カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2016-09-05 入門講座 13 十字架

 英神父 入門講座 13 十字架 

  マルコ15章25節から 「 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。 そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は[されこうべの場所]――に連れて行った。 没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。 それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。 イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。 罪状書きには、[ユダヤ人の王]と書いてあった。 また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。 (†底本に節が欠落 異本訳)こうして、[その人は犯罪人の一人に数えられた]という聖書の言葉が実現した。 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。『おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、 十字架から降りて自分を救ってみろ。』 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。『他人は救ったのに、自分は救えない。 メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。』一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。 」イエス様が十字架につけられるていく様子は、どの福音書もだいたい同じような形で、ゲッセマネという園でお祈りをしている時に、祭司長や律法学者の手下たちが来て捕まって、最高法院で裁判を受けて、一応死刑の判決が出たんです。一晩かけて拷問を受けられていたんだと思います。翌朝イエス様が捕まったのが木曜日の夜で、金曜日の朝、ピラトがローマ帝国の提督の最高権力者のピラトから死刑判決を受けて、十字架を担いで処刑場まで歩いて行くということになるわけです。十字架というのは当時のローマ帝国の中の、死刑の中でも最も重い死刑です。石打の刑とかあるわけですが、十字架刑は拷問刑でもあるし、見せしめ刑でもあります。最後は市中引き回しではないですが、十字架の横木を担いで、みんなから嘲られながら歩いていくというところから始まります。でも前の晩からほとんど寝ていなくて、体中にムチうちでやられているわけだし、何も持っていなくても歩けない状態なのに、横木一本担いで行くのは、限界であったであろうと思われます。だから伝統的な十字架の道行きという信心業では、三回倒れたことになっていますが、それぐらいだろうかと思われます。ほとんど担ぐ力がなかったので、マルコによる福音15章21節からキレネのシモンが十字架を担ぐことになった。「田舎から出てきて通りがかった」と書いてあります。おのぼりさんみたいな感じで、損なくじを引いてしまう人はいつもいます。機転が利かないタイプだと思います。空気が読めないタイプだと思います。ささっと行動でができなく、体もでかく、それで十字架を担がされることになったんです。本人にとっては、がっかりというか、何でこんなことになっただろうと思います。アレクサンドロとルフォスという息子の名前まで出てきているということは、明らかにこれがきっかけでクリスチャンになったというのは間違いないだろうと思います。その息子の二人が教会のリーダーだったので、こうやって名前が残っていると思われます。単なる偶然というか、そんなくじを引いたと思ったら、それがいわば生き方が変わる、大きなきっかけになったという、不思議な巡り合わせでもあると思います。でも本当は十二人の弟子たちがやらなければならない話でした。親分が危ない時には、弟子たちが助けるはずですが、すっかり意気消沈してしまったので、あるいは逃げてしまったので、肝心なところで弟子の役割ができなかったという、皮肉も含まれています。キレネのシモンこそ、本当の弟子の役割を果たしたわけで、 キレネのシモンは初代教会では、本当に羨ましがられた。物理的にイエス様の十字架を担がれたのは、彼だけでだった。どんなに名誉なことだったのか後から分かったわけです。結局わたしたちも、嫌なことは突然やってくる、思いもかけないところで何か十字架を担がされる。自分の意思で担ぐというのはほとんどないわけです。苦しみを選ぶことすらできない。病気や仕事や家庭のこととか、向こうから突然やってきて、しかたなしに担がなければならないというのが、私たちの人生の現実にあると思います。キレネのシモンは、たまたま担いだのがイエス様の十字架だったので、単なる苦しみではなくて、それは大いなる名誉である。それが自分自身の救いに繋がるということは 不思議なのものだと思います。イエス様の十字架を通して、言えることは何かと言ったら、私たちは自分自身にやってくる苦しみを、どう受け止めるのかということです。