カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2017-01-09 神の恵みを知る人に

英神父 ミサ説教             主の洗礼の祝日 聖イグナチオ教会マリア聖堂於

 マタイによる福音書 3章13-17節 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた十 

 一月九日、日本では成人の日でお休みですけれども、今年はちょうど主の洗礼を記念するミサを行う日にあたっています。この改宗式にしろ、入門式にしろ、主の洗礼の日に行われるのはふさわしいことかと思います。
降誕のお祝いが終わって、明日から年間、普通のカレンダーになるのですが、その最初の日が主の洗礼からで、大人のイエス様の活動が出発する、ここから朗読されるわけです。この主の洗礼の箇所は印象的で、いつも入門講座の一回目でお話しているところですけれども、イエス様自身が洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた。その一番の恵みは、天から声がして「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声を、イエス様はしっかりと聞いた。神様から愛されている子だと、はっきりわかったわけです。聖霊がくだることによって、イエス様の心の底まで染みわたった。メシアとしての活動の、いわば出発が始まるわけですが、これはイエス様の出発であると同時に、わたしたち洗礼を受けた者の出発点でもある。つまり神様から愛されている、神様から恵みを受けている、神様から受け入れられている存在として、わたしたちは生きているということを自覚する、その意識の中でわたしたちは生きていく。
世間一般ではクリスチャンのイメージがあり、清い生活をしているとか、ボランティア活動しているとか、真面目にやっている人たちというのが一般のクリスチャンのイメージと思いますけれども、クリスチャンの恵みというのは、神の愛を知っている人だと思います。神の愛を頭で知っているわけではなくて、心でわかるような、それが自分に染みていることを実感している恵みが与えられている。わたしたちが神様から与えられている存在だというのがわかり、その恵みを生きている人ですね。だからボランティア活動などするかどうかは二次的なことだと思います。真面目に生きるかとか、きちんとした生活をするかどうかとか。多くの人は神様の愛を知らないから苦しんでいる。
もちろん家族や友人から愛されているいないとかはわかりますけれども、周りの人間関係はどうであろうと、神様が自分自身を心から愛し守り導いてくださっている、この安心感があるという、それを知っているのがクリスチャンである、そこに尽きていると思います。それを実感しているからこそ、わたしたちは日々の生活を全く違う感じで生きている。
もちろん仕事がうまくいかなければ人と同じように落ち込むし、体の調子が悪い時もありますけれども、たとえそうであっても神様はわたしたちの根本的な存在をなにがあっても支えてくださっている。自分が罪を犯しても、犯さなくても、真面目であろうが、なかろうが。神様がわたし自信をいつも見守り導いてくださっている。その深い確信というか、自分の存在の基盤になるものがあるというのが一番大事な事で、これ以外に代えられるものはないと思います。信仰の恵み、これ以外でこの世に大切なものはあるのかどうか。
今日、入門式を受ける方は、ほぼ全員が洗礼を受ける決意をされていて、これからさらに知識として学んでいかれたらと思いますが、一番大事なのは神の恵みを知って、恵みのうちに歩んでいくということですね。その中でも大事なのは、神様の声を聞いて、イエス様が洗礼を受けられた、沐浴みたいに水に浸かれたのは、自分の生き方を新たにする。古い価値観とか囚われとかを横に置いて、なにか新たな恵み、生き方を少しずつ身につけていく。水に沈んでそこから出る、それはみなさんの洗礼の時に、額に水をかけるという形で示しますけれども、本当のところは古い自分の囚われとか罪とか、苦しみとか悩みとか、それを全て洗い流して、神の恵みのうちに新たに生まれる、新たな命をいただく、洗礼式のお恵みですけれども、それを日々の中で少しずつ学んでいくことだと思います。自分の中にあるものを少しずつ置いていきながら、新たな恵みの世界に少しずつ心を開いていく。それを少しずつ味わっていく。それが一番の学びだと思います。
講座で話を聞くとともに、自分でも祈りをしながら、あるいは自分の心を見つめて、整理をしながら少しずつ歩んでいかれたらいいのではないかと思います。
神の愛は莫大な恵みです。現代社会はその恵みが隠されているような気がします。だからこそわたしたちはイエス様のあとに従うことによって、この恵みを一生涯かけて、少しずつ味わっていける、それを周りの人と分ち合っていけるのではなかろうかと思います。
この世のことを大切にしながら、でもこの世を支えている神様の恵みの世界に、わたしたちが少しずつ目が開かれて、恵みのうちに歩んでいけるように、このミサと共にお祈りしたいと思います十

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第一朗読 イザヤの預言 42章1-4,6-7節

(主は言われる。)見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。
わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊は置かれ
彼は国々の裁きを導き出す。
彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
傷ついた葦を折ることなく
暗くなってゆく灯心を消すことなく
裁きを導き出して、確かなものとする。
暗くなることも、傷つき果てることもない
この地に裁きを置くときまでは。
島々は彼の教えを待ち望む。
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び
あなたの手を取った。
民の契約、諸国の光として
あなたを形づくり、あなたを立てた。
見ることのできない目を開き
捕らわれ人をその枷から
闇に住む人をその牢獄から救い出すために。

または、

使徒言行録 10章34-38節
 (その日、)ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです十

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