カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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4-11復活なさったのだ 恐れることはない

復活の聖なる徹夜祭 動画配信

英神父 ミサ説教 イグナチオ教会於

マタイによる福音書 28:1-10  さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤヘ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」+

  みなさん、イエス様の御復活おめでとうございます。今年のイエス様の復活を迎えるというのは、非常に特殊な形になりました。今日もここに、聖堂には司祭とほんの少しのスタッフが集まっています。幸いなことに、みなさんが折っていただいた鶴が、ざっと数えて1,200ぐらい集まりました。皆さんの分身というか、皆さんの代わりに祭壇の周りを1,200ちょっとぐらいの鶴が、文字通りの千羽鶴よりも多いぐらいが集まっています。そして中継を通して今、ミサに参加されている方々が多いと思います。そういう中でイエス様の復活を迎えるということは何か意義深い。いつもと違いますけれども、さらに意義深いものがあるのではないかと思います。

 イエス様が復活された時に、またマタイの福音書だけに書いてありますが「大きな地震が起こった」そしてイエス様の墓にあった石が転げ落ちるような形で、いわば天変地異というか、何か特別な動きとともに、イエス様が復活したと、マタイの福音書には書いてあります。コロナウィルスのことを考えると、心に響くように思います。そして地震が起こって、皆大騒ぎする中で天使が現れてくるんです。すると「番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」と書いてあります。地震と特別なことがあって、イエス様を殺されて、自分たちは勝利したと思っていたユダヤ人側の人が、逆に「恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」と書いてあります。わたしたちの今の大きな災害というかコロナウィルスですよね。一万分の一ミリだったか、目に見えない小さなものが、全人類に襲いかかっているわけです。

 この2か月ぐらいのことを思うと、自分のこともそうですし、周りの人を見ていて思うことは、コロナウィルスも恐ろしいですけれども、コロナウィルスに付随して沸き起こってきている不安とか恐れとか、それにわたしたちがもっと巻き込まれているのではないかと思います。一応、政府はこうしなさい、ああしなさいと、その指針通りにすればいいのですが、そこにどうなるのかとか、家に閉じこもっていてとか、仕事のことだとか、子供の教育がとか、おじいちゃん、おばあちゃんのこととか、ウィルスそのものよりも、ウィルスに伴った恐れの蔓延というか、恐れの悪霊というか、そういうものが割とわたしたちを包んで、非常に過敏になって攻撃的になったり、ものすごく落ち込んだり、そういうことの方がもっと問題ではないかと思います。

 天使とイエス様がなんとおっしゃっているか。「恐れることはない」天使も復活されたイエス様の第一声は「恐れることはない」ということです。これは復活の第一のメッセージです。「恐れることはない」ということです。それをわたしたちの心に刻みましょう。もちろん注意しなければならない、もちろん気を付けなければならないことは多々あります。けれども一番大事なイエスさまのメッセージは間違いなく「恐れることはない」皆さん一人一人に今日、語りかけておられる。そのイエス様の言葉を聞くということです。「番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」という。でもわたしたちはイエス様が「恐れることはない」とおっしゃるその言葉を聞いて、わたしたちは心を平静にして、平安な本来の自分を取り戻して、そしてわたしたちは復活したイエス様と共に、いつも歩んでいるということを思い起こさなければなければならないと思います。そしてイエス様が女性の弟子たちに言ったことは何かというと、「行って、わたしの兄弟たちにガリラヤヘ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」女性たちはその後すぐ復活したイエス様に出会えるのですけれども、男の弟子はむしろその後ガリラヤに行って、復活したイエス様に出会えるということです。

 わたしたちが恐れや不安にとらわれる時に、わたしたちの信仰の原点というか、わたしたちの生きる原点というか、このガリラヤに行くということも大切にしたらいいと思います。エルサレムでは弟子たちは十字架とかイエス様の逮捕から始まって、恐れと不安の中で、完全にある意味破綻したわけですけれども、だからむしろガリラヤ時代のイエス様の話しを聞いて、イエス様の姿を見て、そこで慰めと力と励ましを得た。そこをもう一度思い出して、そこが復活したイエス様と再会できるところだと、それをわたしたちの心に刻みたいと思います。

 この四旬節は個人的にも色々あって、わたしの母親がいよいよダメで、天に召されて、その葬儀等々、亡くなっていくところから、そういう出来事もあって、母親の死とコロナウィルスがダブルパンチで、何が何だか分からない所にいたわけです。母親が本当に弱って、最後はわたしが息子だということも全く分からない、話もできないし、認知症があって進んでいて、本当にかわいそうな感じで亡くなって、最後の日々の痛みみたいなものも、自分の心の中で非常にショックとして感じていました。
 この四旬節中に母親ためにロザリオを唱えていました。そしたらロザリオの祈りを唱えている時に、神様の恵みだと思いますけれども、突然元気だった若い頃の母親の顔が突然浮かんで、そして若々しい母親の声まで聞こえる感じで、ものすごくニコニコ笑っていて、何か励ましの声をかけられたような形で、突然そういうお恵みを神様から頂いて、ものすごく慰めと力づけを頂いた体験がありました。それが何か僕自身のガリラヤの体験というか、あるいは復活の恵みというか、ものすごく強く感じて、それは本当にお恵みだったと思います。

 何かわたしたち一人一人に変えるべきポイントがあります。本当に弱ってしまって、話しもできない母親のイメージしかなかったものが、もっとわたしと母親と信頼関係があった時の、母親の姿と母親の声をはっきりと思い出すことによって、僕もやっと母親の死を受け止めて、出発できるような気持ちになるような気がしました。やはり皆さん一人一人にも変えるべきガリラヤと、復活したイエス様の恵みを、もう一度確かめる場が、皆さん一人一人にもあるのではないかと思います。それを思い起こしたいと思います。それは一人一人違うことでしょう。今日、中継で見ている方々の多くは信仰を持っていることでしょうから、神の恵みを感じた時に、あるいは人と人との絆を本当に深めた時に、それを思い起こしてみましょう。そこにこそわたしたちが、もう一度正気に戻って、立ち直って、出発していける、そのポイントがあると思います。それを思い起こすことによって、わたしたちは不要な恐れから解放されると思います。イエス様のメッセージははっきりしています。「恐れることはない」ですから。もちろん、復活したイエス様に出会った人たちも状況は変わらない。ユダヤ人の圧迫とか迫害とか、状況そのものの厳しさは全く変わらなかったけれども、でも復活したイエス様に出会うことによって、恵みと力を得て、慰めと勇気を持って、その困難な状況に向かっていくことができたわけです。それ思い起こしましょう。

 コロナウィルスの危機的状態がどれくらい続くのか。1ヶ月で終わるのか。3ヶ月、半年、1年、2年なのか。それすら分かりません。でも復活したイエス様はわたしたち一人一人におっしゃってくださっている。「恐れることはない」復活した主が共にいて、共に歩んでくださるということですから、その大きな恵みを信頼して、イエス様の力を信頼して、わたしたちが歩んでいけるように、復活した主と共に、また新たに出発したいと思います+

 第一朗読 創世記 1:1-2・2
初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。

「光あれ。」

こうして、光があった。4神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

神は言われた。

「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」

神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。

神は言われた。

「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」

そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。

神は言われた。

「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。

神は言われた。

「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」

そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。

「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」

夕べがあり、朝があった。第五の日である。

神は言われた。

「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、適うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」

そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。

神は言われた。

「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。

「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」

神は言われた。

「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」

そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。

答唱詩編 104:1-2a、24-33
心を尽くして神をたたえよう。
神よ、あなたはまことに偉大なかた。
誉れと輝きを身に帯びて、
衣のように光をまとわれる。

神よ、あなたが造られたものは数えきれない。
英知によって形造られたものは地に満ちている。
わたしは生涯、神に向かって歌い、
いのちのある限り神をたたえよう。

第二朗読 創世記 22:1-18
その日、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを織って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。アブラハムはその場所を主・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。

主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。

「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。18地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

