カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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5-31 罪を赦し 聖霊を受けなさい

    

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英神父 ミサ説教 イグナチオ教会於

 今日は聖霊降臨の出来事をお祝いしています。第一朗読の使徒言行録2章にあったように、お祭りで人々が集まっている時に彼らに聖霊がそそがれた出来事が語られています。そして聖霊が最初のメンバーにくだったその後から、そこに集まった人々は励まされて、聖霊の力によって多くの人々に福音を伝えるようになり、そして聖霊の力がひろがっていく最初の出来事が描かれています。
この聖霊のことを考えれば考えるほど、変な例ですが、コロナウイルスと似ているという気持ちがあります。最初に聖霊に感染したのは極少数で、ほんの少しの人が聖霊を受けたのですが、それがどんどん多くの人に広がっていったわけです。最初は三密で密閉、密集、密接していた中で聖霊が働いて、このあと人を介して聖霊が広がっていった。聖霊は目に見えないですし、いつ感染したかも分からないです。コロナウイルスにかかったらすぐには分からないけれど、段々体の調子が悪くなったり、熱が出てきたりして分かるわけですが、聖霊に感染すると段々と喜びや平和な気持ちが溢れてきて幸せな気持ちにどんどんなる。それをわたしたちは今思い起こしましょう。つまりコロナウイルスは感染を止めなければならないですけれども、三密を避けたり、その代わりにわたしたちは聖霊の感染を今こそ広げなければならない。人々が不安に思ったり、なんとも言えない気持ちで、三密を広げるわけにはいかないですけれども、わたしたちは今こそ聖霊の恵みをコロナウイルスの代わりに広げていく必要性があるのではないか。それを心がけたいと思います。
コロナウイルスが流行るのに、スーパースプレッダーとかいう人がいるというのです。みんながコロナウイルスを感染させるわけではなくて、ある特定の人がたくさんの人たちにひろげていると聞きますが、聖霊もそうかもしれません。スーパースプレッダーまでいかなくても、みなさん一人一人がスプレッダーとして聖霊を感染させていく、そういう気持ちがあれば今のわたしたちに一番大切なことではないかと思います。
ついでに言うと、実行再生産数という言葉があって、1人の人が1人以上うつしている。実行再生産数が1を上回ると感染が広まっている。この数字が1より下に下がったら広まりを抑えられているということです。わたしたちはコロナウイルスの実行再生産数を1より下回ることを願ってますが、クリスチャンは実行再生産数を1より上にあげなければならない。つまりわたしたちが出会った1人以上に聖霊の恵みが感染されないとキリスト教は流行らないわけです。つまり福音宣教はそういうことだと思います。聖霊を周りの人に感染させていくという使命がわたしたちに与えられているということです。それを心がけましょう。
今日の福音朗読である通りなんです。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」みなさん一人一人はイエスの弟子として遣わされているものだという事です。自分の置かれている場所で、あるいは出かけていく場で、そこで聖霊の恵みを分かち合う、感染させていくような。平和の心、喜び、赦し、癒しの気持ちを周りの人に分かち合っていく、感染させていく事が今一番大事だと思います。自分自身も平和と喜び、聖霊の恵みを生きていくという事。それを聖霊降臨の日にあたって特に願いたいと思います。
そして聖霊の恵みを生きる上で、識別という事が非常に大事なんです。これはイエズス会の中でよく言われていることで、ここもイグナチオ教会ですから、みなさん一人一人が識別できる人になっていただきたいと前から思っていることなんですが、何かというと聖霊の導きを自分自身が見いだして、日々の生活の中で聖霊の導いている方向性に向かって、わたしたちが生きるということなんです。特に今のように、完全に教会を閉鎖して誰も来ないようにするのは簡単です。みなさん家にいればいいけれども、このように部分的に教会が開いてきた中で、どれだけ家に閉じこもるのか、どれだけ教会に来るのか、どれだけ仕事場に行くのか、出かけていくのか、感染のリスクを考えながらどうするか、みなさん一人一人の識別によるしかないということです。高齢者の方とか、基礎疾患のある方が教会にくるかどうか。わたしがみなさんにお願いしたいのは、みなさん一人一人の識別が大事だということです。司教様がある基準を出していて、もう少ししたら緩和されたり色々するでしょうけれども、そのことも参考にしながら、みなさん一人一人の信仰生活において聖霊の導き促しでどうするのが信仰生活においても、教会に来るか来ないかにおいても、仕事場でどう人と関わるのか、感染リスクの中で家族の繋がりの中で、家族の中に高齢者がいるとか、様々な要因の中で一人一人がしっかりと識別をして聖霊の導きはこうだから自分はこのようにするという、主体的な責任のある生き方をするというのは今、極めて大切なことだと思います。
今こそ聖霊の導きに耳を傾けて、何をするにもリスクがありますから。例えば教会の対応に対しても、ある人は慎重すぎるとか、ある人はそれでいいのかとか、教会の方針に対してとか、政府や東京都の方針に対して緩すぎるとか、きつすぎるとか、人それぞれみなさんも意見がありますでしょう。でも大切なのは一人一人がどうするかでしょう。教会がどう決めているとか、政府がどう決めているとかではなくて、この危機の中で一人一人が神の声を聞いて、それをみなさんが責任をもって自分で選んで行動していくしかないわけです。1年2年、このあやふやな状況がずっと続くでしょうから、今こそみなさん一人一人の識別力、一人一人の責任ある自分の決断による判断と行動が極めて重要だと思います。
だからみなさん聖霊に心を開きましょう。神様がどのようにするよう自分に呼ばれているのか。教会が政府がどうではなく、自分が神の導きで、祈りのために教会に来る方がいいのかどうなのか、あるいは仕事に行くのか行かないのか、ボランティアを再開するのかしないのか、教会の奉仕活動を続けるのかまだ止めておくのか。みなさん一人一人の識別にかかっていると思います。
神の声を聞きながら、一人一人が神様の御旨にかなった、それは一人一人全く違いますから、それを大切にして歩めるように、共に祈りながら進んでいきましょう+

第一朗読  使徒言行録 2:1-11
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

答唱詩編詩編104:1b.24.29.30.31.34
神よ、あなたのいぶきを地のおもてに。

主なる神、
あなたはまことに偉大なかた。
あなたは数えきれぬほどのものを、
英知に満ちて造られた。

あなたがいぶきを取り去られると、
死が訪れてちりにもどる。
あなたは霊を送ってすべてを造り、
地上を新たにしてくださる。

神にとわの栄えあれ。
神がみわざを喜ばれますように。
わたしの思いが神の喜びとなりますように。
わたしは神を喜びとする。

第二朗読  コリントの信徒への手紙 一 12:3b-7、12-13
(皆さん、)聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。
賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。

 

ヨハネによる福音書 20:19-23
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」+