カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2019-01-13 主の洗礼

英神父 ミサ説教 聖イグナチオ教会於

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ルカによる福音書 3章15-16、21-22節(そのとき、)民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた十

 今日は一つ質問をします。前に座っている子供たちに考えてもらって、イエス様のお父様は誰ですか?ヨセフ様、神様。二つの答えがありました。どちらがイエス様の本当のお父様かと言ったら、実はヨセフ様ではないんです。ヨセフ様とイエス様は血が繋がっていなかったので、本当のお父様ではありませんでした。一緒に暮らしていたから事実上のお父様ですが、実はイエス様の本当のお父様は、神様なんです。今日の福音書の最後の方で、神様がイエス様におっしゃいます。天が開いて父なる神様がイエス様に「あなたはわたしの愛する子」とおっしゃっていますから、神様がイエス様のお父様であることの確かなしるしなんです。イエス様は洗礼を受けることによって、神様が自分の本当のお父様だということを、お父様である神様の声を聞いて気づかれました。だからイエス様はこのあと、神様の子として活動を始めるということです。それを少しみなさんも思い起こしていただいたらいいと思います。前に座っている子供たちも、後ろに座っている大人たちも、洗礼を受けた方々はたくさんおられると思います。洗礼を受けた人はみな、二人のお父様を持っています。自分のお父さんと、神様がお父様だということです。それを思い起こしましょう。そして神様がお父様だとしたら、わたしたちはみんな神様の子供で、今日のテーマなんですが、わたしたちはみんな神様の家族だということです。それを思い起こしたいと思います。多くの子供は自分のお父さんお母さんから大切にされているでしょう。それと同じように、わたしたち一人一人は神様がお父様で、神様がみなさん一人一人を大切に愛する子であって、心に適うもの。普通の言葉で言ったら、お気に入りの子供だと思ってくださっている。それをわたしたちは思い起こしていきたいと思います。だからわたしたちはみんな、神様がお父様なので、みんな兄弟姉妹なんです。それを忘れないようにしましょう。だからみんな兄弟がいる人たちは、お父さんから兄弟喧嘩はしないように言われるでしょう。兄弟喧嘩したら、お父さんが大体注意するでしょう。だから皆さんも兄弟喧嘩をしないようにする必要があります。わたしたちはみんな兄弟で、兄弟みんなが喧嘩しないで、神様の子供であるように、みんなが家族として生きるように心がけたいと思います。   今日のミサの後、ワールドユースデーの派遣式があります。そしてみんなが神様の子供で兄弟であるということを、わたしが強く感じたのは、ワールドユースデーに参加した時の事なんです。みんな二十歳前後になって機会があれば、是非参加されたらいいと思います。わたしは2000年のローマ大会に参加しました。その後ももう1回行きましたが。そのときはもう大人で神父でしたが、リーダーの一人として参加しました。ローマの郊外で、200万人で最後にミサがありました。200万人がどれぐらいの人かと言ったら、わたしの出身の神戸は、大体100万人ですから、神戸市の人口よりも多い人々が一つの所に集まって、ミサを捧げました。ものすごい大きい野原で、前の晩に来てみんなそこで野宿をするんです。当日移動することができないから。晩の祈りがあって、その場でみんな野宿して、翌朝にミサがあります。日本のグループは一番後ろの方に座っていたんです。神父様方は一番前に席があるので、歩いて行ったんですが、そこまで歩いて行くのに30分かかりました。この教会の一番後ろから祭壇までは10秒ぐらいでしょう。200万人ですから、一番後ろの席から一番前に来るのに30分かかりました。大きさを計算したら、日本人がいたグループがここの四ッ谷だとしたら、祭壇が新宿御苑ぐらいまでです。ここから歩いて行ったらちょうどそれぐらいです。歩いて行くしかなく、そしてそこは200万人全員若者です。当然そこから祭壇は見えず、大きなパブリックビューイングのモニターはたくさんありますが、それが米粒ぐらいの大きさしか見えません。そして一番前に行くと神父様だけで6000人いたんです。神父様方の席は一番前だけれど、そこからパパ様がいた祭壇はやはり米粒ぐらいの大きさにしか見えませんでした。とにかく大きいんですが、そこに集まったのは若者で、そしてみんな神様の子供です。神様をお父様としている人たちが集まったんですけれども、男の人も女の人もどんな国の人も、いろんな人がいました。50カ国ぐらいの人はいたでしょう。なんの区別もなしに、みんなで一つのミサに預かっていました。それはみんな神様の子供だと本当に思います。その時の教皇様はヨハネ・パウロ2世でした。語学の天才でした。だから9時ぐらいからミサが始まって、終わったのが12時ぐらいで、3時間ぐらいのミサでした。一番最後に教皇様が挨拶をするんですが、全ての国の言葉で挨拶をされて15分ぐらいかかりました。つまりそれだけたくさんの国の人がいて、みんな一つの家族だったんです。それはわたしにとって特別な神様のお恵みの体験でした。200万人が一つのミサにあずかって、みんな神様の子供。なんの区別もなしに、喋っている言葉もみんな全然違うけれども、平和の挨拶をして一つでした。ここに集まっているわたしたちも大勢ですけれども、わたしたちは一つの家族だということです。それを思いを起こしましょう。残念ながら、この世の中は区別や差別があります。国で人で差別することがあります。もしかしたらみんなの学校の中でも、イジメがあるかもしれない。わたしたちはそのような区別や差別を乗り越えなければなりません。この教会から今度のワールドユースデーに派遣される予定だった若者の一人は、日本国籍を持っていないので別のビザが必要でした。そして残念ながらビザがおりず、参加できなくなりました。残念ながらわたしたちには区別や差別があるから、そういうことで一つになれないということはあります。そういう現実があることも認めなければなりません。  わたしはイエズス会に属していますが、日本の管区長は今のパパ様と同じアルゼンチン人です。日本に来て長い方ですが日本国籍は持っていません。カナダで国際シンポジウムがあるので、管区長は講演者として呼ばれたのですが、なんとカナダ政府は彼にビザをおろしませんでした。だからカナダのシンポジウムのパネラーとして参加できませんでした。昨年の秋の話です。だから今でも明らかに国籍とかで差別をされているということは実はいっぱいあります。信じられませんが、日本のパスポートでは今ではどこの国も行けますが、でも国と国との関係で行けない人が、実はいっぱいるということも忘れないようにしなければなりません。でもそういうことがあったとしても、わたしたちは神様の子供として平等であるし、お互いを差別したり、イジメたりということがないように生きていかなければなりません。そういうことを思いながら、わたしたちはみんな神様の子供であるということを思い起こしながら、今日のミサで共に祈りを捧げましょう+

第一朗読  イザヤ書 40章1-5、9-11節
慰めよ、わたしの民を慰めよとあなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と。呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備えわたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
高い山に登れ良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるなユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神かみ見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

第二朗読  テトスへの手紙 2章11-14節、3章4-7節
(愛する者よ、)すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。
しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです十

 

 2019年 1 月 13 日(日)10時ミサ
  主の洗礼〈白〉C 年 子供と共にささげるミサ
 カトリック麹町教会 主聖堂於
  イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記