カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2019-12-01 分かち合い祝い交じり合う

英神父 ミサ説教 イグナチオ教会 於

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マタイによる福音書 24:37-44(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」+

 待降節の第1主日は、今日の福音もそうですが、イエス様が再び来られることを準備していなさいというところです。人の子、再臨のイエス様は思いがけない時に来るから、あなたがたも用意していなさいと、イエス様はわたしたちにおっしゃっています。思いがけない時に来られるということで、なかな大変な気もします。フランシスコ教皇様は1年前から来られるのが分かっていたわけですが、なかなか用意するのが大変で、イグナチオ教会の信徒の方々には多大な協力をお願いすることになりました。インターナショナルミサだったので、特に外国人の方の協力がありました。一番驚いたのは教皇ミサの一週間ぐらい前になって、ボランティアが300人足りないと言ってきて、急遽皆さんにボランティアに入ってもらうことになりました。いずれにせよつつがなく行われたので感謝の心だと思います。訪日の全体的な責任者の京都教区の大塚司教様が、イグナチオ教会の信徒ボランティアがいなければドームミサも成り立たなかった。皆さんにくれぐれも感謝を伝えてください。ということを言われました。この中に来ていない方はいっぱいいらっしゃいますが、イグナチオ教会から総勢500人ほど来られたと思います。いずれにせよ感謝だったと思います。
教皇様はほんの短い期間でしたが、たくさんのメッセージを残されていて、わたしたちはそのメッセージを受け止めて、どのようにしていけるのか、聖霊の働きの中で考え行動していきたいと思います。今日の福音書で言うならば、「畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。」という何か奇妙なことを語っています。東京ドームのミサもこれくらいの確率でした。1/2の人が行けて1/2の人が行けない確率でした。
教皇様のメッセージから言うならば、一つはわたしたちの現代社会、日本の社会の孤立というか分断を語っているといえるでしょう。教皇様の膨大なメッセージですが、東京ドームのミサの説教の中でこう語られています。「ここ日本は、経済的には高度に発展した社会です。今朝の青年との集いで、社会的に孤立している人が少なくないこと、いのちの意味が分からず、自分の存在の意味を見いだせず、社会の隅にいる人が、決して少なくないことに気づかされました。家庭、学校、共同体は、一人ひとりが支え合い、また、他者を支える場であるべきなのに、利益と効率を追い求める過剰な競争によって、ますます損なわれています。多くの人が、当惑し不安を感じています。過剰な要求や、平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされているのです。」ということをはっきりと語られました。それは事実でしょう。家族の中でも夫婦でも親子でも、孤立や分断がある方は少なくないと思います。二人のうち一人はどっかに連れていかれて全く関わりが持てないということは、わたしたちの社会の中で特徴付けている一つのものだと思います。それはやはりわたしたちの一つの危機の時代をはっきりと告げている。それをわたしたちはどう乗り超えていくかということを真剣に願い、解決を求めていかなければならないであろうということは間違いないと思います。この教会の今年の年間テーマは、「共同体を生きる」ということですが、それはまさしくこの孤立や分断で、わたしたちの人間関係がバラバラになっている。そこからどのように共同体的な繋がりを、わたしたちの福音的な意味につなげ、回復できるかということで、それは今年の年間テーマと深くつながっていると思います。教皇様はこういうんです「孤立し、閉ざされ、息ができずにいるわたしに抗ここしうるものは、分かち合い、祝い合い、交わるわたしたち、これしかありません。」ということです。分かち合い、祝い合い、交わる。それこそがこのような孤立や分断に対抗していくあり方だと思います。それをわたしたちは心に刻みましょう。今日はこの後クリスマスバザーが行われます。それも一つの分かち合い、お互いの繋がりを表す一つのしるしだと思っています。この集めたお金はベネズエラの貧しい子供達に送られます。わたしたちが持っているものを供出して他の人に買ってもらうというそのようなこと自身が、わたしたちが社会の中で繋がりをもう一度見つめていく一つのきっかけにしてもらったら良いのではないかと思います。教皇様はそのためにいろんなことを語られています。「この現実を前に、キリスト者の共同体として、わたしたちは、すべてのいのちを守り、あかしするよう招かれています。」共同体として全ての命を守り証ししていく。これがわたしたちに課せられた大きな課題でしょう。「知恵と勇気をもって、無償性と思いやり、寛大さとすなおに耳を傾ける姿勢、それらに特徴づけられるあかしです。それは、実際に目前にあるいのちを、抱擁し、受け入れる態度です。」全ての命を守るということはわたしたちが命と命のつながりを回復していく、まさしくそのことだと言えるのではないかと思います。教皇様のメッセージを解説しようと思ったら10時間ぐらいかかります。
もう一つ大きなメッセージは核兵器廃絶です。広島、長崎から力強く核兵器をこの地球上から排出しましょうということを語られました。それらもわたしたち日本人としての日本に住む者の使命として深く心に刻まなければなりません。そのためにわたしたちができる一歩は何かということです。たまたま今日の第1朗読がイザヤ書ですが素晴らしいふさわしいものです。「月彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」まさしく平和な社会の到来をイザヤの預言が語っている。剣を鋤に、槍を鎌にする。兵器を農機具に作り変えるというような時代が来るようにということをイザヤの預言的に語っています。それはまさしく教皇様のメッセージに合うものです。大事なものはなんなのか。もちろん核兵器という大きな目標はありますが、わたしたち一人一人の問題ではないかと思います。わたしたちは結局心の中に様々な怒りや不満を抱えて攻撃することを認めなければなりません。一人一人の心の中に槍とか剣があって周りの人を傷つけたり噂話をしたり様々なことが共同体の平和を乱していくというものであることを認めなければなりません。兵器を持たないことは大事ですが、一人一人の心の中にある人を傷つけたり文句を言ったり噂をしたり、そのような剣や槍をし直して生きていく、そのようなものにわたしたち一人一人では平和は実現できないでしょう。共同体の小さなことから気づけなければ国と国との会話まで気付けない難しいことではないかと思います。この言葉を心に刻んで人を殺める態度ではなくてまさしく命を守る受け入れを実行していく、そのような心の中の態度を改めて養いつつ、この待降節をよりよく生きられるよう願いましょう。
なかなか心の中の兵器、心の中の槍とか剣をなくすのは難しいですが、でも私たちはそれを願っていて、わたしたち一人一人が平和を実現できるように、そして孤立や分断を乗り越えて平和と愛の共同体に作っていくことができるように、心を合わせて祈り求めたいと思います+ 

 

第一朗読  イザヤ書 2:1-5
アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。終わりの日に主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。

第二朗読  ローマの信徒への手紙 13:11-14a
(皆さん、)あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい+

 

2019年 12 月 1 日(日)8:30 
待降節 第 1 主日〈紫〉A 年 
  カトリック麹町教会 主聖堂 於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記