カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2018-11-11 七五三

英神父 説教 イグナチオ教会於 七五三のお祝い

ルカによる福音 8章19-21節 さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった。そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった十

 みなさんは、自分の家でペットを飼ったことがある人はいますか。犬とか猫とか自分の家でいま育てている人も中にはいるでしょう。わたしは子供の時に、一度猫を飼っていたんです。猫を飼い始めた時は、小さな子猫だったんです。大きさがどれくらいかというと、みんな手のひらを出してみてください。子猫の大きさが、ちょうど手のひらに乗るぐらいの大きさでした。この手のひらに乗るぐらいの大きさだったんです。わたしの手のひらの上で子猫が寝ていたんです。この手のひらで子猫がスヤスヤ寝てしまうぐらい小さな子猫だったんです。その手のひらに乗せた子猫を見て、なんて小さいんだろう。そして生きているんですね。息をしていて、目を覚ましたら走り回ったりする。しかもすぐに、手のひらに乗れないぐらいにあっという間に大きくなりました。命というのは最初はものすごく小さいけれど、あっという間に大きくなってしまう。今日は三歳の子、五歳の子、七歳の子では体の大きさが全然違うと思いますが、みなさんのお母さんのお腹にいた時は、みんな手のひらに乗るぐらい小さかった。でもだんだん時がたつとみなさんは、こうやって大きくなってきた。命というのは信じられないぐらいのエネルギーがその中にあって、あっという間に大きくなる特別な力がみなさんの一人一人の中に、わたしたちの命には秘められているということです。でも命というのは実は弱い、儚い、もろい大切なものだということも強く思いす。 命とはエネルギーをも秘めているけれども、ちょっと油断したりすると、命の火が消えてしまうようなことを、わたしたちは認めなければならないです。三歳と五歳と七歳の子が来ていると思いますが、今日は何をお祝いしているかというと、儚い命だけれども、ここまで育つことができたことを感謝するためにここに集まっています。命というのは自然の力でどんどん大きくはなるけれども、油断したりすると、あっという間に消えてしまうこともあります。だからわたしたちは三歳になったことを五歳になったことを七歳になったことを感謝するのです。今日みなさんの中で、特別にきれいな服を着ている、着物を着たりスーツを着たり、なんできれいな服を着ているかといったら、神様に感謝のしるしとして今日は特別にきれいな服を着ています。神様に対する賛美と感謝の気持ちがあって、今日は特別の服を着ているのです。皆さん心におさめておきましょう。 そして儚いものだから神様に感謝するとともに、わたしたちは祈りをささげなければなりません。三歳の子が五歳になれるように、五歳の子が七歳になれるように、七歳の子は教会でいえば次は初聖体の式に向かって、わたしたちは徐々に大きくなっていくことを、神様が守ってくださいますようにと祈りをささげるためにわたしたちは集まりました。この後で、おメダイと千歳飴をもらいます。それは何かといったら祈りのためです。おメダイというのは マリア様から守られますようにと、千歳飴は今ある命がもっと健康に育っていくようにということです。一つの命が育つためにはお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃん、さまざまな人の協力があって命が大きくなっていく。そしてまたその命が悪いものからも守られるように。どんな危険がわたしたちにあるかは分かりません。何があるかは分かりませんけれども、どんなことがあっても神様のお恵みがあって、すくすくと子供が成長していくように、ここに集まっているお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんとともに、この命が神の恵みの中ですくすくと育っていくように、感謝と共にわたしたちの祈りをささげましょう十

 

2018 年 11 月 11 日(日)七五三のお祝い式
 カトリック麹町教会 主聖堂於
  イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 説教記