カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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220410 あなたはイエスと同じ体験をしているのです

 

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 今日は受難物語を朗読致しました。私たちもイエス様の受難と死、これをしっかりと受けとめていきたいと思います。
コロナウイルス感染症がもうニ年以上続いて、私たちはある意味ずっとイエス様の受難の中にいると言えなくもないです。コロナの中で様々な人がそれぞれのメッセージを出しましたが、一番心に残っているのは教皇フランシスコがコロナの中で生きる、PHP研究所から出た。その中で自分の体験を語っていて、自分自身の個人的なこのコロナの体験、自分自身の苦しみの体験がどういうものであったか語っておられる。三回あったというんです。
一回目は21歳の時に肺の病気で死の直前までお医者さんの見立てだけでなしに看護師さんの働きで、手術や投薬でなんとか彼は生き延びたわけです。その時に彼は死の淵を、ギリギリのところをさまよっていて、その時に彼が一番励ましになったのは何か。色んな人がお見舞いに来てくれて、大丈夫だからとか元気になるとか、いろいろ言ってくださったのですけれど、そういう言葉はあまり響かなかった。苦しみの中にいたので。子供の時からお世話になったシスターが来て、たった一言だけ言った言葉が「あなたはイエスと同じ体験をしているのです」たった一言の言葉を彼に告げる。それは彼の心を震わせて、一番励まされたと言っていました。
私もよくお見舞いに行く事が多いんですが、何を喋るか案外難しいんです。本当に駄目だと分かっていても、大丈夫だからとか、きっと良くなりますよとか、安易な励ましの言葉しかできないですけれど、イエスと同じ体験をしている。はっきりとシスターが語り、当時まだ神学校に入っていない、その言葉を彼はしっかり受け止めて、そして病床でイエズス会に入ることを決めたわけです。
その後も彼の人生は波乱万丈ですが、管区長になったりその頃ももの凄く大変でしたが、彼があげているのは、管区長と院長職が終わった後です。彼は強烈な指導力があったので彼に反対する反ベルゴリオ派もいっぱいいて、アルゼンチン幹部が二分するくらいの、彼の賛同者もいっぱいいたんですけれど、結局彼のやり方が、当時のイエズス会のやり方にあまり合っていないという判断になって、結局ベルゴリオ派が全部追放される、左遷されるような、それを伝記を読んだ時は信じられなかったですが、イエズス会にもそういうことがあるんだと思って驚きました。結局彼はドイツに留学させられた。五十歳を超えて。どう考えたってそれは左遷人事の一つ。ドイツにいるときにもの凄い深い孤独と辛さを感じた。それで一年ぐらいいたんです。そこで紐を解くマリア様に出会った。でもやはり博士課程をするのは無理ということで彼は帰国するんです。帰国したら当時の管区本部の人たちが恐れて、せっかく追いやったのに帰ってきた。結局田舎の所に彼を左遷をする。それが三度目で、それは彼が非常に辛い時期だったという。今までいろいろな活躍出来たものが、全く何も活躍できず、いわゆる窓際族のような形になってしまった。それが二年ぐらい続いたと書いてありました。それは本当に辛い時期だったと彼は言っていました。でもその時こそ、自分の魂の浄化、自分を清める時だったと彼ははっきり書いてあります。浄化の時を通して自分には、無力さと沈黙の中に自分の身を置かざるを得なくなって、そこから忍耐力、理解する力、ゆるす力、無力の人々を思いやる気持ちが、本当の意味で自分の中に育ったと書いてあります。
そして時間もいっぱいあったので、彼が読んだ本がなんとルードヴィッファヴァストゥールという人の有名な教皇の歴史という三十七巻本のもの凄く長い、彼は何の気無しに教皇の歴史を読んだという。それは結局準備だったというんです。歴代の教皇がどんなに大変だったのか、追放されたり幽閉されたり、二人だとか三人だったり、教皇様でも大変な事もいっぱいあるわけで、そんな歴史を読んでいるので、今は少々の困難があってもどうということもなくなった。あの本を読んだのがワクチンを打ったようなものだった。と書いてあって、そのニ年後の最後に補佐司教に選ばれて、それから大司教、枢機卿、教皇になるわけです。彼の後半の活躍は左遷されていたニ年間の苦しみの時期を通してそれが生まれたということです。
ちなみに私が六甲教会に行くのは左遷ではないです。普通の人事異動で何の意図はない。日本管区は平和なのでそうやって誰かを追いやるとかそういうことはない。当時のアルゼンチン管区が非常にいろいろな問題があってそうならざるを得なかったということです。
コロナ禍で、あるいはイエス様の受難にあずかるということは、それ自身は苦しいことですけれども、それは必ず次のステップに向う、つまり復活の恵みに至るプロセスだということです。
このニ年間のコロナのなかで病気や、大いに苦しんでいる方もおられるでしょうし、孤立とか孤独とか、謂れなき形で職場から追いやられたりということも経験される方もおられる。あるいは仕事を無くしたりとか、コロナの中で様々な困難も感じた方も多いでしょう。それはイエス様と同じ体験をして、そしてそれを糧にして次のステップに向かっていく。自分自身が更に成長した次のステップに歩んでいくための期間であると思わざるを得ないでしょう。
今日はイエス様の受難をお祝いしていますけれど、私たちはイエス様の受難と心を一つに出来るかどうか。それは全く簡単な事では無いですけれども、でもそれを越えて、私たちは更なる成長をして、恵みの世界に向かっていく事が出来るのではないかと思います。
コロナがいつ終わるか分からないですし、戦争がまた広がってくるかもしれない。苦しいことが絶えないかもしれないですが、でも私たちはイエス様の苦しみと心を合わせることによって、復活したイエス様の恵みも味わっていける。やはり前を向いていきたいと思います。
そして今ある現実を受け止めながら未来に希望を持って歩んでいけるように。パパ様のあまりにドラマティックな人生ですけれど、私たちはそこまでドラマティックではないですけれど。でも私たちはいつも苦しみを受け止めそれを乗り越えながら、新しい人生、新しい世界へ向かって歩んでいけるように、共に祈りをささげたいと思います+

ルカによる福音書 23:1-49
(そのとき、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちは、)立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」そこで、ピラトがイエスに、尋問した。「お前がユダヤ人の王なのか」イエスは、お答えになった。「それは、あなたが言っていることです」ピラトは祭司長たちと群衆に、言った。「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」しかし彼らは、言い張った。「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」
これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。
「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」しかし、人々は一斉に、叫んだ。「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」とこのバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、叫び続けた。「十字架につけろ、十字架につけろ」ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める。『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」
ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、言われた。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。
百人隊長はこの出来事を見て、神を賛美して言った。「本当に、この人は正しい人だった」、見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。