カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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11-23 教会黙想会 後編 新しい協働に向けて―霊操の入り口を体験するー」

イグナチオ教会黙想会 後編 イエズス会 山内神父

    

  youtu.be

イエズス会が向かおうとしている方向について(UAP)
 「イエズス会使徒職全体の方向づけ」
Universal Apostolic Preferences
 全イエズス会が現代において、どんなミッションに呼びかけられているのか、これから10年間の全イエズス会がどんなミッションに於いて呼びかけられているのかの方向づけを識別しました。
 この世界の中で働いておられる神様と一緒に働くために、協働するために、イエズス会は何をすべきなのか、それを知るための識別して、どういうことが打ち出されたのかというのに、まず動画をみていただきます。

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(もしも神があなたに話しかけたなら、神はなんとあなたに話しかけるでしょうか?あなたは聞こえますか?あなたは神の呼びかけが聞こえますか?)

ソーサ総長:「イエズス会は16ヶ月かけて、現代における我々のミッションの新しい必要性を見い出すため、識別のプロセスをおこなってきました。私たちは世界中に広がる大きなグループであり、イエズス会員とカトリック教会のミッションに協働する多くの人々から構成されています。私たちは十字架につけられ復活されたイエスに従っています。この識別のプロセスは最終的に、教皇フランシスコから認可と承認を得ることができました。つまり私たちは4つの「イエズス会使徒職全体の方向づけ」をこれからの10年間のイエズス会の使徒的な働きを導くものであると、発表することができます。聖イグナチオの霊操と共同識別は、他の人々に神への道を示すために、我々にとって優先度の高い方法です。このために私たちイエズス会員はキリストに深く根ざした祈りの人でなければならないのです。そして私たちは我々と共通のミッションのために共に働く人々や、我々と同じ志を持つすべての人々と、この霊的な宝を共有できるのです。また我々は識別の共同体であるので、我々の生活と仕事において関わる全ての分野の人々のため、神の望みに真に従った識別をするため、識別の方法論を広めることに私たち自身を捧げます。私たちは貧しい人たち、世界から排除された人たち、人間としての尊厳が侵害された人々と共に歩みます。私たちが貧しくされた人々とともに歩もうとすることは、社会正義と不正義を生み出す経済・政治・社会構造の変更を促すものです。これは、人類が、民族とその文化が相互に和解し、また大自然および神と和解するために必要な側面なのです。若い人々はー彼ら若者の視点によってー私たちが生きる時代の変化とそこにある希望に満ちた新しさをより良く理解できるように助けてくれるのです。我々は彼ら若者とともに働くことを望み、また彼らの可能性を識別し、現実の深みにおいて神を見い出すことを望みます。今日、未だかつてないほどに、大自然は叫んでいます。開放を切望しています。現代における自然環境の危機は、特に最も貧しい人々や傷つけられた人々に影響を与えています。イエスに従うものとして、すべての我々と同じ目的に向かっている人々とともに私たちは緊急に「ともに暮らす家(地球)」が悪化することを止めるために働くことを望みます。そして私たちの次の世代のために可能な限りの自然環境を残すことを望みます。歴史を変えるのにまだ間に合います。我々はこの呼びかけを、我々の生き方とミッションの中で、4つの方向性を生きることによって、この変化を行動に移すものとして受け止めます。 」

(私たちは皆さんが我々と一緒にさらにこれらのことについて知り、一緒に行動を起こしてくださるようにお願いします。この世の嘆きを通して示されている神からの呼びかけに、共に答えてまいりましょう。)

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 UAPの解説
 短い動画ですが、大切なポイントが含まれていました。
 イエズス会の方向づけは、単にイエズス会が勝手にやろうとしていることだけではなく、教皇から承認されているということです。教皇からイエズス会が受けたミッションです。この方向性を通して、特に現代世界の教会へ奉仕していくための方向づけです。

ニコラス神父様が総長をやめて、新しい総長を選び、総会を開かれたのですが、そこで、教皇フランシスコが来たときメッセージを言ったらしいんです。そこから総会の流れが急に変わり新しい方向に動き出したというんですね。イエズス会の総会議だったんですけれど、イエズス会の言葉を話す教皇からのインスピレーションを強く受けて、教会に向けた仕事という意識も非常に強く持っているんだということです。

イグナチオ教会も非常に信徒が多いと聞いています。日本全体の信徒の2.5%ぐらいがこの教会にいるとなってくると、この教会では私の信仰が保たれればいいというだけではなくて、我々一つ一つの行動というのは日本の教会にも大きな役割を果たしています。

