カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2018-05-27 世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる

英神父 ミサ説教   聖イグナチオ教会於 三位一体の主日

      youtu.be

マタイによる福音書 28章16-20節 (そのとき、)十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」十

 今日の祝日は三位一体の神様をお祝いを祝福する祝日です。三位一体の祝日にあたるのでこの朗読箇所が選ばれたと思います「父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」名によって、カトリック信者がお祈りしている時に、十字を切りながら最初と最後にこの言葉を唱えることが多いです。名によって、とはどういう意味か。英語の聖書を見たらIn The Name と書いてある。名前の中に、という意味です。長年ずっと疑問に思っていて、ギリシャ語では~の中へ、です。~の中へという直訳です。何で英語になるとinになるのか、日本語だと~によって、になるか長年疑問に思っていて、フランシスコ会の聖書では、名に入れる、と訳しています。正しい訳と思います。名に入れるとはどういうことなのか。聖書の中では名前というのは、肩書きを表すものでもあります。名前というのは実質的な本質そのものでもあります。直訳的な意味を解説したら神様は三位一体の交わり、三位一体で互いに愛し合っている神様の共同体的な交わりの中に、私たちが入れてもらう。私たちが入るという意味です。ミサのすべてのお祈りは、ミサにあずかるということは、それ自体が三位一体の神様の交わりの中に、そのまま入る、あずかる、投げ込まれるような。三位一体と言うと抽象的な感じがしますが、祈るたびに三位一体の交わりの中に入れてもらっている。交わりの神秘を生きていくようなものです。どっぷり浸ると言ってもいいかもしれない。疑問箇所は人によって色々あって、ケセン語訳の山浦さん、聖書をケセン語で訳した方がおられますが、お医者さんなんですけれども、趣味でギリシャ語とヘブライ語を勉強してケセン語の大辞典を訳した。ここを普通の標準語に訳すと、父と子と聖霊の力を身に帯びて、と訳します。かなり意訳ですけれども、神様の三位一体のお恵みの中にずっぽり入って、それを生きている恵みが与えられているというのは三位一体の意味です。三位一体の交わりにいつも入れられています。そのまま浸るような生き方を、その中で三位一体の栄光の神秘を、生きていくことができるということです。これは本当のお恵みだと思います。
ニ週間前にケルクマン神父様が、先週は佐々木神父様が二人とも突然でした。二人のことを比較して思い起こしていたんですけれども、対照的な二人でケルクマン神父様は体が大きい、性格的にも外交的でおしゃべり大好きで、佐々木神父様は静かで、動と静と言うか、亡くなる時も二人とも突然だったですけれども、ケルクマン神父様は病院でイエズス会員は一人でしたが、病院の方々に囲まれて亡くなられた。佐々木神父様は修道院で一人でひっそりと亡くなられました。亡くなられ方までその人に相応しかったのではないかと思います。二人のスタイルとか正反対なものでしたが、間違いなく二人とも、先ほどお話しした三位一体の交わりの神秘を生きていたと思います。全く違う方法ですけれども、それぞれの道は三位一体の中に入ってそれを生きる。二人は全然違う対照的だけれども、神の恵みの栄光を表すようなそのような生き方ではなかったかと思います。
今日は私の後ろに浦神父様が座っていて、田丸神父様と私とほぼ同じ世代ですけれども、だいぶ前から東ティモールに派遣されて、かなり貧しいところですが、やはり三位一体の栄光を生きている。田丸神父様や私は大都会の喧騒の中で三位一体の神の恵みを表そうとしているわけです。みなさん一人一人そうでしょうけれども、静かな生活を送られている方もいるでしょうし、忙しい生活を送られてる方もいるでしょう。様々ですが、みなさん全員三位一体のお恵みにの中に招き入れられて、その中に生きるようにいつもいつも呼ばれていて、それを生きていくんです。もちろん三位一体的な交わりでもない、この世的な不幸と言うか突然の苦しみとか突然の困難があるのはもちろん当たり前のことですが、それを乗り越える三位一体が、神様の恵み交わりの神秘が、私たちの中にある、神秘の中に私たちは入れられている。その恵みも思い出しにくいですけれども三位一体の祈りを捧げているミサにあずかるたびに、祈りをささげるためにそれを思い起こしましょう。神様の交わりそのものが私たちを包んで、その中に私たちが生きていく現実があるということです。ケルクマン神父様と佐々木神父様は三位一体の交わりをもっとリアルに、天国に行くということはそういうことだと思います。三位一体の交わりを実感する空間の中に入ることだと思います。わたしたちもそれに向かって、その中に入れられるように向かっているわけです。そのような世界に招き入れられるように、私たちも歩むことができるようにお祈りしましょう。亡くなった方々にはそのような恵みがあるように、祈りを捧げるとともに、わたしたちも日々の生活の三位一体の交わりの中で、過ごしていけるように出てお祈りいたしましょう十

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第一朗読  申命記 4章32-34、39-40節
 (モーセは民に言った。)あなたに先立つ遠い昔、神が地上に人間を創造された最初の時代にさかのぼり、また天の果てから果てまで尋ねてみるがよい。これほど大いなることがかつて起こったであろうか。あるいは、そのようなことを聞いたことがあろうか。火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きている、あなたと同じような民があったであろうか。あるいは、あなたたちの神、主がエジプトにおいてあなたの目の前でなさったように、さまざまな試みとしるしと奇跡を行い、戦いと力ある御手と伸ばした御腕と大いなる恐るべき行為をもって、あえて一つの国民を他の国民の中から選び出し、御自身のものとされた神があったであろうか。
 あなたは、今日、上の天においても下の地においても主こそ神であり、ほかに神のいないことをわきまえ、心に留め、今日、わたしが命じる主の掟と戒めを守りなさい。そうすれば、あなたもあなたに続く子孫も幸いを得、あなたの神、主がとこしえに与えられる土地で長く生きる。

 第二朗読  ローマの信徒への手紙 8章14-17節
 (皆さん、)神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです十

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 2018 年 5 月 27 日(日)10 時ミサ 
三位一体の主日〈白〉B 年
 カトリック麹町教会 主聖堂於
  イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記