カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

☆。・:*:・゚☆。・:*:・゚☆。・:*:・゚☆このブログは、イエズス会の英(はなふさ)神父の公式サイトと連携しています☆。・:*:・゚☆。・:*:・゚☆。・:*:・゚☆

190731 イエズス会 総長 来日ミサ

イエズス会総長 ソーサ神父 ミサ説教 聖遺物安置式 最終誓願式 聖イグナチオ教会於

ルカによる福音書 14:25-33  大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。 あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。 そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、 『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。 また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。 もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。 だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」+

  ロヨラの聖イグナチオの恵みを神に感謝するため、ミサ聖祭をともに祝うことができることをとてもうれしく思います。今日はイエズス会員のみならず、信徒の皆さんにとっても特別な日でしょう。ここに集まった皆さんがいるからこそ、イエズス会員は教会に全力で奉仕することができるのです。また、今日は、ミサの最後の方で、中井神父さまと柴田神父さまが最終誓願を立てる時別なミサでもあります。
 この機会に、3つのキーワード-火・基礎・忠実-について考えてみましょう。
 最初の言葉は火です。第一朗読の預言者エレミヤのことばは、神が私たちの心にどのように入ってくるかについて語っています。それは魅惑的な呼びかけから始まり、神への渇望が目ざめます。「あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされて、あなたに捕らえられました」と嘆き、神の強力な現存の前で、「あなたの勝ちです」と語ります。この美しいみ言葉は、聖イグナチオがマンレーサの洞窟で主に出会ったときの体験をよく表しています。彼の心が神の愛に圧倒され、完全な愛に浸ったような体験でした。その回心の時から、聖イグナチオは決して引き返しませんでした。それは「心の中で燃える火」のようでした。
 聖フランシスコ・ザビエルの有名な絵の一つは、日本人のクリスチャン信者が描いたものです(日本史の教科書にも出てくるもの)。その絵では、彼の胸から心(心臓)が出て、それが燃えているかのように描かれています。それは彼が霊操の体験をしたときに感じたキリストの愛の火です。その同じ火は、イグナチオがザビエルを東方に派遣するときに語った言葉、「行って、全世界に火をともせ(ite, inflammate omnia)」にも表れています。またその同じ火は、イエズス会の第35総会議(イエズス会員の代表が集まって2008年に行われた会議)第2教令において、他の火をともすような火を私たちが燃やし続けるように求められているものです。その同じ火によって、柴田神父さま、中井神父さま、実現しそうにないことをあえて目指す大胆さをもってください。そして、あなたがた自身と、教会、そしてこの世界を変容させるように努めてください。この火があなたがたの心の中で燃え続けるように、どうかお祈りください。
 第2の言葉は基礎です。基礎とは、聖イグナチオの弟子たちが歩んでいく根本原則・土台・原動力のことです。これは彼のモットー、ad majorem Dei gloriam「神のより大いなる栄光」という言葉で表現されています。この言葉は聖イグナチオの著作で何回も使われています。第2朗読において、「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」というパウロの言葉と響き合っています。聖イグナチオは、生涯をかけて、常に神のより大きな栄光を求め続けました。このモットーこそ、イエズス会を創設した基盤であり、イエズス会を通して、ミッションにおけるイエズス会の友人や協働者のネットワーク全体を活性化してきたのです。
 最も重要なことは、使命とはただ自分にかかわることではないということです。それは常に自己を超えていく動きです。何よりもまず神の方へ、そして神が愛する人びと、全人類へと向かっていく動きです。今日、この人類は非常に多くの痛みの中に沈められています。貧しい人々、戦争や暴力によって居場所を奪われた難民などの苦しみ、虐待を受けた人びとの破綻、孤立して寂しさを感じている多くの人びとの空虚さ、依存症になり、時には自死に至る人びとの悲嘆、環境の破壊につながる利己主義など。中井神父さま、柴田神父さま、神が愛するようにとあなたがたを招いておられるのはこのような人類なのです。心の中、祈りの中、仕事の中に彼らのために特別な場所をもつようにと呼びかけておられます。そのように苦しんでいる人びとを世話することによって、あなたがたが神に栄光を与えるのです。
