思います十

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第一朗読  イザヤ書 5章1-7節
わたしは歌おう、わたしの愛する者のために
そのぶどう畑の愛の歌を。
わたしの愛する者は、肥沃な丘にぶどう畑を持っていた。
よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。
その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り
良いぶどうが実るのを待った。
しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。
さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。
わたしがぶどう畑のためになすべきことで
何か、しなかったことがまだあるというのか。
わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに
なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。
さあ、お前たちに告げようわたしがこのぶどう畑をどうするか。
囲いを取り払い、焼かれるにまかせ
石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ
わたしはこれを見捨てる。
枝は刈り込まれず耕されることもなく
茨やおどろが生い茂るであろう。
雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。
イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに見よ、流血(ミスパハ)。
正義(ツェダカ)を待っておられたのに見よ、叫喚(ツェアカ)。


第二朗読  フィリピの信徒への手紙 4章6-9節
 (皆さん、)どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます十

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                      2017 年 10 月 8 日(日)18時ミサ
                        年間 第27主日〈緑〉A年
                       カトリック麹町教会 主聖堂於
                        イエズス会 英 隆一朗 助任司祭ミサ説教記