カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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210919 信頼し合い 自然を歩き 共に歳を重ねていく

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マルコによる福音書 9:30-37
(そのとき、イエスと弟子たちは)ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

 今日のマルコの福音書の話しですが、弟子たちが途中で誰が一番偉いかということを議論していて、それでイエス様はむしろ一番になるのではなくて、全ての人の後になって、全ての人に仕えるものになれとイエス様がおっしゃいます。

そして一人の子供の手をとって真ん中に立たせて、このような子供を受け入れることが大事だとおっしゃるわけです。これは度々出てくることで、マタイでは子供のようにならなければ、天の国に入ることができない。この子供ということを非常に大事にイエス様はしているのは明らかだと思います。

私たちがどう子供のようになればいいのか、大人の私たちがピンとこないところもあるんですが。

今日は先ほども言いましたように、特に高齢者の方々のために、敬老の意味を込めてこのミサを捧げますと言ったんですが、歳をとっていく人たちを見て、私だったら身近には神父さん達が、おじいちゃんになっていく姿を見ることは最近非常に多いんですが、やはり歳をとるというのは、どうみても子供のようになることだなと思います。

若い頃は一番偉いかどうかはともかく、できるだけ頑張ろうと思うわけです。学校の時だったらなるべく100点とろうと思ってみんな頑張ってるわけだし、会社に入ったらなるべく売上をとか、なるべく仕事を一生懸命に、一番でなくてもなるべく立派にというか頑張って、目に見える成果を上げて、当然なことですが歳をとればとるほど、出来なくなってくるわけですよね。若い頃これだけやれたことが、体力的にも気力的にも、どんどんできなくなっていくといことです。でもそういう姿を見ていて、子供のようになるものが、神の国に近いということは、やはり歳をとっていくということと重ね合わせると、その意味がはっきり分かるんじゃないかという気がするんです。

私も60歳を超えているので高齢者になる準備を始めなきゃならないとも思っているんですけれど。高齢者として生き生きと生きていく生き方は何かといったら子供のようになるというか、子供のような心にかえっていくというか。それは神様のもとにというんですか。その中で私たちの今までと違うあり方というか。若い頃の人生のつくり方と違う、もっと違う生き方、在り方、神様の交わり方が広がってくる。それを私たちが大事にできたら素晴らしいと思うんです。

私たちは生まれて大人になる。歳をとって最後は子供のようになって、そして神の国に帰っていくというのが私たちの人生の、そして信仰生活のサイクルじゃないかなと思います。私たちがいかに子供にかえれるかとか、子供のように生きることができるかということです。それを心がけていけたらいいんじゃないかと思うんです。

加えて10月に長寿の集いというのがあって、内容を決めていなかったんですが、そこで話そうと思って用意していた話しがあるんですけれど、中止でお話しできないんですが、その話しをまとめて簡単にしたいと思うんです。

今いっぱい本が出ているんです。歳をとってもどう生き生き過ごすかという本です。結局のところ三つが大事。それをさらに私なりにアレンジしていうならば、歳をとっても生き生きとしていく三つの秘訣は何かと言ったら、信頼の心をもって生きる。自分の力で出来なくなるから、周りの人を、そして神様をより信頼して生きる生き方にシフトしていくという。小さな子供は誰を信頼しているか。お父さんとお母さんですよ。自分ではあまりできないから。やっぱりお父さんとお母さんに全面的に頼っているというか、全面的に信頼している姿ですよね。あのような気持ちで私たちも神様に対する信頼の心を新たにして。だからこの不平とか不満とか、怒りを置かなきゃならない。いろいろ不都合がありますけれど。神様に対して信頼をして、安らかな誠実な心で毎日を過ごしていく。これが本当に一番大切なことだと思います。

