カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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2017-01-30 入門講座 24 叙階の秘跡

 英神父 入門講座 24 叙階の秘跡

 今日は叙階の秘跡についてお話します。七つの最後の秘跡、司祭になる叙階の秘跡についてです。神父様や司教様になる時に叙階というものがあります。マタイ10章1節「イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。 十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、 フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、 熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。」イエス様の生前の活動のかなり早い段階で 十二人の弟子を選びました。山上の説教でたくさんの人が集まってきて、イエス様を信じてた人がたくさんいたでしょうけれども、十二人の弟子を特別に選んだわけです。十二使徒と言います。十二人の弟子を選ばれ、いつもイエス様のそばにいてイエス様と活動されていた。つまりイエス様は一人で行っていたわけではなく十二人と共にイエス様の手足のように働くような人を必要としていて彼らとともに働いたということです。2節に十二使徒とはっきり書いてあります。名前が十二人書いてあって聖書で詳しく分かっている人と分かってない人がいます。特徴的にはバラバラである、これといった特徴があまりありません。住んでいるところもバラバラだった。全員ユダヤ人ではありました。最後に書いてあるイスカリオテのユダというのは、最終的にイエス様を裏切りました。何で十二という数字なのか。旧約聖書、ユダヤ人の時代にイスラエルには部族が 十二ありました。 創世記の最初にヤコブと言う人に十二人の息子がいて、それがイスラエル部族の起こりになりました。そこから十二部族が現れて、それぞれいろんな土地を 分けて部族ごとに住んでいた。イエス様と弟子たちというのは新しいイスラエルというニュアンスがあったんです。 そこで十二人を象徴的な意味合いもあったのではないかと思います。十二人ぐらいがちょうどいいのではないか。なぜ選ばれたか。 9章36節「 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」人々が苦しんでいるのを見てイエス様は深く憐れまれた。その憐れみからイエス様は人々を助けようと思ったんですが、37節 「そこで、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。』」だから働き手が必要とされていた。自分一人でやるだけではだめなので、手足のように働くような人々を選んだ。そして彼らがイエス様の手助けと、手助けだけでなしに10章5節 「 イエスはこの十二人を派遣するにあたり」十二人は イエス様のそばにいただけではなくて派遣されたのです。 マルコでは二人一組でと書いてある。何を派遣したのかというと7節「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。 病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。」イエス様が語った言葉を語るようにということです。福音、神の愛について神の国とはどういうものだということについて、イエス様からたくさん聞いてそれを語ったわけです。イエス様はたくさんの病人を癒されて、弟子たちもいやしの力をいただいて、そして病人をいやしていたりしました。言葉と行いによってイエス様の業を継続して行った弟子たちがいました。イエス様に従う弟子たちの一番最初の姿になるわけです。イエス様に選ばれて、イエス様の手足となるように。あるいはイエス様を手助けするように、場合によってはイエス様と同様に語るように行動したい、神の国の福音を周りに伝えたりした。マタイ16章13節「 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』 シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。 すると、イエスはお答えになった。『シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。』 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。」16章というのは聖書の真ん中あたりで 、ここは前半と後半に別れるところですが、フィリポ・カイサリア地方はかなり北のほうになります。 そこでイエス様が弟子の教育のようなことをされたのではないかと思います。イエス様は人の子のことを何者だと言っているかとおっしゃった。イエス様はいやしをされたり、人々の間で噂がありました。それでシモン・ペトロに答えさせます。いわゆる信仰告白ですが 「あなたはメシア、生ける神の子です」ということをここではっきりとペトロの口を通して、イエス様はメシアであるということをはっきりと表わされる重要なところです。メシアというのは油注がれた者という意味ですが、簡単に言うとユダヤ人を救ってくださる救い主です。この頃は紀元前の最後ぐらいですが、この頃はユダヤ人の間で終末思想が流行っていました。世の終わりになったら救い主が現れて、自分たちを助けてくれるという考え方が強かったんです。メシアを待望している時でもありました。それがメシアであるということをペトロがはっきりと告白するわけです。ペトロにしろパウロにしろ、イエス様こそメシアであるということで、ユダヤ人たちに宣教活動を行うのですが、それを信じてクリスチャンになった人もいるし、信じなかったユダヤ人たちもいます。信じなかったユダヤ人たちは今でも現存していて、イエス様をメシアとは認めないので、まだメシアが来られるのを待っているということです。でもクリスチャンたちはイエス様がメシアとして認めたということでそこが大きな違いが生まれたのです。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。」もともとのペトロの名前はシモン・バルヨナ 、ヨナの子シモンという意味です。そしてヨナの子シモンいう名前は ペトロとイエス様が名付けました。