答唱詩編 16:5、8、11
神よ、あなたはわたしの受けるゆずり、
わたしの受ける杯。わたしの道を開くかた。

わたしは絶えず神を思う。
神はわたしのそばにおられ、わたしはけっしてゆるがない。

あなたはいのちの道を示してくださる。
あなたの前にはあふれる喜び、あなたのもとには永遠の楽しみ。

第三朗読 出エジプト記14:15、15:1a
その日、追い迫るエジプト軍を見て、イスラエルの人々が非常に恐れたとき、主はモーセに言われた。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。そのとき、わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた。両軍は、一晩中、互いに近づくことはなかった。モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」主はモーセに言われた。「海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。モーセとイスラエルの民は主を賛美して、歌をうたった。

答唱詩編 出エジプト記 15:1b-2b、3.4.5、6-16bc
神をたたえよう、神は栄光を現し、
馬と戦車を海に投げ入れられた。
神よ、あなたはわたしの神、わたしの先祖の神、
わたしはあなたをあがめる。

神は勇者、その名は主。
ファラオの戦車と軍勢を海に投げ入れ、
そのえりぬきの士官は紅海に沈んだ。
水は彼らを覆い、かれらは石のように深みにしずんだ。

神よ、あなたの右の手には力がみなぎり、
あなたの右の手は敵を押さえる。
神よ、こうしてあなたの民は通り過ぎ、
あなたのものとされた民は過ぎ越す。

第四朗読 イザヤ記 54:5-14
エルサレムよ、
あなたの造り主があなたの夫となられる。
その御名は万軍の主。
あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神、
全地の神と呼ばれる方。
捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように
主はあなたを呼ばれる。
若いときの妻を見放せようかと
あなたの神は言われる。
わずかの間、わたしはあなたを捨てたが
深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。
ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが
とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむとあなたを贖う主は言われる。
これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。
再び地上にノアの洪水を起こすことはないとあのとき誓い、
今またわたしは誓う
再びあなたを怒り、責めることはない、と。
山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないとあなたを憐れむ主は言われる。

苦しめられ、嵐にもてあそばれ
慰める者もない都よ
見よ、わたしはアンチモンを使ってあなたの石を積む。
サファイアであなたの基を固め
赤めのうであなたの塔を
エメラルドであなたの門を飾り
地境に沿って美しい石を連ねる。
あなたの子らは皆、主について教えを受け
あなたの子らには平和が豊かにある。
あなたは恵みの業によって堅く立てられる。
虐げる者から遠く離れよもはや恐れることはない。
破壊する者から遠く離れよもはやそれがあなたに近づくことはない。

答唱詩編 30:2b-4、13
神よ、あなたはわたしを救い、
死の力が勝ち誇るのを許されない。
神よ、あなたは死の国からわたしを引きあげ、
危ういいのちを助けてくださった。

わたしの心はあなたをたたえ、
黙っていることがない。
神よ、わたしの神よ、
あなたをとこしえにたたえよう。

第五朗読 イザヤの預言 55:1-11
主は言われる。
渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。
銀を持たない者も来るがよい。
穀物を求めて、食べよ。
来て、銀を払うことなく穀物を求め
価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。
なぜ、糧にならぬもののために銀を載って払い
飢えを満たさぬもののために労するのか。
わたしに聞き従えば
良いものを食べることができる。
あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。
耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
聞き従って、魂に命を得よ。
わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。
ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。
見よ
かつてわたしは彼を立てて諸国民への証人とし
諸国民の指導者、統治者とした。
今、あなたは知らなかった国に呼びかける。
あなたを知らなかった国は
あなたのもとに馳せ参じるであろう。
あなたの神である主
あなたに輝きを与えられるイスラエルの聖なる神のゆえに。

主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。
呼び求めよ、近くにいますうちに。
神に逆らう者はその道を離れ
悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。
わたしたちの神に立ち帰るならば豊かに赦してくださる。
わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。
雨も雪も、ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
種蒔く人には種を与え
食べる人には糧を与える。
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。