 第3番の言葉は、忠実です。これは福音に出てきた弟子への要求です。「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。…自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」覚えておくべき重要なことは、十字架を背負うこととすべてを捨てることは、ただ一回限りの行為ではないということです。それは弟子の人生において、毎日実行していく不断の努力です。弟子の奉献を確かにしていく戦いです。罪人でありながら、イエスに従うように呼ばれている者の日々のチャレンジです。
 多くのイエズス会員は仕事を重視し、計画を練り、効率的に成功を目ざします。たしかに多くのイエズス会員は、今日の福音に出てきたように、戦いに赴く前に、腰を据えて戦略を練る王のようでもあるし、また、仕事を始める前に、腰を据えて計算する塔の建設者のように見えます。しかし、必ずしも成功するとは限らず、私たちは失敗に直面します。時には、あまりに多くの問題で、うんざりし、打ちひしがれ、落ち込んでしまうこともあります。これらすべてを通して、弟子は忠実であること、忍耐すること、あきらめないことが問われるのです。
 聖イグナチオは生涯の最後の段階をローマで過ごしました。イエズス会の初代総長として、15年に及ぶ日々でした。かつて彼は偉大で、英雄的なことを夢見る冒険家でした。勇敢な兵士であり、聖地へ巡礼し、多くの魂の救済を実現しました。それに比べ総長としての日々は静かな生活でした。何千通もの手紙を書き、部下を励まし、原則を明確にして、実践的な規範を示唆し、徳の大切さを思い起こさせました。それらはあまりドラマティックではありません。イグナチオは別人になってしまったのでしょうか。年を取り、かなり疲れて、ひきこもり気味だったのでしょうか。しかし他方、イグナチオは最期まで祈りに忠実であり、多くの時間を祈りに費やし、しばしば涙を流していました。
 最後に中井神父さまと柴田神父さまに言いたいことは、祈りこそがあなたがたを支えるということです。祈りの助けによって、貞潔・清貧・従順を生きていくことができるでしょう。祈りによって、内的力とともに平和を得るでしょう。この混乱した世の中にあって、祈りが人間として、修道者として前に進む原動力になるでしょう。どんな務めが与えられようと、祈りによって、寛大に応えることができるでしょう。祈りによって、自分自身から自由になり、どんな場所に派遣されても、使命を果たしていけるでしょう。
 聖イグナチオの祝日にあたり、中井神父さまと柴田神父さまのために祈りましょう、この二人が火を消してしまうことなく、いつも忠実で、神に栄光を帰すことができるように。また、イエズス会日本管区のために祈りましょう、そのすべての仕事のために、そして、ともに使命を果たしている協働者の皆さんのために。聖イグナチオとともに、道の聖母(イエズス会員が大切にしている聖母)にとりなしを願いましょう。おん子に従う最もよい道を示してくださるように。おん父に、また、愛するように呼ばれているすべての人びとに、自分自身をささげていくことができますように+      訳:酒井 陽介 神父


第一朗読 エレミヤの預言 20:7-9 主よ、あなたがわたしを惑わし/わたしは惑わされて/あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ/人が皆、わたしを嘲ります。 わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり/「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中/恥とそしりを受けねばなりません。 主の名を口にすまい/もうその名によって語るまい、と思っても/主の言葉は、わたしの心の中/骨の中に閉じ込められて/火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして/わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。

第二朗読 コリントの教会への手紙一 10:31-11:1  だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。 ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。 わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから。 わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい+

 2019 年 7 月 31 日(水)16:00
  聖遺物 安置式 最終誓願式〈白〉
  カトリック麹町教会 主聖堂 於
  イエズス会 第 31代 総長 

アルトゥーロ・ソーサ神父 ミサ 説教記