私たちに突然降りかかってくる、あるいは逃げられない苦しみを、どのようなものとして受け取るか、それはイエス様の十字架を通して私たちに語られていることの一つだと思います。そしてゴルゴダの丘というところに行って、これは神殿の外に当たるわけです。エルサレムの街の外。城壁の外は何もないところがあって、ゴルゴタのところで十字架に付けられる。イエス様を十字架につけてその服を分け合った誰が何をとるかくじ引きで決めた。この辺りは旧約聖書の詩編22をモチーフにしていると言われています。詩編22というのは、苦しみを語っているところです。その中で服を分け合うというのが出てくるので、旧約聖書の成就として、描かれています。ついでにいうと、服というのはものすごく高価だったので、みんなで分け合った。服というものは価値があるものだったので、兵士たちは誰のもになるか決めたという。そして十字架につけたのが午前9時だったので、朝、十字架にかけられたんです。そこを通りかかった人がイエスを罵った。頭を振りながらイエスを罵るというのが詩篇22に出てくる言葉ですが、十字架刑というのは公開処刑で見せしめのためなんです。当時の娯楽の一つだったんですね。人が処刑されるのを見て楽しむという。 だからみんなで罵ったり楽しんだりするような。だからイエス様の十字架の苦しみは肉体的な苦しみもありますが、馬鹿にされたり侮辱されたりという苦しみも入っていると思います。手の平か、手首に釘を打ち付けて、足の先に釘を打ち付けて、激痛が走るわけです。何が問題かというと、呼吸が出来ないというのは、十字架刑ではあるのです。息を吸おうと思ったら、胸を張ろうとするので、手と足に力が張るんです。そうすると激痛が走るので、あまり息をすることができにくくなる。息を思いっきり吸うと、激痛が走るので、最終的には窒息死になるといわれています。拷問ですね。そして侮辱される罵りの言葉ですが「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、 十字架から降りて自分を救ってみろ。」「他人は救ったのに、自分は救えない。 メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。」これは一種の信仰告白みたいになっていると思います。つまりイエス様は自分は救わないで、他人を救うために自分が十字架にかかっているんだから、それは最終的に自分の使命だと思ったわけです。弟子たちにとって突然十字架にかかって死ぬということは、先ほど言ったように、大失敗、全ての計画が崩れるように映ったと思います。逆に言うならば、本当に人を救うために自分の命を犠牲にするしかない。イエス様は自分の命を犠牲にして、人々を救うために十字架にかかったというわけです。その時はわからなかったけれども、後から弟子たちは気づいたのだと思われます。自分の命をささげて、それは愛の極致といえると思います。しかも神様が自ら苦しまれて、命を捧げるという確かにそれ以上の何か形はありえなかったのと思います。だいたい神様とは普通のイメージだったら上の方にいて、高みの見物ではないですけれども、下を人間の苦しみを眺めたりしていた。でもイエス様は人間になって、自分の苦しみと命を捧げ尽くす形で、私たちの救いを成就したということですから、この受難物語がこのように書かれているのは、イエス様のある意味、苦しみの凄さと、苦しみに伴うイエス様の愛の凄さ。それを描いています。だから私たちにとってイエス様が十字架にかかるというのは、非常に大きな感動というか、私たちの心を揺さぶる。だからただ単に高みの見物で助けたわけではない。命をかけて私たちを助けようとされた。そこにイエス様の十字架の意味があるだろうと思います。単なる失敗とか、敗北よりは、いわばイエス様の自己犠牲の究極の姿があるといえると思います。そして33節から「昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。 ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。 また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。 この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。」「昼の十二時になると、全地は暗くなり」自然現象までがイエス様の苦しみに合わせるという形になるわけです。古代の偉大な人の死に合わせて、このようなことが起こるというのは固有のことでしょうと思います。三時で大声で叫ばれたというのは、九時から三時、六時間かけられたのは相当苦しかったと思います。出血もだいぶされていたでしょうし、この三時ぐらいが最後になると思いますが、大声で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」とこの詩篇22の冒頭句になります。このモチーフは入っているといわれています。詩篇22というのはまた変わった詩篇で、なぜ神様、私を見捨てたのですか、というところが入って、頭を振りながらとか苦しみが書いてあるのですが、なぜか最後は神様への賛美で終わる詩篇なんです。だからこのイエス様の苦しみをあらわすのにふさわしいと思ったかもしれない。イエス様だけではないですけれども、敬虔なユダヤ人は詩篇をほとんど暗記しているんです。