イエズス会使徒職全体の「方向づけ」Preferencesという言葉が使われたのは、意図的です。今までは「優先事項」を使っていたんですが、「優先事項」と言うと、例えば「アフリカへの宣教」を優先事項にしようと決めると、アフリカとなんの関わりもない多くのイエズス会員と協働者にとってはなんの関わりもない、自分の問題ではない、遠い世界のことになってしまう。そうではなく、何回も呼びかけがあり、少し抽象的な呼びかけなんですが、しかしどのような立場の人でも、イエズス会員だろうが、学校で教えていようが、信徒として参加していようが、みんなが一つになって考えて行くときの考える方向性として打ち出されています。

またこのPreferencesというのを考えていく時に、例えば全部を一くくりにしたりとか、ある項目だけを取り上げたりとかではなくて、全体を見ていくようにということを総長は繰り返し強調しています。去年こちらに来たときも同じようなことをずっと言っていたんですけれども、反復して少しづつ言っていかなければならないと思っています。このUAPの手紙でなるほどと思ったのは、方向付けに基づいて私たちが進んでいく時に、「イエズス会の協働者と新しい行動様式に変化していくための方向性」要するにイエズス会員と一緒に協力してくださる人々と一緒になって、イエズス会員の他の人の行動、生き方を変えていく、そういうきっかけになるための最初の材料なんだと言われています。

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これは大きいおメダイなんですね。ロヨラハウスで去年亡くなったメディナ神父様から頂いたものなんです。お部屋にはロザリオと十字架とこれだけがかかっていた。他の神父様の部屋にもこれがかかってあります。おうかがいしたら、コングレガチオ・マリアーナというイエズス会の学校、今のCLCとかの前身となるような、信徒の代表とかが集まる会があるんです。それに入会した時に渡されたメダイです。ではなぜ94歳になっても枕元に飾られていたか。すごく名誉な事だったという。これに選ばれるのは、その学校のエリート中のエリート。成績も抜群で生活態度もいい。これを渡されたらイエズス会員になるもんだと思ったそうです。イエズス会員になるというのは、今で言えば宇宙飛行士に選ばれるくらい名誉なことくらいで引き受けざるおえないと、みんなが憧れるおメダイだった。そういうものだと亡くなる間際になってお聞きしました。超秀才たちが集められ、その中でも体力的にも問題ないような18歳位の子が、海外で宣教に送り出された。超優秀な先輩方が何百人もいて彼らが頑張っていた。
その時代のイエズス会会員と比べると、今の私、あまりにも差がある。ここにいらっしゃっている方や、家でライブストリーミングを見ている方の多くは、知的にも霊的にもはるかに優れてらっしゃいます。
 この黙想会そのものも、評議会の皆さんやイグナチオ教会のミッション2030に関わっている人たちとの協議で、みなさんのアイデアで進行しています。
 第一講話の動画は、日本管区の広報担当のジョディ神父に2日間で作ってもらいました。
 第二講話の動画はローマの本部にあるチームが作っていますが、そのチームの中心はイエズス会員ではなく、協力者たちです。
 ミッションなんだけれども、もう協力なしには前に進まない状態になってきています。

 

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プリントに4つの方向性が示されていますが、特に一番最初の方向づけが重要です。教皇もこの点を特に強調されています。