ユダヤ人にはもともと苗字はなかったのですが、その代わりにお父さんの子何々という言い方でした。それは今まだに残っています。 もともとシモン・バルヨナという名前だったんですが、イエス様がペトロと名付けたところが大事です。本当はペトルスというギリシャ語の男性形です。本当の意味は 「わたしはこの岩の上に」ギリシャ語の女性形でペトラと言います。だから引っ掛け言葉になっていて、岩の上に教会を建てるからお前の名前は岩だと言っておられます。ペトルスというのは日本語で言ったら岩男になる。岩の上に教会を建てるとおっしゃった以上、十二使徒の中でもペトロをリーダーに任命したということで、カトリック教会ではこの箇所を重要視しています。ペトロをこの中でもリーダーに選んで、最終的にローマの司教になります。当時はローマ帝国でローマが一番の都市でした。ローマ帝国の首都であるローマの司教になったので、ローマの司教が伝統的に教皇になるというわけです。マスコミでは法王と言いますが、教会の中では教皇と言います。パパ様と言ったりします。 岩の上に教会を建てるというのが根源になりました。この箇所は色々議論があって、イエス様が生きておられた当時、教会という言葉はありませんでした。教会ができるのはもっと後です。だからこの箇所は復活した後に、初代教会の考えを 加えたのではないかという意見があります。はっきりしたことはわからない。でもイエス様はペトロをリーダーに任命したのでそこから出てきたと考えられる箇所です。しかも 「陰府の力もこれに対抗できない。」19節「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」鍵というのは全権委任という形になるわけで、リーダーとして責任を伴う権限を与えた。そういうところからリーダーとしての重要な役目が与えられたということになります。大体はヨーロッパの教会とかには絵や銅像があって、鍵を持っているのはだいたいペトロです。髪の毛ふさふさで、パウロは大体 福音書を書いたから、ペンを持っていたり大体薄毛です。ペトロは鍵を預かったということはリーダーとして大切な役割を与えられた。この後に 「あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」天と地をつないでいるものなので、責任とか権限とかは莫大なものを与えてられています。だから秘跡が成立するわけです。教会がこうすればこうなりますと決めることは、地上でつないだり解いたりしていることが、 赦しの宣言を司祭ができたりする。しかも秘跡として宣言する権限がここで与えられている。この箇所は非常に大事です。教会が宣言する恵みを与えられるのは、ペトロに鍵が与えられている。教皇様はいまだに持っているという形だから、これが成立していると考えられます。だから責任重大になるわけです。21節以下はメシアであると言ったあとに、十字架にかかって復活するという。メシアとしての使命は十字架にかかって復活すると言う一番大切な使命を、メシアであるという明らかにしたところで語る。ただユダヤ人たちには全く理解できないのでペトロも「ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。『主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。』イエスは振り向いてペトロに言われた。『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。』」人間の足りなさが表されています。ペトロはリーダーであるけれども信者代表のように聖書では描かれています。この後弟子たちはなかなか理解できないまま十字架と復活の出来事が起こるわけです。そして復活したイエス様が弟子たちに最後に言う。マタイ28章 16節「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」福音書の最後に復活したイエス様がガリラヤ湖のそばで山に登って十一人にイエス様がいうわけです。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」神と等しいものと言われるわけです。そして「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」いわゆる宣教命令を出す。だから十一人の弟子たちだけではなしに、全ての信者にこの命令が下されました。特にこの十一人を中心にしてそれをやりなさいとおっしゃいます。使徒言行録にはペトロとパウロのことが書いてありますが、十一人の他の弟子たちのことはあまり書いていません。トマスというのはインドまで福音を伝えたと言われています。ヤコブはスペインの端のサンチャゴ・コンポステーラまで宣教したとか、それこそいろんな所に行ってイエス様の福音を伝えたと言われています。ただはっきりした記録がないので分かりません。インドまで行っているトマスが一番端と思われます。そのような形で彼らは宣教をするわけです。 「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」これは洗礼の秘跡です。この通りで父と子と聖霊で 神父様が洗礼を授けるわけですが、それはイエス様の命令で行っている。もう一つは 「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」特に十一人の弟子たちはイエス様の話を直接聞いているわけですから、話をなるべく人々に伝えてそれを生きるようにしなさい。イエス様自身はガリラヤ湖周辺で活動しただけで、エルサレムで十字架にかけられて復活されて、四十日後に主の昇天で天に昇られて伝える人が必要。 その中心になっていたのが十一人です。その後一人加わって十二人になるんです。そのことが書いてあるのは使徒言行録の2章で、聖霊降臨で聖霊を大きな力を頂いてから活発になります。 使徒言行録6章1節「 そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。 それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。 わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。』 一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。」使徒言行録の2章で聖霊を頂いて本格的に教会が始まって、 エルサレムを中心として多くの人が信者になって行ったんです。