カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2018-11-18 わたしの言葉は決して滅びない

英神父 ミサ説教  聖イグナチオ教会於 貧しい人のための世界祈願日

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マルコによる福音書 13章24-32節 (そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」十

  11月の終わりになってくると、世の終わりのところを朗読することになっています。秋が深まって葉が落ちて、それと合わせてこの世が滅びていくというか、11月は死者の月でもあるし、この滅びをわたしたちは受け止めていきましょう、という朗読箇所が毎年読まれています。そして今日もそのような朗読です。 イエス 様がはっきりおっしゃるんです。天地は滅びるが、この世にあるものは全て滅びてしまう。しかしイエス様の言葉は決して滅びないと、イエス様がおっしゃるわけです。なんでこのイエス様の言葉だけが滅びないのか。考えてみるとよく分からない部分がある。わたしたちの歴史を見たときに、一体何が滅び、何が滅びないものなのか。わたしたちは認識する必要性があるでしょうし、滅びるものではなくて、滅びないものに、わたしたちの生き方を合わせていく事が望まれています。何が滅んでいくのかというと、ほとんどは滅んでいくということです。イエス様が誕生してから二千年以上がたちますが、二千年以上続いているものはほとんどないといえるでしょう。みなさんが勤めている会社で二千年間続いてる会社は一つもない。何十年か、何百年続いたらいいほうかもしれない。国そのものもそんなに続かない。国が発行しているお金だって少し時がたつと価値が無くなってしまう。そのようなものであろうと思われます。今の日本政府も70年しかたっていない。政府だっていつか代ってしまってもおかしくない。二千年続いているものはあまりないということです。昔の遺跡をみたら街ごとなくなっている所がよくあります。建物が残っているといっても、ただの廃墟が残っているだけでしょう。そんなに何千年も前に造った建物は残っていない。残っているとしてもただそれは遺跡で、文化的価値はあるかもしれないけれども残すことはできない。滅んでいくものは案外多いわけです。逆に二千年間、滅んでいないものはいったい何かと考えた時に、残っているのは言葉なんです。言葉が残っていて、例えば聖書は残っていて旧約聖書は二千年以上残っています。イスラエルの国はあったりなかったりしょっちゅうしていますけれども、聖書はあります。あとは論語とかお経もどの時代に書かれたかですが残っています。ギリシャ哲学の本とか残っている。言葉は二千年ぐらい残っているということなんです。物は何十年か何百年で消えますけれども、言葉は消えていないんです。だからわたしたちは聖書も読めるし、中国の古典の本だって言葉は滅びていないということがいえるでしょう。そしてなぜ言葉が滅びないのかというと、特にわたしたちが大切にしている聖書がなぜ滅びず続いていくのかというと、そこに示されているものが真実の生き方が記されているからです。言葉だけだったら価値が無いけれども、言葉に土台を持つ真の生き方があるから滅びないんです。ギリシャ文学だって大したものでなければどんどん滅んでいくでしょう。たくさんの詩人がたくさんの詩を書いたり世界中そうだったでしょうけども、ほとんど滅びたわけで、残っているのは真実の生き方を示しているものが何千年も生き残れる。これはイエス様のおっしゃるとおり、滅びないのはこれだけなんです。わたしたちの生き方は、滅びないイエス様の言葉に基づいて生きていることを思い起こすことが大事です。人間はせいぜい百年ぐらいしか生きられない。百年後にはここにいる方はほとんどいらっしゃらない、ほとんどみんな亡くなっているんです。子供か孫か曾孫の時代も、真実の生き方は全く滅びずに受けつがれていくということです。そこにわたしたちの希望と確固たる生き方の基盤があるということです。わたしたちはついつい神の言葉が心に響くのは一番弱々しいということがあるかもしれない。現実に基づいてないとか、こんなに苦しいとか、頼りなく思うこともありますが、本当に残るのは言葉と生き方なんです。他のものは消えてしまいます。せいぜい何十年、何百年続いたらいいほうでしょう。そういうものにわたしたちは基盤を置くことは愚かだと思います。日本政府だってどれくらい続くかわからないですし、年金がどうのこうのとか言っていますけれども、どうせ滅びます。何十年かたてば年金制度もどうせそういうことは滅びるんです。滅びない方がいいのですが、長いスパンで言えばどうせ滅びるんです。年金ある無しとかで心を乱しているのは全く意味がないということです。滅びない真実の言葉と、真実の生き方こそが確固たる基盤であって、そこに基づいて生きていく時にこそ、わたしたちの生き方は命につながるわけです。真実の言葉と真実の生き方こそが永遠の命につながるということです。この世において、言葉は滅びていないんだから。それをしっかり意識して滅びるものに捕われるのではなくて、滅びない本当の真実のものにより頼んでいくならば、わたしたちの命は本当に日々、生き生きとしたものになるのではないかと思います。当然真実のことばにあるのは、今日の祈願文ですが、貧しい人や苦しんでいる人を助ける隣人愛の心とかは真実の生き方です。いつの時代もわたしたちは貧しく苦しんでいる人と共に助け合いながら歩むように生きていく。真実の言葉はそれだけではありませんが、そのような神の言葉に基づいて、わたしたちはこの一週間、確固たるものに自分の生き方をおいて歩んでいけるように共に祈りをささげましょう

第一朗読  ダニエル書 12章1-3節
その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう お前の民、あの書に記された人々は。多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入りある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。目覚めた人々は大空の光のように輝き多くの者の救いとなった人々はとこしえに星と輝く。

第二朗読  ヘブライ人への手紙 10章11-14、18節
すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。
罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません十

 

2018 年 11 月 18 日(日)10時ミサ
 年間 第 33 主日〈緑〉B 年 
 カトリック麹町教会 主聖堂於
  イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記