カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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6-21 恐れずにイエス・キリストの仲間になる

英神父 ミサ説教 イグナチオ教会於

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マタイによる福音書 10:26-33(そのとき、イエスは使徒たちに言われた。)「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」+

  マタイの福音書10章後半のところにあたる箇所が朗読されました。「人々を恐れてはならない。」というのは今日の福音書のメッセージです。このマタイの福音書は切り取って読むとよく分からないのですが、マタイの10章は1節から福音宣教の心構えがまとめて書いてある章になっています。福音を宣べ伝えるのに使徒たちを派遣して、福音を宣べ伝えるのにどういう心構えが必要かということを問うている中の途中で何があるかと言うと、福音を伝えている中で必ず迫害されると、迫害されながらでも福音を宣べ伝えなさいという教えがあって、そして今日の箇所につながるわけです。人々を恐れてはならないというのは、迫害されることは間違いない、つまり迫害なしに福音を伝えることは不可能だと書いてあるんです。でもだからといって迫害があるから福音を伝えるのをやめましょうということをしてはならないということです。迫害があるけれども人々を恐れてはならないとイエス様はおっしゃっているわけです。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」と言っています。これは迫害者の話なんです。迫害が厳しければ殉教する可能性も十分ある。でも例え殉教したとしても魂を殺すことはできないとイエス様はわたしたちにおっしゃっています。ある意味厳しい箇所だと思います。わたしたちは今の日本に暮らす中で、ほとんど迫害はないですが、コロナウイルスによる様々な不自由なことが迫られていて、ミサも非常に制限した形でしか再開できないでいます。だからこそ福音書のメッセージを恐れるな、というイエス様の言葉を心に刻みたいと思います。迫害を恐れるなといってイエス様がおっしゃるように、わたしたちも当然コロナウイルスにも気をつけなきゃならないし、こういう教会でたくさんの人々が集まりますから、細心の注意を払ってすごく制限し考えて、こういう形でやっているわけです。でも恐れてはならない。恐れて自分の信仰、生き方を閉じてしまうような生き方をするのは、イエスの御心ではないでしょう。感染症対策を十分にしたうえで、わたしたちは積極的にイエス・キリストを生きていく。イエス・キリストの福音を生きていくということを心がけたいと思います。

「むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」つまり神様ですね。天国も地獄も全てをすべたもう神様に、ここでいう不安や恐怖心ではなくて、その神様に対する尊敬の心と畏敬の念を持って信頼して歩んでいこうということです。この気持ちを大切にして新たに少し再開してきた教会と共に、わたしたちも歩んでいきたいと思います。そして最後にこういうのです。「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す」わたしたちクリスチャンはイエス・キリストの仲間であるということを言い表して生きていきましょう。ここでいう言い表すは、職場でクリスチャンと言ったら恥ずかしいとかいう話ではなくて、迫害での話ですから、その中でイエス様の仲間であるといった途端に、鞭打たれたり拷問を受ける可能性がある中で、仲間であると言い表せと、イエス様がおっしゃっているわけです。わたしたちは言い表すかどうかというよりは、言葉で言うよりイエス様の仲間であるということを改めて思い起こして、わたしたちの生き方を通して、言葉を通して仲間であるということを小さな形で証ししていきたいと思います。そしてわたしたちはイエス・キリストとの仲間でもありますが、こうやって少ない形で集まっている方々、そしてネットで参加している方々もそうだと思いますが、みんな仲間だということです。仲間とのつながりを大事にして歩んでいけたらいいのではないかと思います。今のようなコロナの感染が広がって、あっという間にクラスターが発生してしまうというのが、非常に危険なことになっているわけですけれども、思いますけれども、イグナチオ教会のように不特定多数の人がいっぱい集まる、言葉化するとイベント教会。普段は日曜10時の教会のミサは700人で聖堂いっぱいに参加している。そのようなイベント型の教会はもしかして終わったと思います。新しい教会を始めなければならない。集まって来てまたバラバラに帰っていくだけの教会はもう成り立たないです。仲間とのつながりを持った人しか教会と言えなくなると思います。だから仲間と共に歩む信仰をイエスの仲間だけでなしに、イエス様の仲間同士の、つまり人と人とのつながりの中で信仰をつないでいくしか、少なくともこの2年間はそれしかできないと思います。不特定多数の人が集まることがもうできないんです。わたしたちが、教会自身が変わるべき時が来たと思います。その姿を共に作り上げていく気持ちがなければ、イグナチオ教会は崩壊すると思います。なんでこうなったのかとか、わたしはミサに参加できないのかとか、電話がいっぱいかかってきています。でも仕方がないんです。つながりをもって新たにスタートするしかないんです。教会の中で知り合いが1人もいないという方はミサに参加できないです。不特定多数を集めるわけにはいきませんから。わたしたちが新たな教会を始めていく気持ちでスタートしていきたいと思います。わたしたちはイエス様の仲間であることと、仲間と仲間のつながりを生きていくということを、そこからスタートして、共にみんなでイエス様の仲間が集まって、顔も名前も連絡先も分かる、そのようなつながりで、何かあったらすぐ連絡できるようなつながりで歩んでいけるように。これは簡単なことではないので少しずつ一歩一歩、イエス様の仲間として、そして今の状況にあった共同体的なつながりを持って、それを少しずつ新たな教会をつくっていけるように、今でなくても構わないですから、今から少しずつそういうような教会づくりをこの2年間ぐらいかけて、少しずつ作り、助け合っていけるように、コロナに負けないで歩んでいけるように、共にお祈りしたいと思います+

  第一朗読  エレミヤ書 20:10-13
(エレミアは言った。)わたしには聞こえています多くの人の非難が。「恐怖が四方から迫る」と彼らは言う。「共に彼を弾劾しよう」と。わたしの味方だった者も皆、わたしがつまずくのを待ち構えている。「彼は惑わされて我々は勝つことができる。彼に復讐してやろう」と。
しかし主は、恐るべき勇士として、わたしと共にいます。それゆえ、わたしを迫害する者はつまずき 勝つことを得ず、成功することなく甚だしく辱めを受ける。それは忘れられることのないとこしえの恥辱である。万軍の主よ、正義をもって人のはらわたと心を究め見抜かれる方よ。わたしに見させてください、あなたが彼らに復讐されるのを。わたしの訴えをあなたに打ち明けお任せします。
主に向かって歌い、主を賛美せよ。主は貧しい人の魂を悪事を謀る者の手から助け出される。

答唱詩編詩編135:12.13.14.15.18.19
主をたたえよう。主はいつくしみ深く、そのあわれみは永遠。

エルサレムよ、神をほめたたえよ。
シオンよ、神をたたえよ。
神はおまえの門のかんぬきをかため、
その中に住む人を祝福される。

神は国ざかいに平和をもたらし、
よい麦でおまえを養われる。
神は地に向かっておおせになり、
そのことばはすばやく走る。

神はみことばをつかわしてこれを溶かし、
いぶきを送られると水が流れる。
神はみことばをヤコブに知らせ、
定めとおきてをイスラエルに告げられる。

第二朗読  ローマの信徒への手紙 5:12-15
(皆さん、)一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。
しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです+

 

2020年 6 月 21 日(日)
 年間 第 12 主日〈緑〉A 年 
  カトリック麹町教会 主聖堂 於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記