二番目は何かと言ったら、自然の中で体を動かす。自然豊かな中で体を動かすというのが、老後の生活というか体がなかなか老いないというんですかね。歳をとってしょぼくれない二番目に大事なことは、自然の中でなるべく体を動かす。自然の中でということと体を動かすということを出来る環境があるといいですね。今は皆さん教会にこれていないですけれど、ご存知ですけれど、中庭があり、芝生があるんですよ。でも2年ぐらい教会学校をまともに開いていないので、1年半開いてないので、芝生が生き生きとしてるんです。あんまり子供しか入れない芝生のエリアは。だから毎年、今頃芝生がボロボロで禿げているところだらけで痛めつけられていた。1年半使っていないから青々としたすごい綺麗で、今素晴らしいんですけれど、それはそれでいいのか悪いのか心が痛むところなんです。子供達が来たら、コンクリートとかはそうではないですけど。芝生に入ったとたん、嬉しそうに走り回るんですよ、小さな子供が。芝生の上をキャッキャ言ってぐるぐる走り回ったり転げたり、喜んでいる。ああいうのを見ていると、自然の中で体を動かすというのが人間の基本的な生き方だと思います。だから小さな子供がゲームなんかして、今スマホでゲームに熱中している子供がいるんですけれど。見たら不健康だと思うんですよねやっぱり。そんなにスマホとかばっかりやっていて。この子大丈夫かなと思ったりします。逆に芝生で遊んでいる子供を見たら本当にそれが人間の生き方だと思うんですよね。老人になっても一緒です。ずっとテレビを観て。ネットされないかもしれないけど。ずっとテレビを観てじっとしてるだけなのは、やっぱり不健康ですよ。今日みたいに暖かくて、やっぱり近くの公園とかをちょっと散歩したり。激しい運動でもなくてもいいから、やっぱり自然に触れながら体を動かすってことは、人間の健康のためにいいのは間違いない。何歳でもですけどねそれは。

そして三番目に大事なのは、簡単に言って友達と遊ぶ、友達と一緒にいるっていうことが大事。芝生の子供達の姿を見て、教会の子どもたちを見たら、みんな一緒に遊んでるんですよ。走るのでも何人かでぐるぐる走ったり、何人かで戯れて、一緒に友達と遊ぶんですよね。友達と繋がる、関わるっていうことが大事で、これは歳をとっても同じだと思います。

反対は何かといったら、孤独ですよね。誰とも喋らないとか、一人だけ閉じこもったりするっていうのは、小さな子供にとっても大人にとっても老人にとってもですね、健康に悪いと思います。早く歳をとっちゃうということは統計上明らかなんですね。小さな子供にしても大人にしても老人にしても、友達と一緒に遊んだり、友達と一緒に食事したり、友達と一緒に色々する。いかに友達の中で過ごすかということです。難しいことだったら、社会的関わりを持って生きていくっていうことが、歳をとった上で、ものすごく大事だというのは明らか。でもそういうことは全部子供が自然にしていることが一番大事だと人生の中で。特に歳をとればとるほど、子供が普通にやることを老人になってできる人が幸せな老後が過ごせるという事なんですね。子供のようになりなさい。子供のように受け入れてということは、だんだん歳をとっていく中で大事だし、子供のような心で生きていくってことですよね。それは本当に私達も大事にしていきましょう。

本にはやっぱりなるべく長く仕事をした方がいい。体を動かしたり、頭使ったり。やることがないことが一番良くないっていう。遊びでも仕事でも何かをずっとやり続ける人の方が、長生きなのは明らかだというんですね。そういうことも含めて私たちが今、コロナでちょっとまだ友達と会えなかったり、厳しい状況にありますけれども、でもこれに負けないで、私たちが本当に子供の心で神様を信頼しながら歩んでいけるように、お互い助け合いながら、自然との交わり体を動かす機会を持ちながらですね、本当に信頼の心を持って歩めるように、このミサで共に祈りを捧げたいと思います十

第一朗読  知恵の書 2:12、17-20
(神に逆らうものは言う。)「神に従う人は邪魔だから、だまして陥れよう。
我々のすることに反対し、律法に背くといって我々をとがめ
教訓に反するといって非難するのだから。
彼の言葉が真実かどうか見てやろう。
生涯の終わりに何が起こるかを確かめよう。
本当に彼が神の子なら、助けてもらえるはずだ。
敵の手から救い出されるはずだ。
暴力と責め苦を加えて彼を試してみよう。
その寛容ぶりを知るために、悪への忍耐ぶりを試みるために。
彼を不名誉な死に追いやろう。彼の言葉どおりなら、神の助けがあるはずだ。」

第二朗読  ヤコブの手紙 3:16-4:3
(愛する皆さん、)ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあ(ります。)上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。
何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。