カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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190731 聖三木図書館報に寄せて

英神父 聖三木図書館報 寄稿
 本から学ぶ
 この館報「みき」を見る人は、聖三木図書館に通っている人たちだから、本を読むのが 好きな人たちであろう。私も本を読むのが 好きだ。なぜかというと、 自分が今まで知 らなかったことに目を開かせてもらうことがあるからだ。なるほどそういうことだったのか、そういう見方もあるのか、など など、良質な本を読んで学ぶことは多い。よい本を書く人は知者であろうから、私たちは知恵ある人から学ぶというのが基本 だ。それはそうだが、学びははたして本か らだけだろうか。


ジャン・バニエという人
ジャン・バニエがこの五月に帰天した。彼 はラルシュ共同体の創立者である。それは、 知的ハンディをもつ人(なかま)と、健常者(アシスタント)が共に生活する共同体で ある。彼は軍隊で働き、大学で教えるほど のインテリだったが、真の生き方を求めて、 知的ハンディのある人と共同生活を始める。九十歳で亡くなるまで、ハンディのある人の友であった。ジャン・バニエのどこがすごかったのか。普通は、私たちは知者から大切なことを学んで生きること基本 にしている。しかしながら、ジャンは知的ハンディがある人から学ぶことの大切さ を示した。そこに視点のコペルニクス的転換があった。彼はしばしば語った、「貧しい人を世話する人が幸せであるとイエスが言ったわけではない。むしろ、貧しい人びとが幸いであるとイエスは語られた(ルカ 6・20)。私たちは貧しい人の幸せを学ぶ必 要がある」と。


貧しい人から学ぶ
弱い人や 貧しい人を大切にする愛徳の精神は、キリスト教がずっと大切にしてきたことだ。かわいそうな人がいると、助けてあげたいと思う愛の心である。それは大事なのだが、 場合によっては、どこか上から目線が入ってくる危険がある。貧しい人や弱い人は、かわいそうなので教育をしなければならないとか、何もできないので何でもしてあ げる必要があるとか、どこかに蔑視の視線 が混じることがないだろうか。それはどこか私たちの人間性にゆがみがあるからで はないか。ジャンのすごいのは、私たちは 貧しい人から学ばねばならないことを明確 に指摘したことだ。私たちの心には、立派 になりたい、成功したい、認められたいと いう欲求がある。ある時は必要なことかもしれないが、それだけだと真の人間性が欠けていくのではないか。それに対して、知的ハンディがある人たちは、この世的に成功する可能性はきわめて低いが、人間として生きるために大事な宝を有していることがある。まさしく畑に隠された宝のよう に(マタイ13・44 )。私はジャンのリトリート(黙想会)に実際に参加して、彼の話を直接に聴いて、まさに目から鱗が落ちる体 験 をした。福音とはそういう意味だったのかと悟らされた。後日、ラルシュ共同体でアシスタントとして暮らしてみて、やっぱりそうだと思えた。彼の教えは、私の信仰生 活の隅の親石となった。ジャン・バニエは信仰の恩人である。彼の葬儀の様子はユーチューブで視聴できる。彼らしい葬式で、また心が慰められた。彼の精神を私自身の いる場で活かしたいと願っている(なかな かできないが)。実際にラルシュに行くの が一番だが、まずはジャン・バニエの本か ら読んでみたらどうだろうか+

 

 2019年 7 月 31 日(水)
   イエズス会 聖三木図書館 報 より
    イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 記