何かことがあることに唱えたり、亡くなる時には、本人か周りの人が詩篇を唱えるというのが普通なんです。亡くなる時に、イエス様が詩篇22節を唱えたのはありうると思われます。たぶんアウシュビッツでたくさんユダヤ人がガス室で、詩篇22節を唱えながら亡くなった人が多かったと思います。そのような苦しみの中で亡くなった時に、詩篇を唱えられるのいうのは、十分考えられと思います。最後には賛美の祈りで終わっているので、最後のイエス様の心は安らかだったであろうと思われますが、色々な意見がありますが、イエス様が単純に苦しかったから、イエス様が叫ばれたと考えられます。イエス様が十字架上で肉体的な苦しみや、人々からの嘲りやがあったでしょう。イエス様の最大の苦しみがあるとしたら、御父神様から見捨てられたと思うくらい辛い苦しみが、イエス様の中にあったとも考えられます。つまりイエス様は、人間的な苦しみを味わいながら死なれたわけで、苦しみの中で死なれたのだから、こういう言葉を叫ばれたとしても、イエス様の十字架の苦しみが、どれほど深かったという事を、示しているといえると思います。なんでここまで苦しまれたかというと、私たちのためにこそ、深い苦しみをイエス様が苦しまれた。だからこの十字架を通して、わたしたちの苦しみをどうを受けとめるのかというならば、イエス様が苦しまれているということです。だから私たちの苦しみは、単にわたしたちの苦しみだけではなくて、神を信じて生きるならば、イエス様が共に苦しんでくださっていることと、繋がっていることだと思います。何が一番人間にとって苦しみかは、人によって違うと思いますけれども、最も苦しみの一つは、神様から見捨てられてしまう苦しみというのが、地獄の一番底だと思います。そこまでイエス様は苦しまれたとしたら、わたしたちもどんな苦しみの中にもイエス様が苦しまれている。わたしたちの全ての苦しみをイエス様が苦しまれたからこそ、わたしたちはがっかりする必要はない。苦しみを通して、イエス様の苦しみを、心を合わせるのはできるということです。それはキレネのシモンのように、イエス様と共に十字架を担っているということが、これが私たちの中でも誇れるということです。わたしたちはただ一人で苦しむ必要はないです。ただ一人で悩んでいるわけではなくて、神様と共に苦しんでくださるということです。わたしたちの苦しみの一つは、自分だけ苦しむということ。一人でも苦しみを分かってくれたり、共にいてくださる人がいるだけで、だいぶ気持ちが違うものです。神様がそうだとしたら、それは私たちにとって、大きな慰め、力づけになると思います。だからイエス様の苦しみが書いてあるということは慰めです。イエス様は自分のために苦しむ必要性はなかったのです。わたしたちのためだけに苦しまれたのだから、苦しみを通してイエス様と一致できるようなお恵みが与えられている。そして、エリ、エリ、レマ、サバクタニと聞こえたんだろうと思いますけれども、ここはエリヤを呼ばれていると勘違いした人たちもいた。旧約聖書にはたくさん預言者がいるんですが、エリヤだけは普通には死なかったんです。エリヤが天に上げられた。エリヤは列王記2章に書いてありますが、なんでか分からないけれども、エリヤは天にそのままあげられた。だから人々は世の終わりの前にエリヤはもう一度来ると、信じていたのです。だからこういう時にこそエリヤが来るのではと人々は考えたということです。 ちなみにレバノンに行くと、レバノンの人気の聖人はエリヤなんです。どこの家庭にもエリヤの像が飾ってあります。エリヤはかなり厳しいイメージがありますが、国が変われば尊敬される聖人も違うという感じがします。当然エリヤは来ず、「イエスは大声を出して息を引き取られた。」「すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」これは神殿の中に垂れ幕が二枚あるので、至聖所と聖所を分けているたれ幕でしょうと思われます。レビ記に書いてあるのですが、至聖所というのは、人間が入ったらダメなんです。聖所と分けるために、カーテンのような厚い垂れ幕が着けてはあるわけです。至聖所というのは、神様しか入ることができない。なぜかといったら、モーセが神様からもらった十戒です。それが一番大切なもので、人間が近づいたらダメなんです。その垂れ幕の外の聖所からお祈りをする。それが聖所と至聖所を分ける垂れ幕で重要なんです。もう一枚、外に垂れ幕があるのですけれど、最初の時からそのように作られています。それを真っ二つに裂けた。これは大変なスキャンダルだと思います。9月の終わりぐらいがユダヤ人の新年にあたって、10日間ぐらいからから大贖罪といって、一年間の罪を清める。悔い改める日があります。この時だけ至聖所に大祭司が入るのです。罪の贖いのために牛か何かの血をふりかけたり、お祈りをしたりしたりする時だけ入るのです。そこは鈴をつけて入り、足首に紐をつけて入るのです。鈴が鳴っていると向こうに行っているのが分かるです。もしかして大祭司が心臓麻痺で倒れたら、誰も入れないので、紐を引っ張って引き出すためにつけていた。それぐらい分けてあるところなので、それが真っ二つに裂けたということで、マタイによる福音書とか、映画で見ると地震が起きて、その影響で幕屋が真っ二つに裂けたという描写が多いです。意味が二つをあるんですが一つは、旧約聖書の約束が終わった。その垂れ幕の象徴が、神殿の垂れ幕が裂けた、神殿が終わるという ふうに思います。AD 70年に神殿はローマ軍に完全に滅ぼされて、それ以降、今に至るまで、十戒の板を入れていた契約の箱がなくなってしまう。いまだに行方不明。二千年間、世界史の謎の一つです。それで映画インディジョーンズで、その箱を探していくということです。もう一つの意味は、神と人間を隔てている幕がなくなった。神と人間とがはっきり分かれていたわけですけども、イエス様の死によって、あるいはイエス様によって、神と人間とのつながりが 回復した。つまり垂れ幕がいらない。イエス様が人間の世界と神の世界をつないだわけですから。わたしたちは垂れ幕によって、境があるわけではない。