A霊操及び識別を通して神への道を示すこと。

今日も再三識別、識別と言っていますが、これは他の3つを覆うようなイエズス会を特徴づける非常に大切なポイントである。これを推進していく。この方向付けに向かって、識別を協働してくれる人達と一緒にしていくこと。このプロセスが大切だと総長ははっきりとおっしゃっています。
「 何かをする」ではなく「どのようにする」かにインスピレーションを与えるものである。そして私「個人的」「共同体的」「組織的」みんなで一緒に回心を伴うもの。本当に深いところに触れて、そこから神の望みに向かって自分たちをもう一回組み替えていく。こういうプロセスを呼びかけていく。こういうことが言われています。
 イグナチオ教会の取り組み(Mission2030)も、単に一部の聖職者だけで方向性を決めるのでなく、識別のプロセスを一緒にスタートさせていきます。まさにUAPの方向性とイグナチオ教会が先んじてやっていることと一致しています。
「霊操」をイエズス会会員だけのものとしてしまうのではなく、もっと他者と分かち合い、その方法を新しい形で伝え、もっと多くの人と神の望みを見出していく術を一緒に考えていくことをやっていく。
 たとえば今日の黙想会の後も、ぜひ新しいアイデアを教えてもらいたいと思います。霊操そのものに興味のある方は上石神井にある黙想の家の数多くのプログラムに参加してみるなど深めていただいてもいいと思います。
イエズス会会員の中には、修練や大黙想といった本格的な30日の黙想を経験してきているイエズス会会員と、そのような体験をしていない人と同じように識別ができるのかと批判的な人もいます。
 しかし、36総会教令は、そんなイエズス会会員にはっきりと嫌味が書かれています。
「今日のイエズス会員が直面する問題は、私たちが繰り返し霊操を行いながら、なぜ期待したほどの変化が見られないのかということである。わたしたちの生き方、働き方、生活様式のどんな点がわたしたちを変えようとする神の大きな慈しみの妨げになっているのであろうか。」(GC36,Decree1,18)イエズス会員自身が変わらなければいけません。私自身に言い聞かせて、私たちが変わっていくには、みなさんと一緒に考えていく。祈って識別していくことが必要になってくることなんです。
 B 和解と正義のミッションにおいて、貧しい人々、世界から排除された人々、人間としての尊厳が侵害された人々とともに歩むこと
 昨日の王たるキリストの祭日に、マタイ福音書が朗読されました。「お前たちは、私が飢えていたときに食べさせ、喉が乾いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に尋ねてくれたからだ」こういう人が神の国に招かれる。
イエスの「神の国」神の支配のあり方を受け入れるものは、当然、この主イエスの愛の支配のあり方に自分も一緒に働きたくなる。
 ある信徒の人が、私を牛久にある入国管理センターの施設に連れて行ってくださった。そこには裁判所による裁判にかけられることもなく、入国管理局の一方的な判断で何年も勾留されている方々がたくさんいました。
 ハンガーストライキで抗議されている方と面会しました。 本当に飢えている状態の人の姿はこんな姿なんだと始めてみました。彼らのために寝る時間も惜しんで戦っている弁護士の先生にも出会いました。その方はクリスチャンでもないのに、どこからそのような愛のエネルギーが出てくるのだろうと関心するぐらい熱心に働いていらっしゃいます。
 協働とは、聖職者の手伝いをすることだけでなく、聖職者が彼らに導かれ、彼らに教えてもらう。私たちが働いていかなくてはならない人たちに出会わせてもらう、連れて行ってもらう。教えてもらうのはみなさん。私はロヨラハウスで16名のお世話はなかなか大変で、教えてもらわないと出ていけない。みなさんが私に教えてくれます。
 C 希望に満ちた未来の創造において若い人々とともに歩むこと
 この前、大阪教区のドムス ガラシア、大阪教区がつくったサービス付き高齢者向け住宅、サ高住へ行ってきました。修道院が高齢化でそこをたたんで、全メンバーが移動したりして、老後を看取るための施設が出来て、司祭や修道女たちが住んでいます。やがて数が減り空き部屋が出ますから、信徒も共にそこに住むことができるようにして、祈りの共同体、かつ老後を過ごす家として使っていくとういう目標としてつくられています。そこで働いてくださっている責任者の方が、
 一人っ子の子供が、司祭や修道者に憧れても、親の介護を考えたら一歩を踏み出すことはできない。施設の責任者は、カトリックの高齢者住宅を運営することは、大阪教区の若者の召命を支える。もし若者が司祭になりたいと言ってきたら、親を大阪教区のこの施設で世話をするよと。この高齢者施設が、召命の助けになるミッションだとおっしゃっていました。
 若者のためのミッションが、ただ教育や若者の集まりだけなのではないのかもしれない。彼らが必要としていることは何か、耳を傾けていくと、全く想像しなかった若い人々とともに歩むことの手助けになるのに気付いていく。若者が必要と感じていることに耳を傾け、共に識別していく。共に歩んでいく。思いも寄らないアイデアは、協働者から与えられるのかも知れない。

