カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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191110 神と共に大切にする

英神父 ミサ説教 イグナチオ教会 於

ルカによる福音書 20:27-38(そのとき、)復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。《「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」》イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」+

  今日の福音書はサドカイ派の人が、イエス様にいわば 律法論争を挑むところです。サドカイ派というのはファリサイ派と違って、復活とかあの世とか天使とかを認めない。極めて現実的な人々だったと言われています。朗読では短く呼んだんですが 「ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない」跡継ぎを守るために、弟が結婚して受け継がなければならないんです。七人の女性が 次々と兄弟と結婚したお話です。そこでイエス様が 「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。」とおっしゃいます。この世での結婚するようなことがないような世界だということです。このようなこの世のあり方と、復活のあり方とを対比するようなことを考えた時に、色々なことが頭をめぐります。一つは、厳しく言えば、人間は生まれてくるときは一人で生まれてきて、死ぬときも一人で死んでいく。それは誰も変えられないことは事実でしょう。それは独身であろうが結婚していようが、家族がいっぱいいようが、人は死んで行く時に一人である。生まれてくる時も一人です。わたしたちが与えられている命というのは、究極的には一人で生きなければならない。でも一人だけではなくて、今日のイエス様の話だったらはっきりしていますが、 神と共に生きるということです。わたしたちは神と共に生まれてきて、神と共に死ぬ。この世の人間関係につながるよりも、神との関係の方がもっと強いわけです。 わたしたちは家族のつながりの方が強いと考えがちですが、神との関係との方がもっと深いわけです。結婚していてもいなくても、 結婚していても配偶者を亡なくすこともあるでしょう。でも神とのつながりこそが、わたしたちの生き方を決定的にしているということです。だからこそわたしたちは神と共に生まれ、神と共に生き、神と共に死に、神と共に復活するということです。そこに自分の人生の軸足のようなものをわたしたちは置かなければならないでしょう。夫婦関係でもうまくいっているときもあれば、うまくいかない時もありますし、どちらにしろ片方が先に亡くなり、 片方がこの世に残されるということは事実ですから、わたしたちは神と共にあるということをしっかり意識して、どのような人間関係の中にあろうとも、そこに軸足を置くということが必要ではないかと思います。だからこそわたしたちはこの世の出会い、家族や友人とのつながりに意味があるような、逆にそういうことを大切にしなければならないことでもあるでしょう。 たとえで出てきたこの七人の男性と結婚した女性と言ったら、現実はそこまではあまりないでしょうが。
このお話で思い出すのはキリスト教の 詩人で八木重吉という方がおられて、割と分かりやすいキリスト教的な詩を書いた方です。 たまたま彼が暮らしていたのはわたしと同じ神戸の御影町で、八木重吉は 29歳で結核で亡くなったんですが、奥さんが登美子さんという方で、子供も二人いたんですが、八木重吉が生きている時は全く無名で、彼の死は世間の人はほとんど知らなかった。でも登美子さんが重吉の死後にも重吉の原稿を大切に持って守っていました。二人の子供も結核で亡くすのですが、その後、富美子さんは、 吉野秀雄と結婚するんです。吉野秀雄というのは日本で有名な短歌の歌人で、はつ子さんという伴侶をかなり早くに亡くされていたんですが、死別した者同士の吉野秀雄と、重吉の妻であった登美子さんを執り成す人がいて、覚悟を持って二人は結婚するわけです。その吉野秀雄が八木重吉の詩集を世に広める一番の助け手になった。吉野秀雄のおかげで今、八木重吉の詩をどこでも読めるようになりました。そういう八木重吉と登美子さんや、吉野秀雄とはつ 子さんのことを考えると、天国に行って誰と誰がカップルになるとか、誰と一緒に暮らすとかはどうでもよくて、その時その時に関わった出会いと、そしてどれだけみんな重吉の詩を大事にして、それを世に残そうとするかということです 。そのような真実の愛をその時その時で生きていくということが、復活の 恵みにつながる一番貴重なことではないかと思います。どれほどわたしたちが関わりの中で愛を生きていくかどうかということでしょう。八木重吉の強い影響を受けたのが、 仏教詩人の坂村真民という人です。坂村真民という人が素晴らしい詩をたくさん書いています。その流れで相田みつをもいますが、出発は仏教詩人の八木重吉です。それは登美子さんと吉野秀雄の努力がなければ実らならなかったんです。
わたしたちが生きている間には、出会いもあり別れもあるでしょう。でも出会いと別れを繰り返しながら、本当に大切なものを生きようとする誠実な 愛の心があるところに、復活の恵みがあるということです。復活の恵みはどれだけわたしたちが愛し合ったのか。あるいは死の悲しみ、別れの悲しみを乗り越えていったのか。その中で輝いてくるものではないかと思います。みなさん一人一人の総決算の死後の世界で、どのような復活の恵みが与えられるか分かりませんけれども、それはわたしたちの日々の務めでしょう。今日の家族との関わり、今日出会う職場での人々との関わり、そのような積み重ねの中でこそ、復活の恵みが輝いてくるものだと思います。そのようにわたしたちは神と共に歩み、そして人々との関わりを大切にして生きるからこそ、 本当の復活の恵みの中に、わたしたちは生きていくことができます。そのような恵みに向かって、わたしたちは毎日毎日の人との関わりを大切にして、歩んでいけるように、このミサで願いたいと思います+
 

第一朗読  マカバイ記 二 7:1-2、9-14
(その日、)七人の兄弟が母親と共に捕らえられ、鞭や皮ひもで暴行を受け、律法で禁じられている豚肉を口にするよう、王に強制された。彼らの一人が皆に代わって言った。「いったいあなたは、我々から何を聞き出し、何を知ろうというのか。我々は父祖伝来の律法に背くくらいなら、いつでも死ぬ用意はできているのだ。」
(二番目の者も)息を引き取る間際に、彼は言った。「邪悪な者よ、あなたはこの世から我々の命を消し去ろうとしているが、世界の王は、律法のために死ぬ我々を、永遠の新しい命へとよみがえらせてくださるのだ。」
彼に続いて三番目の者もなぶりものにされた。彼は命ぜられると即座に舌を差し出し、勇敢に両手を差し伸べ、毅然として言った。「わたしは天からこの舌や手を授かったが、主の律法のためなら、惜しいとは思わない。わたしは、主からそれらを再びいただけるのだと確信している。」そこで、王自身も、供の者たちも、苦痛をいささかも意に介さないこの若者の精神に驚嘆した。
やがて彼も息を引き取ると、彼らは四番目の者も同様に苦しめ、拷問にかけた。死ぬ間際に彼は言った。「たとえ人の手で、死に渡されようとも、神が再び立ち上がらせてくださるという希望をこそ選ぶべきである。だがあなたは、よみがえって再び命を得ることはない。」

第二朗読  テサロニケの信徒への手紙 二 2:16-3:5
(皆さん、)わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。
終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。すべての人に、信仰があるわけではないのです。しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。そして、わたしたちが命令することを、あなたがたは現に実行しており、また、これからもきっと実行してくれることと、主によって確信しています。どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように+

 

2019年 11 月 10 日(日)7:00
 年間 第 32主日〈緑〉C 年 
  カトリック麹町教会 主聖堂 於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記