イエス様が洗礼を受けて、水に入ってそこに出てきた時に天が裂けたと書いてある。同じ動詞です。垂れ幕が裂けるというのと。そこで天が開いて、天が裂けて、神の恵みが注がれたというわけです。イエス様の十字架によってこそ、天が開いた。あるいは神様の世界がわたしたちに開いてというような、お恵みが与えられたこともシンボルだと思います。そして39節、百人隊長がイエス様の死を見て「『本当に、この人は神の子だった』と言った。」いわゆる信仰告白をするわけです。百人隊長というのは、ローマの百人部隊の隊長なわけですけども、異邦人で、死刑執行を取りしきっていた責任者だと思いますけれども、イエス様の死を通して、神を垣間見たのです。その後、40節に婦人たちが出てくるんです。何人かの夫人たちは逃げずに、遠くからイエス様の十字架を見守っていた。41節「 この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。」イエスに従って世話をしたとありますが、仕えるとか奉仕するです。イエス様の弟子であるということは、イエス様に仕えると、従うという二つの動詞であらわされます。だからこの女性たちは、イエス様の十字架まで従ってきたので、本当の弟子であると言われています。だから男の弟子は全然だめだったんですけれども、キレネのシモンとか百人隊長とか、女性の弟子たちが、イエス様の本当の弟子の役割を担っていたと、いうようなニュアンスで描かれているのだろうと思われます。マルコ福音書のテーマは何かといったら、弟子は不信仰である。本当の弟子は不信仰であったというのがテーマの一つなんです。逆にそうでない人が信仰があるところがマルコの特徴でもあります。わたしたちとの信仰者の在り方を問い直すために、マルコの福音書があると思われます。そして42節から「既に夕方になった」と書いてあって、金曜日の3時か4時ぐらいに亡くなられているそうです。すると日没がはじまると、日が沈んでしまうと、土曜日の安息日がはじまってします。そうすると遺体に触れることも降ろすこともできない。働くことができない。だからイエス様の信仰にとっては耐えられない。ピラトに頼んでアリマタイのヨセフが中心となって、イエス様を安息日が始まる前に、何とか降ろして、墓場に葬った。このお墓はゴルゴダの丘からかなり近い墓に入れられたと思います。当時のお墓は横穴式のお墓に入れて、石で蓋をして、時間がなかったので、大急ぎで葬ったのであろうと思われます。それで全てうまく終わったように思えるんですけれども、違う展開なのです。マルコ16章1節から「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。 そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。 彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。 ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。 墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」安息日というのは金曜日の夕方から、土曜日の日没までです。安息日は何もできないので、家に帰って静かにしていたわけです。この時は弟子たちに何を考えていたのか、全く絶望的な気持ちで、自分たちの身が危ないというのもあるでしょうけれども、やはりイエス様が期待外れみたいな、せっかくこの人に望みをかけていたのに、あっけなく死んでしまって、これからどうしたらいいのかと考えていなんだろうと思います。女性達もイエス様の死を認めたけれども、だからといって将来に希望を抱くということもなかったでしょうし、非常に不安な一日を過ごしていたと思います。弟子たちにすれば、ガリラヤに帰って漁師とか、それぞれの仕事に帰るとか、今後はどうしようと考えていたんではないかと思われます。安息日が終わると、土曜日の日没です。女性たちは「イエスに油を塗りに行くために香料を買った。」すぐ葬ったので、正式な葬りではなかったので、正式な香油を塗ったり何なりしたかったでしょうが、土曜日の夜に香油を塗るために、それを買った。週の初めの日の朝、日曜日の朝早くに、日が昇ったらすぐに遺体の処理のために行った。彼女たちは、『だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか』と話し合っていた。」多分、大の男が三人ぐらいで動かないといけないぐらい、重い蓋を閉めていた。