 D.「ともに暮らす家」(地球)への配慮と世話を協働して行うこと
 評議員の方と打ち合わせしている時に、お一人が「環境の問題についての対策は、今や企業が一生懸命になってやっている」と。むしろ教会は出遅れていると。そのとおりだと思います。
 まさに、協働のチャンスです。私たち聖職者は地球環境の専門家ではないです。だから、何もしないのではなく、教えて貰えばいい、アイデアを貰えばいいわけです。
 ロヨラハウスの黙想会にUAPを紹介する時に、地球環境を考える時に、私では無理だなと思って、上智大学の先生で環境についても専門家である先生をお招きしました。やはり信徒の方であります。 私たち修道者が環境のことについて何ができるのかをお尋ねすると、キッパリと「環境問題に向き合っていくには、霊性が必要です」とお答えになりました。
 物を生産し、大量に消費することは、ある種依存症のようになってしまっていることなので、この依存症から脱却するには一人でするには、相当の努力や痛みを伴い抵抗感があります。一旦深いところに降りていって、神からの呼びかけに本当に応えていく回心の経験がなければ、人間の考え方や生活のあり方を根本的に変えていくことは出来ない。なのでプラスティックのゴミ問題という時に、本当にその問題を解決しようとするならば、生き方と心のあり方を変えていかなければならない。誰にこれを教えてもらわなければいけないかというと聖職者ではない。信徒の先生、環境問題の専門家の先生に「ありがとうございます。凄くいいポイントをいただきました。」

さきほどの意識の究明と同じように、グループで、共同体で、組織で自分たちが神の望みに向かっていきたいと思った時に、どういうことが起こるのかというと、いきなり事業計画を見直していくとか、事業の整理をしていくとかということを密室で議論を始めてしまうと、たちまち批判、冷笑、恐れみたいな変化に対する恐れみたいなことが出てきます。たとえばイグナチオ教会が本来持っていた自分たちの良い伝統とか、環境とかが失われてしまったら、いったいどうなるのであろうかとか、それは本当に教会がやっていくことなんですかとかいう批判、いろんなネガティブな心の反応が出てきてしまう。そこでぶつかって止まってしまうのではなくて、いったん自分たちの教会は、修道会は、場合によっては会社は、クラブ活動は、コミュニティーは、そもそも何のためにこうして集まっていたのか。その原点はいったいなんだったんだろうか。今までの歩みを感謝の上に振り返りつつ、今の状況をありのままに見つめていって、本当の呼びかけは一体なんなのか。人間はそのものが、自分の目的の助けとなる限りそれを使用し、妨げとなる限り、それから離れるべきである。」このイグナチオの「原理と基礎」がここに通じるようです。いろんな心の動きとかよく考えて、一番本当の神様の望み、自分の心の望み、深いところの望み、そこに一回立ち返ってから、考え直していくと様々な障壁は、もう大きな問題ではなくなってくると考えられています。

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 初期のイエズス会会員の会話
 このイラストはヴェネチアで、初期のイエズス会会員たちが聖地巡礼を考えていたのですが、戦争になって、行くという目的がわない時に、当時のイエズス会員は話しながら歩いて考えていく。何をしていこう、どんなことを呼びかけられているのかとか、次なる方向を見つけていく。トリエント公会議に派遣された時も、イグナチオは毎日、少なくとも1時間かけて3人でその日の行動について話し合いなさいと。話し合って、話し合って、自分たちはいったい神様から何を呼びかけられているのかを考えなさい。そこで「霊的会話」という表現がイエズス会の中で使われるようになってきました。霊的会話がどういうのかというと、会話する形でのお祈りです。

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まず祈りの雰囲気をつくって、会議で議論するのとは違って、目の前にいる人の口を通して語られるイエスの言葉を聞きとっていこう。そんな姿勢で会話をする。心の動きに気づいていきます。場合によっては沈黙の時間があったりするのですが、これは神が気づく時間を与えてくれているのかもしれない。時間をかけながらゆっくりとグループの中で話し合っていきます。

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だいだい3ラウンドぐらいで、タイムキーパーを決めて、1人1分とか3分づつとか時間を決めて話し合っていって、少し沈黙の時間をとって、また第2ラウンド、第3ラウンドと深めていく。こういうふうな形、協働で祈る祈りというのもあります。これからもしも、いろんなグループとか教会の中でいろんな活動をされている方でやっていこうとする方にはいろいろアドバイスいたしますので、そういうあり方があるのだと。
 

