カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2017-10-22 神様への恩返し

神父 ミサ説教                         聖イグナチオ教会於 

マタイによる福音書 22章15-21節(そのとき、)ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」十

   今日の福音書は、イエス様と敵対する人々との間で論争になっているわけですけれども、皇帝に税金を納めるのは立法に適っているか、適っていないか。どちらをこたえても、難癖をつけるつもりだったわけですね。それに対してイエス様は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」ということをおっしゃいます。デナリオン銀貨を持ってこさせると、皇帝の肖像と、ローマ帝国であろう銘が入ってあったんだろうと思われます。それは所有者がハッキリしているから、皇帝のものは皇帝に返しなさいというところですね。わたしも日本のお札を見ましたけれども、ちゃんと日本銀行と書いてありますね。皇帝の肖像ではないですけれど、福澤諭吉とか野口英世とか王様でも何でもないですけれども、代表的な日本人のモデルとして顔を一応入れているので、日本のものである。わたしたちは日本にいる以上、税金を納めなければならないし、ルールを守らなければならないと思います。それに対して、神のものは神に返しなさい、というのはどういうことか。
皇帝と神様を横並びにできるのか。これは政治と宗教を単純に分けなさいと言っているわけではないと思います。第一朗読を読むと、ペルシャの王様キュロスを使って神様がユダヤ人をバビロンから解放させているわけで、神様を同列にできるわけではないですね。何が一体神様のものなのか。神様の名前も顔も何も書いていないわけです。もちろん十字架やおメダイとかにイエス様やマリア様の顔がありますけれども、でもこの十字架もイグナチオ教会の所有物で、みなさんが持っている十字架は自分のものだという。ではイエス様の顔が描いてあるから、神様のものかといえばそういえない。では何が神様のものかと考えた時に、神様が創造主である以上、この世にあるものは全て神様のものになってしまうのではないか。イグナチオ・ロヨラがよく使っていた言葉は、全てのものの中に神を見出す。という有名な言葉ですけれども、全てのものは神様のものなんですね。名前も、神の顔も書いていないですけれども。わたしたちの生活、持っているもの、人生の出来事には全てに神の顔があるわけです。顔が見えなくても神の働きがその中に全て入っているわけです。日常の出来事から、大きな出来事まで。大きな家に住んでいて、自分のものだというのはいいんですけれども、究極的には全て神様のものですね。わたしたちの働きや人との関わりや全てに神様の顔、神の働きを見い出せるなら、賛美と感謝の祈りをするしかないと思います。どれほど神様の憐れみ、慈しみがわたしたちの生活の中に働いているかということです。今朝も多くの方は朝ごはんを食べてこられたでしょうけれど、朝ごはんの中にも神様の恵みが働いている。意識することもないでしょうけれども、全ては神の恵みの中にわたしたちは生かされているわけですね。もちろん悪いものとか、罪の中にも神がいるかどうか。それはよく祈ってみないと分からないことですけれども、わたしたちの全ては神の恵みの中に生かされていて、名前がついているとしたら、全てのものに神様という名前が刻まれています。みなさんの心と体にも名前は刻まれていると思います。その神のものは神に返しなさい、というのはどういうことなのか。皇帝とか日本の税金だったら返すことになりますけれど、全てのものが神様のものだとしたら、わたしたちは神様にお返しするということが、一体どういうことなのかと思います。結局のところ、神様にお返しするということは、日々のわたしたちの小さな活動や働きを賛美と感謝の心で果たしていくということになると思います。直接神様ではなくて、周りの人々に対して神の心を分かち合っていく生き方をしていくといことですね。
今月のイグナチオ教会のミッション2030の祈りのカードは、活動と働きを見つめましょうということですが、わたしたちの活動や働きは、神様からいただいて、ただ神様からお返ししていくだけですね。感謝と愛の心で。そして周りの人に喜ばれるよう、わたしたちが愛の行いをする事が、結局は神様にお返しすることになるでしょう。
献金を払えば神様にお返ししたというにはあまりに一部だと思います。今日の献金は世界宣教の日のためですから、宣教地で働いている方々に使われるためで、貴重なものですけれども、わたしたちの日々の活動や働き全てが神様にお返しされるようなものとして、働いていることができるならば、それはわたしたちにとってみても神様にとってみても、幸せなことだと思います。
別の言葉で言ったら恩返しだと思います。全てを神様からいただいているので、その恩返しすることが返すことだと思います。自分自身が両親から受けたお恵みを両親に返すことはもうできないんですね。子供の頃からどれほど父親と母親からお世話になったか。でも両親に感謝とお恵みをもう返すことはできないんですね。離れているし、老後の世話は当たり前ですけれども。では両親から受けたお恵みを誰に返すかといったら、普通の場合は自分の子供ですね。受けたものは他の人にお返しするしかなく、本人にお返しできない。だからわたしたちは神様からいただいて全てのものを直接神様にお返しできないんです。お返しするとしたら、周りにいる人々に、次の世代の人々に、あるいは周りに困っている人々に、会社の同僚に、家族にお返しする意外ないんですね。それが本当のお礼というか、恩返しだと思います。わたしたちがいただいた、全ての恵みは神からくださった神のもの。それをわたしたちは感謝して、それを次の一週間、そのお恵みを神様にお返ししていくことができるように。間接的にですけれども、人々やわたしたちの奉仕を心からすることによって、神様にお返しすることができるように、わたしたちの日々の活動が神様からきて、神様へ返っていくような、そういうものになるように、心をこめてお祈りを捧げましょう十

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第一朗読  イザヤ書 45章1、4-6節
主が油を注がれた人キュロスについて主はこう言われる。
わたしは彼の右の手を固く取り
国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。
扉は彼の前に開かれどの城門も閉ざされることはない。
わたしの僕ヤコブのために
わたしの選んだイスラエルのために
わたしはあなたの名を呼び、称号を与えたが
あなたは知らなかった。
わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。
わたしはあなたに力を与えたがあなたは知らなかった。
日の昇るところから日の沈むところまで人々は知るようになる
わたしのほかは、むなしいものだ、と。
わたしが主、ほかにはいない。

第二朗読 テサロニケの信徒への手紙 第一 1章1-5b節

 パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。
 わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです十

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                       2017 年 10 月 22 日(日)8時半ミサ
                        年間 第29主日〈緑〉A年
                        カトリック麹町教会 主聖堂於
                        イエズス会 英 隆一朗 助任司祭ミサ説教記