カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2018-12-02 待降節 第一主日

英神父 ミサ説教 聖イグナチオ教会

ルカによる福音書 21章25-28、34-36節(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」十

 今日は待降節の第一主日にあたります。伝統的に第一主日は11月から来ている世の終わりの終末について朗読する習慣になっています。マタイ、マルコ、ルカ、どの福音書にも記されている世の終わりの記述ですけれども、なかなか厳しいものがあって今日の朗読の前に書かれているのは、戦争があったりあるいは飢饉があったり地震があったり、さまざまな自然災害が次々と起こって、天体にも悪い影響があらわれるようなことが記されています。困難が次から次へと襲ってくるという事です。このような箇所は二十年前ぐらいは現実味がないように感じたんですが、日本でしたら3.11の東日本大震災以降、こういった記述も遠いものではない気もします。特に今年は西日本の豪雨災害を始め北海道の地震もありましたし、世界的にも自然災害の多い年でした。突然襲うような災害、混乱はいつ来るかわからないし、それにわたしたちも備えている必要性もあります。その中でイエス様がこうおっしゃいます。「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」身を起こして頭をあげなさいとイエス様はおっしゃいますがこれはなかなかできないことです。自然災害が突然来ると喪失感の方が大きい、自然災害が起きて避難所に避難されているような方は、身を起こして頭を上げることはできないんです。突然自分の家が無くなったりしていて、ボランティアの方々が炊き出しとかしているから、避難所の方々も何かやったらいいのではと言われますが、多くの人はできないのです。避難所にきた方々は喪失感と言うか自分の身に起こった災難のために打ちひしがれていて何もする気が起きない、一種のうつ状態のような感じになってしまうのが、だいたい普通の人の傾向性です。3.11の時もそうでしたが、わたしは仕事もキャンセルになってテレビをずっと見ていて、時間はあるのに何にもする力が湧いてこないと言うか、あまりに大きなことでやる気が出てこないような、悲劇の前に打ちひしがれてしまって力が出なくなってしまいました。それが普通の人間の反応だと思います。でもイエス様はここで身を起こして頭をあげなさい、とおっしゃいます。困難や不幸が起きた時にということですが、これはなかなかの挑戦だと思います。でもこのような気持ちも大事だということもわたしたちは言えるのではないかと思います。 3.11の直後の時は鎌倉にいたんですが、力も何も湧かないし、テレビで福島の原発のことも合わせて危機的な中でやる気が出ないような打ちひしがれた中でいました。けれどあの中で驚いたことは、震災数日後にあるビデオメッセージでみんなを励ますものを見ました。わたしはこれに一番ショックを受けて、わたしは絶望的で打ちひしがれていたのに、その慰めと励ましのメッセージがビデオを通して語られました。そのメッセージこそ身を起こして頭をあげなさいと、まさしく身をもって実践されたのです。それに実は励まされて、わたしはこんなボヤボヤしている場合ではない。今こそ自分も立ち上がらなければならないと、このメッセージに励まされてそのあと釜石と福島の両方に行く決意をして、そこから度々支援をする側に回ることにしました。本当に危機的な状況の中で身を起こして頭を上げていくということが、わたしたちの信仰の一番問われるところだと思います。イエス様がそうしなさいとわたしたちに命じているわけですから、その後釜石に出入りするようになって、釜石は街が半壊して教会も傾いて、教会まで水が達している状況でした。最初に釜石で炊き出しをしたのは隣の遠野教会です。震災の翌々日ぐらいにはもう遠野教会の人がおにぎりをいっぱい作って車で運んでくれたのが一番最初の支援でした。隣の教会といっても車で1時間以上もかかるのに、教会の人がすぐにおにぎりを運んでくれた。そういう事こそが身を起こして頭を上げていくことの具体的な例だと思います。直接被害を受けている方々は立ち上がれないんですが、でもその中でも立ち上がれる人は何かをしているところにわたしたちの信仰の希望というものがあるということです。たとえ自分ができなくても誰かが立ち上がることができるんです。それは大きな災害だけではないでしょう。身の回りに起きる突然の不幸もあるでしょう。急に家族や友達に何かあったり、その時に誰かが身を起こして頭を上げて、励ましや希望を生きていこうとするきとに、わたしたちの信仰の意味が、信仰を持っている価値があるのではないかと思います。その時にこそイエス様が天から降って来てわたしたちを励ましてくださる。そういう時にこそ神様の恵みがあると信じて目覚めて頭を上げるということです。
昔、「上を向いて歩こう」という歌がありました。上を向くというのは涙がこぼれないように我慢するということでした。わたしたちが上を向くというのは、単なるやせ我慢ではなくて神の恵みを見るためです。神様の力を見るために、わたしたちは苦しい時こそ頭を上げて神の救いを仰ぎ見るように呼びかけられています。信仰の恵みがいかに大切かという時は危機的な状況になればなるほど分かると思います。来年がどのような年になるのか全く分かりませんし、驚くようなことが起きるかもしれませんけれども、どのような事が起こっても負けないように、わたしたちは神の恵みと神の救いを仰ぎ見て、いつも身を起こして頭を上げて歩んでいく力が与えられていますから、それを信じて恵みにより頼んで歩んでいきたいと思います。    今日はミサの後、教会恒例のクリスマスバザーが行われます。今回のクリスマスバザーは自分たちのためだけではなくて、まさしく困っている人たちを助けるためのバザーです。今年は自然災害が頻発しましたので、被災地で苦しまれている方々のためにこのお金を寄付したいと思います。全ての所に送れないので、西日本の豪雨災害では青年会のボランティアも何人もそこへ行っていました。そういうことでそこを援助したいということと、海外でも多くの災害が起こりましたが、イエズス会の関連で、インドのケララ州でイエズス会が募金を集めているのでそこにも送りたいと思います。インドの南の方のケララは神父様を何人も送っていただいてお世話になっているところです。大きい被害のところでは州の半分ぐらいが水没して壊滅的になりました。避難者が百万人を超えて避難所も多くありました。そういうことで関係性のあるケララに今年はバザーの寄付金を送りたいと思います。これもまさしく身を起こして頭を上げ、わたしたちができることをしていくわたしたちの一つのしるしだと思います。教会がいつも困難や苦しみの中でこそ身を起こして頭を上げて、神の恵みと救いを見つめながらわたしたちが愛のうちに歩んでいけるように、待降節をそのような気持ちで過ごしていけるように、共に心を合わせて祈りを捧げたいと思います十

第一朗読  エレミヤ書 33章14-16節
見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、「主は我らの救い」と呼ばれるであろう。

第二朗読 テサロニケの信徒への手紙 第一 3章12節-4章2節
(皆さん、)どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように、わたしたちがあなたがたを愛しているように。そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。
さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです十

 

 2018 年 12 月 2 日(日)8時半ミサ
待降節第一主日〈紫〉C 年 
 カトリック麹町教会 主聖堂於
  イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記