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管区長から会員の中での「霊的会話」を進めるように任命を受けました。8月に集まろうと計画を立てだしたのに、
すぐコロナが出始め、集まることができなくなりました。これで1年立ち止まって楽になると思ったら、急にオンラインで話し合いができるという。難しくて全然分からないのに、周りから教えてもらって、呼びかけた。でもこんなのでは誰も集まらないのではと思っていた。そうしたら若手の会員に呼びかけたら、ほぼ全員集まった。 ローマにいる会員も、インドネシアにいる会員も、皆画面に集まり、すでに今年は5回、霊的会話を進めていっています。3月の時点では思いも寄らない方向に進んでいっています。その時々に与えられた試練があるわけですが、そこで出来ることを識別しながら歩んでいく。私一人で何も計画していないです。何も分からないんです。だけれど聞いていけば、段々とこういうプログラムが、かなうのが分かってきました。次は私どもが出来るのですから、イグナチオ教会、もしくはイエズス会の様々な使徒職で、例えば大学の先生と一緒にイグナチオ教会の信徒の方と代表の方々が集まって、一緒になって話す機会を持ってもいいですね。広島の学校の先生と、イグナチオの信徒と、イエズス会のUAPって何でしょうかねと話し合ってもいいですね。それで何になるのと一瞬思うかもしれないですが、思いもよらない方向に我々はアイデアが導き出される可能性はあると思う。若者の司牧の召命のために、老人ホームはみんな考えてなかったでしょう。だけど聞いていけば色んなことが繋がってくる可能性があると思います。
 しゃべりすぎました。私の説明などどうでもいいのです。それよりも、祈りを体験して、あなたの心にイエスが何を語りかけるかが大切です。

霊操は聖書の箇所などを使いながら進めていくのがほとんどです。主にイエスの生涯を見つめていきます。
 私自身を客観的にみるのは難しいですが、福音書に出てくる人々を見るときに、意外とはっきりと私が見えてくることがあります。
最後に 祈りのガイドを交えながら、静かな祈りの時間を持ちたいと思います。
 ヨハネによる福音21章

その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。 シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。 イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。 イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった十
  祈りの前にしばらくの時間、今から祈る箇所を読みます。黙想会などで指導者がいれば、簡単なポイントを教えてくれたりします。
例えば、この箇所は復活されたイエスが弟子たちに姿を表した場面です。弟子たちはイエスが十字架につけられた後、がっかりしていたのでしょうか、恐れていたのでしょうか、しばらく漁はしていませんでした。漁は彼らにとっての日常生活です。「人をとる漁師にしよう」というイエスの言葉を思い出すならば、福音宣教、彼らのミッションのことが漁という言葉に表されているのかもしれません。
 彼らは漁に出ますが、その夜、と出てきます。夜は暗い。神様がいない状態。進むべき道が見えない状態。不安の状態でしょうか。そのようなものを表しているのかもしれません。新型コロナウィルスの一年。不安の日々。教会に行くこともできない。つらさ。悲しみ。などが思い出されます。
やがて夜が明けます。光がさします。そこにはイエスが立っています。神が私たちと共にいます。夜の間もずっと一緒にいたのかもしれません。ただ私たちが目の前の問題で目が塞がれていただけかも知れません。
 イエスは船の右側に網をうてといいます。それまで漁師たちは左側だけ向いていたのでしょうか。小舟のすぐ後ろには魚がたくさんいる。どうしてそれに気づかなかったのでしょうか。
 網を引き上げることのできないほどの魚がとれた。魚は、私にとって何を表しているのでしょうか。

こういうふうに頭を使って準備をします。 実際に祈りに入ると、あれこれ分析するのではなく、できる限り、その場面の中に入って、その人達が何をしているのか、何を話しているのか。場合によっては匂いや自然の音などを感じます。ここでは想像力を使います。弟子の立場になって見つめてもいいです。映画監督のように、船や岸辺を自由に動き回って捉えてもいいです。その場面をただ思い浮かべます。
 実際に祈りを始める前にはその環境を整えるのもいいでしょう。例えば座り方、姿勢、締め付けているベルトや時計などを少し緩めてもいいかもしれません。この教会出身の中井神父様のお部屋に入ると、手作りのお祈りのための場所、祭壇が用意されています。そこに行けばお祈りが出来る。その空間、工夫をされていました。
 さていよいよ祈る前に自分は何を望んでいるのかを思い起こします。求める恵みを願います。
 今日は本当に短い時間でしたが、新型コロナウィルスの時代を生きる信徒として、主イエスからの呼びかけに耳が開くように願いましょう。
 祈りを始めるとあれこれと考え事をしていることに気づけば、再び意識して静かに場面に戻っていきます。
(沈黙)
実際は30分とか1時間という時間を少し静かにこういう場面を思い出して見つめていきます。今日はショートカットです。ずっと見つめていたあと、最後に神との対話をしていきます。何か気づきがあったでしょうか。何か心に動きがあったか。何も起こらなくても構いません。その沈黙にも神様からの呼びかけが隠されています。

最後に1分間ぐらい、今日黙想会で起こったことを神と対話しましょう。