カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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1-12 天に種をまき夢を描いて心遊ばせ

英神父 ミサ説教 聖イグナチオ教会

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マタイによる福音書 3:13-17 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた+

 今日はイエス様が洗礼を受けたお話です。洗礼を受けた時に驚いたことが起こったのです。それはイエス様が川に入って洗礼を受けた後に 「天がイエスに向かって開いた」ということです。空が開くということはどういうことかということです。皆さんにも考えてもらったらいいと思います。残念ながらこの御堂は天井が開きません。 でもイエス様が洗礼を受けた時には、空が開いたという不思議なお話です。天井が開いて聖霊が鳩のような形でイエス様の上に、みんなの上に降りてきたというわけです。時々空を見てみたらどうかと思います。というのはこの教会で暮らしていてこのあたりはビルばかりです。だからこの修道院の部屋にいてもビルしか見えないんです。ビルばかりで気持ちが重たくなってしまう時もあります。でも四ツ谷駅の向こう側の迎賓館へ散歩に行くと教会が見えるんですが、教会の上にすごく広い空が見えます。ここにいると見えないけれども、でもこの建物の上には広い広い空があって、人間はこの小さなところで暮らしている。遠くから見て教会の上の広い空を見ていると心が和みます。何か力づけられる気がします。空といえば思い出すことがあって、多分皆さんの中で踊れる人がいるでしょう。Foolinのパプリカですね。あの中にこのような歌詞が出てきます。「パプリカ 花が咲いたら晴れた空に種をまこう」です。でもどうやって晴れた空に種をまけるのか。普通だったら種を上に投げたって落ちてきます。晴れた空にどうやって種をまけますか。落ちてくるでしょう。でもなんでパプリカの花が咲いたら、晴れた空に種をまけるのかといったら、わたしの解釈ですけれども、イエス様が天を開いてくださっているからです。天が閉じていたら種は落ちてくるけど、空が開いているから、空の向こう側に花を咲かせることができるんです。ということは開いている空も、晴れている空も、自分の心の中なんです。皆さんの心の中の一番上のところが開いて花が咲いているかどうかです。皆さんの心の中にパプリカの花が咲いていたら、自分の心が晴れているから晴れた空に種をまくことができる。種は地上にまくものでしょう。下にまくんですけども、でも私たちの心の中の夢とか未来に向かった希望は空にまくんです。空にまいてさらに大きな花を広げようということです。 YouTube の動画を見たら分かるけれど、 花を咲いたところからくじらとか出てきて全部空に行くんです。空に大きな動物がいるような、雲の上にも少年が飛んでいって空の上をかけめぐるような動画になっています。皆さんの心の中の空を開いて、心を開いてそこに皆さんの種をまきましょう。そのあとの歌詞は「ハレルヤ 夢を描いたなら 心遊ばせ あなたにとどけ」種をまいて夢を描いたら心を遊ばせながらそれを叶えていく。ハレルヤは喜びの気持ちです。心を遊ばせて「あなたに」は皆さんのことなのか、届けることが出来る。楽しみながら遊ぶ心が大事だというんです。夢をかなえるには。この歌詞で何が大事かといったら、目標よりも自分の好きなことに打ち込んで一生懸命するのが一番大事だというんです。それは歯を食いしばるよりも、喜びの気持ちで遊びの気持ちで何かに打ち込むときに、そこに本当のパプリカの花が咲くでしょうと作者自身が言っています。2020年はみんなも前に向かって夢を叶えましょう。地面ばかりではなくて空に種をまいて、そして大きな恵みの世界、喜びの世界を私たちがこの一年築いていけるように、共にお祈りをささげたいと思います +

 

第一朗読  イザヤ書 42:1-4、6-7
(主は言われる。)見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ彼は国々の裁きを導き出す。彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことなく裁きを導き出して、確かなものとする。暗くなることも、傷つき果てることもない、この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼びあなたの手を取った。民の契約、諸国の光としてあなたを形づくり、あなたを立てた。見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から闇に住む人をその牢獄から救い出すために。

第二朗読  使徒言行録 10:34-38
(その日、)ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。」+

 

2020 年 1 月 12 日(日)10:00 子どもとともにささげるミサ
  主の洗礼〈白〉A 年 
  カトリック麹町教会 主聖堂 於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記