カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2018-03-11 それでも光に向かって

英神父 ミサ説教   聖イグナチオ教会於  こどもとともにささげるミサ

ヨハネによる福音書 3章14-21節(そのとき、イエスはニコデモに言われた。)「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」十

   今日は3月11日。小さいみなさんは覚えていないかもしれないけれども、7年前に東日本大震災という大きな地震があって、たくさんの人が被害にあった、それが7年前にあった出来事です。大きな人たちは、その日は東京でも非常に混乱があったので、震災の日のことを覚えている人も多いのではないかと思いますが、7年経つと、忘れかけてしまっている人もいるかもしれない。その7年間という中で、被災地に暮らす人々は様々な変化があったと思います。わたし自身は、主に釜石に関わっていて、先週も用事があって行って来たんですけれども、7年という月日は長いようで短い。しかも7年前の様々な出来事を思い出します。一番前に座っている子供たちのような人もいっぱいいて、ある保育園では津波が来て、そこの知り合いの先生が子供を連れてすぐ逃げた。でも小さい子たちで、なかなか行くことが出来ない。何とか上の道路まで出て、それ以上は行けなかった。そこへトラックが来て、運転手さんにお願いして、荷台に全員を乗せてもらって、更に高台の上に行けて、津波から逃れて、その保育園は全員助かった、というところもありました。でも、そうでないところもありました。助かった人もいれば、助からなかった人もいる。震災直後の初期の頃は、何回もボランティアに行って、子供たちとも遊びました。仮設住宅で何回か遊んだこともありました。その子たちは家に帰ると、お父さんお母さんが沈んでるんです。子供たちもやり場のない心で、ストレスを発散して遊んでいたりした。彼らももう、だいぶ大きくなったと思いますけれども、当時の様々なことが蘇ってきます。わたしたちはつい安心してしまうけれども、いつ恐ろしい力が働いて、わたしたちの家族もバラバラになってしまうこともある。今日の福音書でいうならば、いつ闇の力が働いてきて、苦しみの中にわたしたちがまた巻き込まれてしまうことが、度々あるということです。その後7年間、東京は割と平和にきましたけれども、いつ何があるかも全く分からない。一旦破壊的な事があったら、本当にめちゃめちゃになってしまう。わたしたちの生活や全てが壊されてしまうことは、いつでも起こりうる。しかも突然来るので、そのことも思い起こしておいた方がいいのではないかと思います。たくさんの人の話を聞きましたけれども、ほぼ全員、震災の直後は家族の心配をした。お父さんお母さんは大丈夫だろうか。あるいは子供は無事であるかどうかを、ほぼその事ばかり、考えていたそうですけれども、助かった人もいれば、残念ながら助からなかった人もいる。釜石教会のある方は、全て流されて、当時は何にも出来ない、お見舞いの手紙も読めない、返事も一行も書けない、新聞も読めない、ごはんも作れない、何にも出来ないのだと話された。どれ程の大きな苦しみだったのか。そういう話が次々思い出されて蘇ってきます。それと同時に今日のテーマが「光の方へ」と書いてあるんです。本当に思います、何でわたしたちに光が必要なのか。光の方に、行かなければいけないのかといえば、わたしたちにはたくさんの暗闇があるからです。闇があるから、それがみなさんの場合だったら、災害ではなく、他の暗闇がいっぱいあるでしょう。心の中にも、仕事にも、人間関係にも、健康にも、様々な闇がわたしたちの中にも確かにいっぱいある。だからわたしたちは光の方に向かって、歩んで行くことが出来る。苦しい話も聞きました。でもボランティアに来た人たちの善意、半端ない数の人が来て助け合っていた。暗闇もすごいけれど、その暗闇を乗り越える光というのは、やはりわたしたちが助け合ったり、お互い励まし合ったりする、そこから光が生まれたりするのも間違いないです。7年間のことを振り返って、その暗闇の大きさ、いまだに消えてはいないですけれども、それを乗り越えようとする人間の善意、助け合う心はものすごい光です。そこに光があるし、苦しみの中でも、必ずたくさんの光がいっぱいありました。それを思い出すだけで、胸がいっぱいになります。だからわたしたちも、光の方に向かっていきましょう。光というのは助け合ったり、お互い励まし合ったりする中で、暗闇の中に必ず光が灯されてくる。今日のことばでイエス様はこうおっしゃいます。「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る」独りも滅びないで、神様が助けようとしておられる。それはわたしたちが手足となって、助け合うときに、神様の光が、みなさんの心の中にも照らされてくると思います。わたしたちもその光を大切にしながら、暗闇に負けないように、みなさん小さな悩みがいっぱいあるかもしれないけれども、困難もあるかもしれないけれども、暗闇は無くならない。全てはハッピーにならないですけれども、でも暗闇を乗り越えていく、光を必ず灯せます。わたしたちはお祈りして、神様を信じて助け合っていく、いつも暗闇を乗り越えていく、光を灯せるようにする。光に向かって、歩めるように。いまだに暗闇の中で苦しんでいる人もたくさんいます。その人々の中にも光が差すように、合わせてこのミサでお祈りいたしましょう十

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第一朗読  歴代誌 下 36章14-16、19-23節
 (そのころ、ユダの王ゼデキアは主の目に悪とされることを行った。)祭司長たちのすべても民と共に諸国の民のあらゆる忌むべき行いに倣って罪に罪を重ね、主が聖別されたエルサレムの神殿を汚した。先祖の神、主は御自分の民と御住まいを憐れみ、繰り返し御使いを彼らに遣わされたが、彼らは神の御使いを嘲笑い、その言葉を蔑み、預言者を愚弄した。それゆえ、ついにその民に向かって主の怒りが燃え上がり、もはや手の施しようがなくなった。神殿には火が放たれ、エルサレムの城壁は崩され、宮殿はすべて灰燼に帰し、貴重な品々はことごとく破壊された。剣を免れて生き残った者は捕らえられ、バビロンに連れ去られた。彼らはペルシアの王国に覇権が移るまで、バビロンの王とその王子たちの僕となった。こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、七十年の年月が満ちた。ペルシアの王キュロスの第一年のことである。主はかつてエレミヤの口を通して約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。「ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、上って行くがよい。神なる主がその者と共にいてくださるように。」

 第二朗読  エフェソの信徒への手紙 2章4-10節
 (皆さん、)憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです十

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2018 年 3 月 11 日(日)10 時ミサ
 四旬節 第 4 主日〈紫〉B 年
 カトリック麹町教会 主聖堂於
  イエズス会 英 隆一朗 助任司祭 ミサ説教記