女性の力では無理だと思い、行ってみたら、既に石が脇に転がされていて、墓の中に入ると、白い衣を着た若者が右手に座っていた、ということです。つまり石が取り除かれていて、イエス様の遺体がなくなっていたということです。しかも若者なのか、天使なのか、天使のような人だったとありますが「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」イエス様の遺体が亡くなって、空の墓だったということが、復活の一つの最初の出来事になるわけです。でも8節「 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」十字架にかけられて亡くなったいうのはショックですけれども、それよりも墓にいなかったというのは、どう考えても信じられないことだったと思われます。すっかり気が動転してしまったということで、しかも最後が恐ろしかったからであると言って、マルコの福音書が終わっているのです。9節以下は付け加えで、古い写本にはないのです。あまりに変な終わり方なんで、後の人がつけたお話と言われるぐらい、「何も言わなかった。恐ろしかったである」で終わってしまうと、誰にも何も言わずにその場を去ったと言うと、復活のお恵みは誰にも伝わらなかったわけですが、それほどを復活の恵みに驚いた。十字架に架かって亡くなられたのもショックでしょうが、それ以上に復活したと言われてもピンとこなかったと思います。そこがキリスト教の大事なポイントになるわけです。イエス様が復活したというところに、大いなるお恵みがあるということです。十字架にも深い意味がある。わたしたちの苦しみは、自分だけが担わなくても、どちらかがイエス様が共に担ってくださるという意味があるんですが、復活が入るとさらにまた意味が変わります。苦しみは苦しみで終わらないということを語っている。十字架だけではなくて、十字架の後の復活ということで、お恵みの世界があるということを、イエス様が自ら示されたということです。だから私たちの苦しみも死も、どんな困難も、苦しみのままで死のままで終わらないということです。というメッセージがつけ加わったわけです。だから十字架復活というのは、わたしたちの苦しみの意味を変えてしまった。受け取り方を、全く変えてしまったというところに、革命的なものがあるといえるであろうと思われます。これは弟子たちもだんだんに分かってきたことで、復活ということで非常に驚いたということです。この後の事情を説明するならば、ヨハネの福音書の20章1節「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。 それから、この弟子たちは家に帰って行った。」はっきりわからないけども、続きの話だろうと思われます。「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。」マルコでは数名の女性と書いてありますが、それで墓から石がとり除いてあるのを見て、しかも空っぽだったという、衝撃的な出会いがあって、マルコでは誰にも何も言わなかったと書いてあるわけですが、こちらではマグダラのマリアが、ペトロともう一人の弟子、イエスが愛しておられたもう一人の弟子、使徒ヨハネだといわれていますが、ペトロとヨハネのところに告げたんだと、これも現実味があった。墓が空っぽになってしまった。盗まれたんだと思ったでしょう。遺体の処理をしようと思ったら、遺体がなくなっていて、ペトロとヨハネの所に行ったんだと思います。そして「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」と言ったわけです。ペトロとヨハネは驚いて、墓が空っぽだということで、二人はまた驚いて、一緒に走って、使徒ヨハネの方が先についた。ペトロが先に入って、ヨハネが後から入るのですけれども、「 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。」細かく布の位置まで書いている。ヨハネによる目撃情報というか、多分、使徒ヨハネが、ヨハネの福音書を書いたという証拠ですけれども、それがやたら細い。本人でないと書けないことが書いてある。大いなる驚きがあった。11節以下で今度は二人の弟子が帰って、マグダラのマリアだけ墓に戻って、復活した主に出会うことから、復活の出来事が始まるわけです。2節「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」ですがイエス様がどこに置かれているかわからないということですが、ヨハネの福音書の一つのテーマは、ネガティブなテーマです。マルコのテーマは弟子は不信仰であるがテーマです。ヨハネのテーマは何かといったら、「わたしたちはイエスがどこにいるか分からない」ということです。一貫してそのように書かれています。イエス様がどこにいるのか、いつも分からないんです。二人の弟子が、どこに泊まっているんですか、と聞くところから、どこにいるか分からないということです。だからイエス様がどこにいるのか、発見しなければならない。マルコの福音書では わたしたちの信仰を持たなければならないというのが、一つのメッセージとして描かれています十

 

2016 年 9 月 5 日(月)
 第 十三 回 キリスト教入門講座 
 カトリック麹町教会 信徒館ヨセフホール於
  イエズス会 英 隆一朗 神父 講座記