カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2019-01-01 神の母聖マリア

英神父 ミサ説教 聖イグナチオ教会

ルカによる福音 2章16-21節 そのとき、羊飼いたちは、急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、彼らは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である十

 今日は神の母 聖マリアの祝日にあたっています。一月一日、元日のお祝い のミサにもなっています。新しい年を始めるにあたって、わたしたちはまずはマリア様の心に倣っていきたいと思います。この羊飼いたちの不思議な話を聞いて「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」と書いてあります。わたしたちも新しい年を迎える時に、去年の一年間がどのようなものであったか、それはマリア様と同じように心に納めて、思い巡らすことが必要ではないかと思います。様々なお恵みがあった方もおられるでしょうし、様々な困難や別れを経験された方もおられるでしょう。それを思い巡らすことによって、頂いたお恵みを感謝し、与えられたチャレンジもしっかり受け止めて、それを乗り越えていけるように、わたしたちはマリア様と共に祈りを捧げることが出来るのだと思います。今日のマリア様の祝日は、神の母です。実際は神に母はいないのですが、神様が創造主ですから。でもやはりマリア様を神の母と呼んでいるわけです。そして神の母であるマリア様が「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」というのは、わたしたち一人一人の喜びや悲しみ、あるいは社会で起こっている様々な良いことや悪いこと、それを神の母が全て心に納めて、マリア様自身が、そして神様ご自身が、わたしたちすべてのことを心に納めて、思い巡らしておられるということを思い起こしたいと思います。   去年はこの教会にとっては、二人の神父様が突然帰天されたり、あるいは教会にとても協力してくれている信徒さんが、何人もダウンされて、とても辛い思いをしましたけれども、それでもがっかりしないで前を向いて歩いて行けるというのは、やはり神の母がそれら全てを受け止めて、思い巡らさせてくださっているから、絶望する必要性がないと言えるでしょう。わたしたちを支えておられるのは神様が支えておられて、 神の母も支えてくださっている。喜びや悲しみ、日常の何気ない出来事。そして人生の全てが、神様によって支えられている、その感謝の心と支えられている安心感と共に、去年を振り返ると共に、新しいこの一年も神様が支えられておられているという信頼の中で、歩んでいけることができると思います。そしてその信頼は別の言葉で言うと、今日の第二朗読「ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。」と言っています。奴隷ではないということですが、しばしば苦しいことや辛いことがあると、人間に縛られたり、組織に縛られたり、苦しみに縛られて、奴隷のような気持ちになってしまうということも時々あるでしょう。場合によっては、信者であるということを自身を奴隷のように捉えて、こうしなきゃならないとか、こうでなければならないとか、もうすることができないとか、奴隷のようになっていて、そのように自分を縛ってしまうということも、なきにしろあらずでしょう。でも奴隷ではない。子供であるということです。子供の資格は何かと言ったら、神によってたてられた、相続人だと言っているわけです。子供だから相続人になれるのです。使用人とか雇われている人は相続できないわけです。皆さんの中にも相続される方はおられるでしょう。子供というだけで自動的に、何百、何千億円を相続することができるわけです。それは資産家であればあるほど子供であるというだけで、莫大な相続をもらえるわけです。本人の功徳とは全く関係なく、子供であるからという理由です。でもわたしたちは神の子供であって、神の相続人であるわけです。ではわたしたちが相続できないものは一体何なのかと言うと、それは何百億では計算できない。神の無限の恵みを相続できる。だから神の子供なんです。それを思い起こしましょう。神様の無限の資産と言うか、無限の恵みと、無限の宝を、わたしたちは神の子だから相続人としてたてられている 。その莫大なお恵みをわたしたちは頂くことができる権利が与えられているというわけです。それを思い起こしましょう。皆さん入り口の紙に今年のお願いを書かれたでしょう。後から祭壇にお捧げして、お祈りとして捧げたいと思いますが、神様の無限の恵み、それをわたしたちは相続できるわけですから、新しい年を神様の豊かな恵みを、必要な恵みをいただけるように、それを願いたいと思います。そして主がそれを わたしたちに与えたいと思っておられると思います。神の子供として、神の母の子供として、わたしたちがこの新しい一年をスタートできるように、お祈りを捧げましょう。そして今日はまた世界平和を願う日に当たっていますので、世界平和を願う一つの心がけは、わたしたちは神の子であるということです。わたしたちだけではなくて、周りにいる人々すべてが神の子であるということも思い起こしたいと思います。どういうことかと言うと、わたしたちの周りにいる人を決して奴隷にしてはならないということです。自分自身が奴隷になってはならないように、周りにいる人々を奴隷にしてはならないと思います。同じ神の子の相続人として、敬意と尊敬の念を持って接する。だから人種とか民族とか国籍とかで差別をしたり、肌の色で人を差別したり、あるいは社会的な何かで人を差別するようなことは、神の子としてふさわしくないでしょうし、平和を作っていくのにふさわしくないと思います。誰をも奴隷だとか、劣っているだとか、誰かの自由になるとか、誰かの奴隷として人を使っていいということはないです。わたしたちはみな神の子であるということも、平和の出発点としたいと思います。お互いを同士を神の子として尊敬と愛をもって関わるならば、どこの国の方も、同じ神の国の子として関わっていくならば、平和を築いていくことができるだろうと思います。わたしたちが神様に守られている。自由と愛を与えられている相続人としてたてられているものとして、自分自身の平和と恵みを願うと共に、やはり今日は世界平和の日としての祈りを捧げ、この一年、一人一人がお恵みに満ちた年となるように、お祈りを捧げましょう十

第一朗読 民数記 6章22-27節 主はモーセに仰せになった。
アロンとその子らに言いなさい。
あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主が御顔を向けてあなたを照らしあなたに恵みを与えられるように。
主が御顔をあなたに向けてあなたに平安を賜るように。

彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。

第二朗読 使徒パウロのガラテヤの教会への手紙 4章4-7節
皆さん、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです十

 

 2019年 1 月 1 日(火)10時ミサ
  神の母聖マリア〈白〉C 年 
 カトリック麹町教会 主聖堂於
  イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記