答唱詩編 イザヤの預言 12:2、4、5
神はわたしの救い、わたしは信頼して恐れない。
神はわたしの力、わたしの歌、わたしの救い。

神をたたえ、その名を呼ぼう。
神のわざをすべての民に伝え、その名の誉れを語り告げよう。

神は不思議なわざをなしとげられた。
神をほめ歌い、そのわざを世界にのべ伝えよう。

第六朗読 バルクの預言 3:9-15、32:4・4
聞け、イスラエルよ、命をもたらす戒めを。
耳を傾けて、悟りを得よ。
イスラエルよ、なぜなのか。
なぜお前は敵の地におり、
異国の地で年を重ね、
死者と汚れを共にし、
陰府に下る者の中に数えられたのか。
お前は知恵の泉を見捨てた。
神の定めた道を歩んでいたなら、
永遠に平和のうちに暮らしていたであろう。
学べ、どこに悟りがあるかを。
またどこに力があり、どこに知識があるかを。
そして知れ、どこに長寿と命があり、
どこに目の輝きと平和があるかを。

いったいだれが知恵の在りかを見いだしただろうか。
だれがその宝庫に入っただろうか。
すべてを知る方だけが知恵を知り、
御自分の力でそれを悟り、見いだされたのだ。
その方はあらゆる時代に備えて全地を整え、
それを四足の獣で満たした。
その方が光を放つと、光は走り、
ひと声命ずると、光はおののいて従う。
星はおのおの持ち場で喜びにあふれて輝き、
その方が命ずると、「ここにいます」と答え、
喜々として、自分の造り主のために光を放つ。
この方こそわたしたちの神であり、
他に比ぶべきものはない。
この方は知識の道をすべて見いだし、
それを僕ヤコブと愛するイスラエルに与えた。
その後、知恵は地上に現れ、人々の中に住んだ。
知恵は神の命令の書、永遠に続く律法である。
これを保つ者は皆生き、これを捨てる者は死ぬ。
ヤコブよ、立ち帰ってこれをつかみ、
知恵の光に目を注ぎ、その輝きに向かって歩め。
あなたの栄光をほかの者に、あなたの特権を異国の民に渡してはならない。
イスラエルよ、わたしたちは幸いだ。
神の御心に適うことを知っているのだから。

答唱詩編 19:8、9
神の教えは完全で、魂を生き返らせ、
そのさとしは変わらず、心に知恵をもたらす。

神の定めは正しく、心の喜びであり、
そのみ旨は清く、目を開く。

第七朗読 エゼキエルの預言 36:16-17a、18-28
主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、イスラエルの家は自分の土地に住んでいたとき、それを自分の歩みと行いによって汚した。それゆえ、わたしは憤りを彼らの上に注いだ。彼らが地の上に血を流し、偶像によってそれを汚したからである。わたしは彼らを国々の中に散らし、諸国に追いやり、その歩みと行いに応じて裁いた。彼らはその行く先の国々に行って、わが聖なる名を汚した。事実、人々は彼らについて、『これは主の民だ、彼らは自分の土地から追われて来たのだ』と言った。そこでわたしは、イスラエルの家がその行った先の国々で汚したわが聖なる名を惜しんだ。それゆえ、イスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。イスラエルの家よ、わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う。わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。わたしが彼らの目の前で、お前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民は、わたしが主であることを知るようになる、と主なる神は言われる。わたしはお前たちを国々の間から取り、すべての地から集め、お前たちの土地に導き入れる。わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。28お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。」

答唱詩編 51・12+13、18+19
神よ、わたしのうちに清い心を造り、
あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。
わたしをあなたのもとから退けず、
聖なるいぶきをわたしから取り去らないでください。

あなたはいけにえを望まれず、
はんさいをささげても喜ばれない。
神よ、わたしのささげものは打ち砕かれた心。
あなたは悔い改める心を見捨てられない。

使徒パウロのローマの教会への手紙朗読 手紙 6:3-11
皆さん、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。10キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい+

 

2020年 4 月 11日(日)
 復活の聖なる徹夜祭〈白〉A 年 
  カトリック麹町教会 主聖堂 於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記