カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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3-8 危機的困難を霊繰 識別で神の道を示す

英神父 ミサ説教 イグナチオ教会 於

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 マタイによる福音書 17:1-9(そのとき、)イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた+

 今日は四旬節の第2主日にあたりますが、第2主日では、必ずイエス様の変容のところが朗読されます。これはイエス様が受難予告をされて、エルサレムに向かっていくと決めてから1週間後ぐらいの出来事だといわれています。十字架の苦しみの中で弟子たちが迷ってしまわないように、がっかりしてしまわないように、イエス様が復活した神である自分の御姿を、あらかじめ示されたのであろうと言われています。だから私たちにとって十字架は辛い苦しみがあった時に苦しみだけに終わるのではなくて、復活の恵みに繋がっていくという希望を持って歩んでいくということ。それを私たちの信仰の、いわば基本的なことになるのではないかと思います。そして今、新型コロナウィルスによる感染症の問題で世界中が大騒ぎになっています。そのことを思っていると、否定的な言葉でいうと二つぐらいあります。目に見えるものはある意味で分かりやすいので対処の方法もありますが、目に見えないものと戦うというのは難しさもあるでしょう。この危機も2回目で、福島の原発事故のあとの放射能の問題で、同じように目に見えない。しかもすぐ死の危険が迫っているわけでもないし、でも危機的な状況で、この目に見えない危機というのは対処法が、心のおき所が難しいでしょう。悪魔も目に見えないので、どのように来るかも分からないので、悪魔的な気もします。そのような危機に振り回されないということも大事ですが、さらにもう一ついうと、今回の危機の特徴は何かと言うと、ある意味大きな挑戦と思いますが、イグナチオ教会としての年間テーマは「共同体を生きる」ということを私たちは意識してきたわけですけれども、今回の危機はまさしく共同体の危機ということを強く感じるということです。共同体が危機であればあるほど、お互い繋がって助け合っていく、そういう時こそ団結しなければならないけれど、今は団結できない、集まることができない。共同体の基本というのは顔と顔を合わせて話し合ったり食事をしたり、共同体の絆というのは集まらないとなれないわけです。集まらないという危機そのものは、ネット社会になってから共同体というのが薄くなってきているわけで、それも拍車をかけて、集まるのはダメという状況にあるというのは、今回の最大の危機であるという気がします。教会に集まってミサができないという、日本でいえば400年ぶりぐらいの、江戸時代の禁教令以来の危機だと思います。私達はそういう危機だからこそ共同体としてこの危機の中で何ができるか、この危機の中でしっかり祈り求めていかなければならないと思います。こういう危機的なことの度に思いますけれども、こういう時にこそ教会の本当の存続意義が問われています。危機の時にこそ教会が必要とされている。信仰というものが必要なものだとしたら、危機的であればあるほど、社会が不安であればあるほど、私達の出番だと思わなければならないと思います。あるいは困難な中でこそ、私たちはどのようにしてこのような困難を乗り越えられる使命というか。専門家でないので感染症はどうということではなく、私たちは本当に何ができるか、人々のためにどういう意味で心の拠り所になれるか、共同体的な危機、人々の不安がある中で、私たちは問いかけなければならないし、私たちが心を合わせていかなければならいことであります。
今回は英語の祈りのグループが共に困難を乗り越えましょうということで、午後5時からロザリオの祈りが早速始まったので、それに合わせて私たちも祈りをささげましょうということを呼びかけています。もちろん私たちは祈りから、物理的に離れていても困難に負けないで復活したイエス様を、御変容のイエス様を見ながら前向きに歩んでいく、そのような心がけが大事ではないかと思います。
さらに言うならばパパ様の来日の直後であるわけですが、パパ様の来日のテーマが「すべてのいのちを守るため」今それが問われているということです。どう命を守っていけばいいか。なにか今パパ様から与えられた宿題を今やらなければならないという気持ちになります。もちろんこの世の命だけではなく、私達は永遠の命に向かっていますから、永遠の命を互いに大切にしていくかということを祈りながら、出来れば何かの形で遂行していきたいと思っています。
さらに昨年7月の終わりにイエズス会の総長、アルトゥーロ・ソーサ神父様が来られて、イエズス会の今後10年間の目標、全イエズス会員の方向付け、通称UAPの 四つのテーマを10年間でイエズス会がやっていきますと、この教会でそれをどうしていけるか、これから考えていかなければならないということを話されました。「霊繰及び識別を通して神の道を示すこと」不安などあるから、今こそ人一人が識別することだと思います。識別とは一人一人が神の前に自分を置いて、違う流れに気づいて、振り回されないようにして、今、神の道を示す。日常生活の中で神様が望んでいる道は何か。そういうことがあるときこそ、私たちの識別の力が必要だと思います。変な情報に流され、不安でネットニュースなどパニックでおかしな行動するのは、それは識別がないということです。一人一人が識別をして、そして御旨にかなう生き方を一人一人選び、教会としてもそれをしっかりしなければならない。その時だということを強く感じます。
今日の福音書によると、御変容されたイエス様が現れてきて、光り輝く雲が覆って、見えなくなってしまう。そして声が聞こえて「これはわたしの愛する子。わたしの心に適うもの。これに聞け」ということです。聖書の中で雲というのは、神様の現存の印だということです。神がおられる所には雲が現れますが、雲は何が面白いかと言うと、存在は分かるけれども、雲の中で何も分からない。神様の性質を表していて、神様が働いているけれども、何か分からない。だから「これに聞け」ということです。だからペトロが「仮小屋を三つ建てましょう」と言っていますが、ある意味誘惑で、形あるものに安心して頼ってしまうことがある。識別は何かと言うと神に聞くということです。今の状況の中で自分はどうするべきかを雲の中で分からないなりに聞いていく。それが識別していくことそのものになるわけです。それも私たちが道を迷いながらとか、そういうことも識別の中のプロセスのひとつとして、絶対の正解はないけれども、これをするとかこれをしないとか、識別を試されるのはこういう時だと思います。こういう時にこそ越えていく絶好の機会だと言えるでしょう。一人一人識別して選んでいくということが大事で、流されたりみんなやってるからではなく、危機的な時こそより良いものを見つけながら、誰も100%正解はないですけれど、そのような道のりを知ることが一番大事なことだと思います。
私たちはこの困難の中で振り回されることなく、今必要な事、神が望んでいることを少しでも見出しながら、それを実行していけるように、そして一人一人が教会としてそれができるように、神様に恵みを願いたいと思います+

第一朗読  創世記 12:1-4a
(その日、)主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福しあなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。

答唱詩編詩編33・4+5、12+13、20+21
神の注がれる目は、神をおそれる者に、神の愛に希望をおく者の上に。

神のことばはただしく、
そのわざにはいつわりがない。
神は正義と公平を愛し、
いつくしみは地に満ちている。

神を王としていただく国、
神のものとして選ばれた民はしあわせ。
神は天から目をそそぎ、
人々をすべて見ておられる。

神はたて、神はすくい、
わたしたちは神を待ち望む。
心は神のうちにあってよろこび、
とうといその名により頼む。

第二朗読 テモテへの手紙 二 1:8b-10
(愛する者よ、)神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました+

 

2020 年 3 月 8 日(日)
 四旬節 第 2 主日〈紫〉A 年 
  カトリック麹町教会 ザビエル聖堂 於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記