カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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1-5 祈り苦しみのささげもの

英神父 ミサ説教 聖イグナチオ教会 於

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マタイによる福音書 2:1-12 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った+

  今日は主の公現の祭日にあたっているので、東方の三博士が、つまり異邦人たちがイエス様を拝んだというところが朗読されました。去年の12月の共同祈願の4番目で「単にクリスマスプレゼントの交換だけでなく」という文言がありました。その言葉からプレゼントというのは一体どういうものかということを考えてみました。     なぜ人はプレゼントをあげたりもらったりするのか。クリスマスプレゼントもそうでしょうし、正月のお年玉もそうでしょう。誕生日にあげたりもらったりすることもあるでしょう。なぜプレゼントをあげたりもらったりするのか。特にフランシスコ教皇の場合は、教会のトップであるからでしょうが、訪日の際、プレゼント係だけで5人もいました。教皇様からはカードだったり、直接会った人にはロザリオだったり、プレゼントをたくさん配っていました。人はプレゼントを交換したりするのは何のためなのか。ついでにいうと、わたしも教会に来てからプレゼントをもらう事が多くて、食べきれない、飲みきれない、使い切れないものが多く申し訳ない。でも教皇様がプレゼントを貰う量は半端ではない話を聞いてから安心しました。
なぜプレゼントをするのかということです。今日の福音書の中でも、東方の三博士がプレゼントをしています。黄金、乳香、没薬という贈り物をささげています。プレゼントというのは TPO というものがあるでしょうから、黄金、乳香、没薬というのは、ヘロデ王にプレゼントするにはふさわしいでしょう。高価で特別で貴重なものだったでしょうから、宮殿でヘロデ王の息子にプレゼントするには釣り合いがとれていたでしょう。でも飼い葉おけに寝ていたみすぼらしい、貧しい二人の赤ちゃんにプレゼントするには不釣り合い、豪華すぎます。ヨセフ様とマリア様も見たこともないような黄金とか乳香をもらって驚いたと思います。不釣り合いな贈り物だったでしょう。
わたしたちにとっての本当の最大の贈り物は何なのか。それははっきりしていて神のひとり子であるイエス・キリストを、父なる神が人類にプレゼントされた。これが世界で最大のプレゼントでしょう。プレゼントの特徴は、御子であるイエス様を、御父がただでわたしたちに プレゼントしてくれた。それは最大のプレゼントといえるでしょう。これ以上のプレゼントはこの世の中で不可能である。そして少なくともクリスチャンは、プレゼントをもらったことを感謝して、毎年クリスマスと主の公現のお祝いをしています。それがどれほど貴重でどれほど素晴らしいものなのか。毎年それをお祝いするのにふさわしいだけのプレゼントだったと言えるでしょう。神様そのものがわたしたちにプレゼントされたということですから。その恵みの大きさを毎年味わわなければならないし、その恵みを生きていくように心がけなければならないでしょう。その世界最大のプレゼントを前にしていうなら、黄金、乳香、没薬というのはなんと小さなお礼のプレゼントだったか。わたしたちはそれだけ大きな恵みを頂いたものとして、神の恵みを頂いたものとして、感謝の心でわたしたちも何かをささげるように呼ばれていることも間違いないでしょう。
教皇フランシスコが昔の説教で自分自身をささげることが最大のプレゼントだとおっしゃっていました。神様に対して自分自身をささげることしか本当のお礼はありえないでしょう。黄金、乳香、没薬をわたしたちもささげなければならない。黄金というのは自分の持っている一番尊いものを、価値あるものをささげていく。乳香というのはお祈りに使うものですから、わたしたちは祈りを神様にささげることが出来る。没薬というのは死者の葬りのために使うものですから苦しみの象徴です。日々の苦しみを神様にささげることができる。持っている一番大切なものと祈りと苦しみを神様にささげていくことこそが、わたしたちができる本当の贈り物でしょう。神様が御自身をささげてくださったわけですから。わたしたちもできれば自分の小さな範囲の中でできる最大限のおささげをするように呼ばれているのではないかと思います。そしてその三博士は贈り物をささげることによって、大きな喜びのうちに帰ることができたのではないかと思います。自分をささげることができることこそ幸いな人はいないと思います。もらう喜びを人に与えてささげ尽くすことに人間の本当の喜びはあると思います。わたしたち自身を贈り物として、誰かのためにささげることができるならば、わたしたちの人生は意味があるといえるでしょう。本当の生きがいを歩める人生と思います。またこの三博士にならって、わたしたちも自分なりに自分自身の大切なものを神様に、そして人々にささげていくことができるように、心を合わせてお祈りしたいと思います +

第一朗読  イザヤ書 60:1-6
(エルサレムよ、)起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。目を上げて、見渡すがよい。みな集い、あなたのもとに来る。息子たちは遠くから娘たちは抱かれて、進んで来る。そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き、おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ国々の富はあなたのもとに集まる。らくだの大群ミディアンとエファの若いらくだがあなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。

第二朗読  エフェソの信徒への手紙 3:2、3b、5-6
(皆さん、)あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです+

 

2020 年 1 月 5 日(日)8:30
  主の公現〈白〉A 年 
  カトリック麹町教会 主聖堂 於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記