カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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210103 主の公現 主の栄光はあなたの上に輝く

英神父 ミサ説教 イグナチオ教会於

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マタイによる福音書 2:1-12   イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

 今日は主の公現の祭日にあたります。公現、イエス様が公に現された。それは異邦人であり、三人の博士に現されたということ。異邦人の救いの始まりだということをお祝いしている、その大きな祝日にあたります。
この東方の三博士が、なぜわざわざ西のイスラエルのところまで拝みに来なければならなかったのか。彼らはどういう気持ちで来たのか、ということも非常にここを読む度に不思議な気がします。
彼らの失敗は、王が生まれるということで、ヘロデ王の宮殿に行けばいいと、安直に考えたところが実際大きな問題だった。救い主はベツレヘムで生まれるということが分かって、東方の三博士は方向を変えて、ベツレヘムの方に行くわけですけれども、ヘロデ王もしくじったかなという気がします。この三博士を信用しすぎたところがあったのかもしれない。
児童文学の大家で上橋菜穂子という人がいまして、国際アンデルセン賞などをとったり、世界的に有名なファンタジー小説家がいるんです。彼女の小説だったらヘロデ王は絶対に忍びの者を遣わせている。スパイを付けさせたと思うんです。ただそのまま三人だけを送ったということは、上橋菜穂子の世界でいうならばあり得ない。やはり忍びを送っていると思います。
でも忍びを送っているにしては情報をちゃんとつかんでいない。このあと二歳以下のベツレヘム周辺の子供を全員殺すので、知性に欠ける感じがします。もしかしたら東方の三博士に特別の刺客が一緒に付いていて、裏では忍びと刺客との大きな戦いがあったのかもしれない。小説のフィクションの世界になりますが。
ただ東方の三博士がなぜそんなに遠くまで、今で言ったらイランやイラク、昔で言ったらペルシャか、バビロニアあたりの今のアラブ地方ですから、そこまでなんで救い主を拝みに行かなければならなかったのか。
推測ですけれど、相当ひどい混乱があった。この三博士という説と、王であったという説もあるんですけれども、それは今よりも酷かったのかもしれない。絶えず戦争を繰り返して、今よりも酷い疫病が何回も何回も流行って、貧しい人々が虐げられている状況は、今以上に厳しかったかもしれない。
そのような状況の中で、本当の意味で救い主が誕生して欲しいという。そのような強い強い期待があったからとしか考えられない。ただ学問的な興味で行ったとは思えない。それほど大きな期待を持って、イエス様の誕生を心から迎えなければならないという気持ちがあったんでしょう。それは今も同じかもしれない。救い主が今こそ必要だという気持ちは、わたしたちにもある程度あるのではないか。
日本は平和ですけれども世界的に見たら様々。隣りの国の香港にしても、非常に大きな問題がここかしかにあるわけです。そして今はコロナウイルスの感染が更に拡大して、もう一度、東京は自粛に入らなければならないギリギリの状況になってきているわけです。その中でわたしたちは救い主の必要性を、改めて必要だという気持ちがあるのではないかと思います。
でも東方の三博士が、救い主の居場所を見つけたのは、星を見てということです。これは本当に象徴的だと思います。星は夜しか輝かないし、落ち着いて見ないと見えてこないものでしょう。今の東京は残念ながら星すら見えないですけれども、でも星を見失った時に、東方の三博士はヘロデ王の所に行ってしまうわけで、常識的に考えたら王の誕生は宮殿だと思う。常識に捕われて彼らは間違ってしまうわけです。
わたしたちが信仰をもって歩むというのは、やはり夜の星の輝きの導きの方向を探して従っていく中でこそ、見つかるものではないかと思います。夜というのは苦しみや混乱の時にこそ、夜空を見上げなければならない。
あるいは黙想したり、日常から離れて神の前に身を置いて、静かに心を整えた時にこそ、見えてくるものが夜空の星と思います。でもそれを見失った時に、わたしたちの人生はこの世的なものに捕われて方向性を失って、ヘロデのところに行ってしまうという、可能性がわたしたちにもあるのではないかと思います。
今の状況に合わせたら、ヘロデは批判を浴びている今の政府という感じもします。対応が決まらずなかなかうまく出来ない政府という気もするし、あるいはヘロデ大王というのは、まさしく今のわたしたちにとっては、コロナウイルスそのものがヘロデかもしれない。それに振り回されてしまって、右往左往してしまうならばですけれども。

わたしたちが星の導きを信じて、神の導きを信じるならば、東方の三博士がちゃんとイエス様の所に辿り着いて、その後別の道を通って帰る。ヘロデの所には戻らない、真実の道を見い出して、違う道をちゃんと見つけるわけです。
幼子イエス様とマリア様とヨゼフ様がエジプトへの道に行くわけです。それは一時的な避難をしなければならなかった。わたしたちも今、別の道も通らなければならない。あるいはエジプトのような、どこかに避難する必要性があるかもしれない。
でも救いの訪れはすぐ来るものではない。東方の三博士は三十年後のイエス様の活躍を、全く見るチャンスはなかったでしょう、でも星の導きと、幼子イエス様に出会ったことが、彼らの生き方を決定的に変えたでしょう。三十年後の彼らの人生は、神の御旨をしっかりと見い出す、特別な恵みが与えられたことも確かではないかと思います。
クリスチャンであるわたしたちが今の混乱やネットとかテレビとか、いろんな情報でまた気持ちが煽られたり、不安になったりしますけれども、やはり信仰の目を持って神の導き、自分自身に対して主はわたしたちに対して何を望んでいるか。別の道をしっかり見い出しながら歩めるように、この一年をそのような気持ちでスタートしたいと思います。
緊急事態宣言が出て、また大司教様がもしかしたら、公開ミサの禁止に踏み切られるかもしれないですけれども、それは分からないです。たとえそうだったとしても、わたしたちは夜空の星をしっかり見ながら、日頃は見えないものをしっかり見つめながら歩んでいけるように、そこに確かな道が開かれていくと思います。
神の導かれた道をしっかりと、振り回されず、今年も歩んで行けるように、共に神様の恵みを願いたいと思います+

第一朗読  イザヤ書 60:1-6
(エルサレムよ、)起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。目を上げて、見渡すがよい。みな集い、あなたのもとに来る。息子たちは遠くから娘たちは抱かれて、進んで来る。そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き、おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ、国々の富はあなたのもとに集まる。らくだの大群、ミディアンとエファの若いらくだが あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。

第二朗読  エフェソの信徒への手紙 3:2、3b、5-6
(皆さん、)あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです+