カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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1-1 御心に適う人に平和あれ

英神父 ミサ説教  聖イグナチオ教会 於

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ルカによる福音書 2:16-21(そのとき、羊飼いたちは)急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、(彼らは、)この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である+

 今日の福音書は、イエス様が誕生した直後の出来事を語っています。羊飼いたちが、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子のところに来たお話です。なぜ彼らがイエス様の馬小屋に来たのかというと、天使が突然現れて、救いの出来事について彼らに語り、そして夜空に天の大群が現れて、神の栄光を賛美するという歌を彼らに歌ったからということです。「天のいと高きところには神の栄光」先ほど唱えた栄光の賛歌は、この羊飼いたちが聞いた天使たちの賛美の歌を表しているといわれています。その話を聞いた人々は不思議に思ったというわけです。馬小屋で寝ている赤ちゃんが救い主で、世界のすべての人々を救うという、全くの夢物語のような話として、そこにいた人々は不思議に思っただけで、それ以上深く考えたりすることはなかったかもしれません。しかしマリア様だけは「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らし」そして救い主であるイエス様を育てるという使命を果たしていくわけです。このマリア様の態度に、わたしたちも倣っていきたいと思います。羊飼いたちは天使たちから聞いた話し、そして天の光景はまさしく神様の救いのわざそのもの。この世的には隠されているけれども、いわば神の国の理想的な姿を垣間見せてくれてもらったわけです。それを羊飼いたちが忠実に語ったわけです。その語った言葉を本当に受け入れたのはマリア様一人だけで、他の人達は不思議に思って終わっただけでした。多くのことがそうかもしれません。
羊飼いというのはどういうことを意味しているのかですが、明らかに今の教会の羊飼いは教皇様です。司教様もそうですが、教皇様がミサをする時は、バクルスという羊飼いの杖のシンボルを持っているわけです。ついでにパリウムというのは菊地大司教様もそうですが、首輪のようなものをしておられますが、羊を巻いている羊飼いのしるしとして教皇様も菊地大司教様もミサを捧げるわけです。だからこそ教皇様の言葉を羊飼いの言葉としてわたしたちは聞かなければならないでしょう。
今日は世界平和の日です。毎年教皇様は世界平和のメッセージを出されます。 日本に来られた時に様々なメッセージをなされました。特に長崎で語られた平和メッセージでは、核兵器廃絶というはっきりした理想的な生き方をわたしたちに語られたわけです。それを馬小屋の周りにいた人々のように、実現不可能で自分には関係ない話しとして何も気にとめないでそのままにしておくか、マリア様のようにそれを心に納めて、どのように実現していけるか、それをわたしたちは心を配っていけるかどうかは、わたしたち一人一人に問われていることでしょう。つまり羊飼いのメッセージを神からのメッセージとして受け止める。それは本当に理想主義的なこの世的に現実的ではないと思われるかもしれませんが、でもだからこそわたしたちはマリア様のように心に納めて実現に向けて、祈りと行動を捧げていく必要性があるのではないかと思います。特に今日は世界平和を願う日ですから、それを心に留めたいと思います。みなさんも「一年の計は元旦にあり」ということで願いをささげるということですが、それも同じでしょう。やはり神様の御旨にかなう天使たちが示されるような、一年間で実現できないかもしれませんが、わたしたちは大きな願いを持ってささげ、願いながら実現していくように、今日のミサで祈ることではないかと思います。それは単に神頼みするだけではなくて、わたしたちがそれを実現できるように、マリア様と共に祈る。日々の生活の中で実現できないことが多いですけれども、その度に夢物語で終わらせるのではなくて、日々それを実践していけるかどうか積み重ねこそが、この新しい年を恵み深いものにするのではないかと思います。
教皇様は危機感を感じるからこそ、広島、長崎での核兵器への強いメッセージをされたと思います。それは分かりませんが、ただわたしたちは現実の争いとか、現実の混乱とか、そういうものに流されているだけで、天使が示された理想的な恵みの世界を実現するように呼ばれているということを、努力するように呼ばれていることをあらためて思い起こしましょう。天使の言葉の中にはっきりあるんです。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」御心に適う人こそ平和が実現するとありますが、わたしたちが御心に適う生き方をすることによって、この地上に平和が実現すると、天使の呼びかけはそこにあるわけです。そして栄光の賛歌を毎日のように唱えているわけです。「地には平和、御心に適う人にあれ」御心に適うよう人にそれが適うようにわたしたちの願いを込めていくわけです。その賛美の祈りがこの一年、少しでも実現するように、一人一人の一年の願いを、それが実現不可能なことであっても、わたしたちが祈り心を合わせて実現しようとするときに、皆さんの願いはかなえられるでしょう。この「地には平和」があるように、皆さん一人一人に本当の平和があり、平和を築いていくことができるように、神様に祈りをささげたいと思います +

第一朗読  民数記 6:22-27
主はモーセに仰せになった。アロンとその子らに言いなさい。あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主が御顔を向けてあなたを照らしあなたに恵みを与えられるように。
主が御顔をあなたに向けてあなたに平安を賜るように。
彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。

第二朗読  ガラテヤの信徒への手紙 4:4-7
(皆さん、)しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです+

 

2020 年 1 月 1 日(日)10:00
  神の母 聖マリア〈白〉A 年 
  カトリック麹町教会 主聖堂 於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記