カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2017-11-19 更に与えられて豊かになる

英神父 ミサ説教  貧しい人のための世界祈願日 聖イグナチオ教会於

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マタイによる福音書 25章14-30節 (そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。)「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。  《早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。》
 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』《次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」》十

  今日の福音書はマタイの25章で世の終わりについてのたとえ話で有名なところだと思います。タラントンのたとえ話と呼ばれていますね。このタラントンですが、英語でそのままタレントという日本語になっているわけです。才能とかその人の能力とか、しかもそれが日本語ではテレビに出てくる芸能人までタレントと呼ばれています。わたしたちに与えられている才能とか持っているものとか、それをどのように生かすのかがこのお話で問われていることだと思います。この1タラントンがどれぐらいのお金かというと、わたしの計算では1タラントンは六千万円ですね。5タラントンだと三億円ですけれども。「少しのものに忠実だった」とは神様の莫大なお恵みからみたらでしょうがわずかだったという。この中にもサラリーマンの方がおられるでしょうけれども、普通の方だったら六千万円や三億円で商売しろと言われても困るでしょうが、しかもそれを倍に増やしたわけですよね。倍に増やすのは相当商売で成功しないと増やすのが難しいかもしれない。当然ここではお金のことを言っているのではなくて、わたしたちに与えられている才能とか賜物のことを表わしていると思いますが、それを倍に増やすというのはなかなか簡単ではないことでもあるだろうと思います。ちょうどそれを二倍に増やすのはどうすればいいのか。何をもって増やしていると言えるのか。お金でなければそれは何なのかということですね。このお話はお金儲けではなくて、それを増やすということですから、それはどういうことか。あるいは持っているものを簡単に二倍にする方法は何なのかということですが、この話をわたしなりに考えて、今もそう思っているのは何かといったら、愛することを主がわたしたちに問いかけていることではないかと思います。というのはある知り合いの大学の先生が言っていて、カトリックではないのですが、人間の幸せで自分だけの幸せというのはあまり大したことではない。本当の幸せというのは相手と自分の両方が幸せになるのが本当の幸せだというんですね。彼はそれを「ダブルハピネスの法則」と言っているんです。学校だったら先生が嬉しくてニコニコしてお話をする。生徒の方もニコニコして聞けば両方とも幸せになるし成績も良くなるし先生も気分が良い。逆に生徒が言うことを聞かないとか無視するとか、そうすると先生も気分が悪くなって両方とも幸せにはなれない。そこにあるのは愛の心が必要なわけですね。それは家庭でも面白くない顔をしていたら相手もそうでしょうし、どっちかが親切にしたら片方も心が嬉しくなって親切な気持ちになると思います。どこでも人がいるところで相手を愛そうとするならば、自分だけが嬉しくなるだけではなくて相手も嬉しくなる。だからダブルハピネスですね。ほとんどの幸せは誰かと分ち合うことによって幸せになる。誰かを愛する時にダブルハピネスになるってことは今日のたとえ話どおりに倍になるんです。自分の持っているものを喜ぶだけではなしに相手もそれを喜ぶから、誰かを愛して両方が幸せになった時に幸せや喜びがすでに倍になっているんです。これがわたしたちの果たしていくタレントとか持っているものとか幸せのエネルギーを生かす唯一の方法ですぐ倍になるんですね。これは本当に素晴らしいと思います。1タラントンの人はなぜダメだったのか。地中に埋めていたのは恐ろしくなり、と書いてありますけれども、ある心理学者は愛の反対は恐れだというんですね。愛さないということ。自分の殻に閉じこもって自分の悩みとかに捕らわれていて、愛さないときに恐れがある。何も増えないわけですね。土に埋めてしまうことと全く同じ。そこにダブルハピネスが増えることはないわけですから、増えたり増えなかったりそれを神様が罰する必要性もないわけです。愛している時に自然とそれはダブルハピネスで増えていくわけだから。そして愛さない時に、恐れに捕らわれている時に、宝の持ち腐れのようになって何の意味もなく滅んでいくものになってしまうと思いますね。
今日はフランシスコ教皇が「貧しい人のための世界祈願日」と定めたということですが、わたしたちは貧しい人と分ち合っていくことによってこのダブルハピネスを世界中に広めていくように呼ばれていると思います。分ち合っていく、物だったりお金だったり、あるいはエネルギーだったり時間を分ち合っていくことによって、タラントンが倍に増えていく。それを主が望んでおられるし、それがわたしたちの心の大きな喜びだと思います。与えられているものを愛の心で増やしていくことが出来るように。わたしたちが倍にして返すのは喜びですよね。わたしたちの幸せを倍返しにして分ち合っていくならば、この世界はより良い住みやすい神の心にかなうものだと思いますが、わたしたちがこのタラントンをより増やしていくことが出来るように、お互い増やし合っていくことが出来るように、このミサでお祈りしましょう十

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第一朗読  箴言 31章10-13、19-20、30-31節
有能な妻を見いだすのは誰か。
真珠よりはるかに貴い妻を。
夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。
彼女は生涯の日々
夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。
羊毛と亜麻を求め手ずから望みどおりのものに仕立てる。
手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。
貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。
あでやかさは欺き、美しさは空しい。
主を畏れる女こそ、たたえられる。
彼女にその手の実りを報いよ。その業を町の城門でたたえよ。


第二朗読 テサロニケの信徒への手紙 第一 5章1-6節
 兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう十

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                       2017 年 11 月 19 日(日)7時ミサ
                        年間 第33主日〈緑〉A年
                        カトリック麹町教会 主聖堂於
                        イエズス会 英 隆一朗 助任司祭ミサ説教記