6章1節で弟子の数が増えてきた。その中で二つのグループがありました。一つはギリシャ語を話すユダヤ人と、ヘブライ語を話すユダヤ人です。ローマ帝国が強かったのはギリシャ語の影響が大きかったです。たぶんエルサレムに住んでいる人々はほとんどヘブライ語を話していると思いますが、その他の諸国に住んでいる人はギリシャ語が得意だったんで、今でもそうですが言葉でグループが別れがち。日々の分配とありますが2章の終わり頃に書いてあったように、最初の教会共同体は食べ物とかお金は分かち合っていた、そういう共同体でした。今で言うと分かち合いで、意見交換みたいな形で自分の思っていることを話す。当時の分かち合いというのは物を分かち合っていました。食べ物とかを分かち合っていた。それで日々の分配ということで、つながりの強い共同体があったんですが、ギリシャ語を話すグループはどうしても分配が行き届かなかった。苦情があったのでどうするかと話し合った。使徒言行録の1章23節でユダの代わりにマティアという人が弟子に加わりますが「十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。』」ということで十二使徒たちは 「 わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」ここで七人の奉仕者が選ばれます。十二も七もおめでたい数字です。 完全を表す数字です。七も象徴的な数値です。奉仕者の事をギリシャ語でディアコノスというんですが、奉仕者が選ばれて食事の世話とか実際的な教会の中の世話をします。 十二人の方はイエス様の言葉を伝えたり 「わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」教会の中に二つの役割を持つ人々が出てきた。そして七人を選んで 「使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。」按手と言います。大体教会の中で特別な任命をする時に按手をする習慣があるのはここから来ています。だから叙階式で一番大事なのは按手です。司教様が司祭になる人の頭の上に手を置くところが一番大事だったと思います。 手を置いて聖霊の恵みを願う。 こういうところからこのような役割にわかれる理由です。そして奉仕者に選ばれたステファノは 直後に殉教するというところから、エルサレムにクリスチャンたちの大迫害が始まって、十二使徒にしろ奉仕者にしろエルサレムから色んな所に散って行っていきます。イエス様の教えは全世界に行って福音を伝えるということなので、ここから広がっていくことになります。使徒言行録では最初はペトロの話が書いてあるのですが、後半は途中からパウロが 加わります。パウロも使徒と呼ばれています。でもイエス様とは出会っていなかった。復活したイエス様とは出会うんですけれども、使徒言行録の後半はパウロの話が中心になって、他の人も巡回していたんですが、特にパウロは活動がめざましく 巡回説教者として あっちこっちの事を描かれるようになりました。使徒言行録20章17節「パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。『アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。 すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。 役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。 神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシャ人にも力強く証ししてきたのです。 そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。 ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。 だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。 わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。 だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。 そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。 わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。 ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のために、共にいた人々のためにも働いたのです。 あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。』」パウロがエフェソに行ったのが19章ぐらいからですけれども、大きな困難を持ちながら、今で言うトルコ辺りです。当時小アジアと言われた、その中で主な都市に単身で乗り込みます。ユダヤ人コミュニティーもあるので街道かなにかで説教しながらと思いますが、最初はどうぞどうぞと話しているうちに 、イエス様が メシアであると喋り出したので、それを信じる人と信じない人とに別れて言って、信じない人から迫害されていたりします。それでも聖書に出てくるような町に教会を設立する力が大きかったです。パウロというのはギリシャ語が得意です。パウロの手紙の原文ではギリシャ語ではとても難しく書いてあります。インテリでギリシャ語が得意でネイティブぐらい話せた。もちろんユダヤ人だからヘブライ語も喋れるし、当時の共通言語だったギリシャ語もしゃべれたし、ローマ市民権も持っていたので、 他の十二人の使徒達も ユダヤ人で田舎育ちの人が多かったから、あまり外国に行って喋るヘブライ語しか喋れないし、なかなか限界があったのだと思います 。その代わりパウロは元々国際人でなんでもしゃべれ、ラテン語も喋れたと思われます。それであっちこっちで雄弁に語れたと思います。 「わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。」エフェソでは三年ぐらいいたと、いろんなところを回りながら。結局パウロは去っていくわけです。これがミレトスに行って エフェソから誰を呼んだかというと長老たちを呼んだと書いてあります。だからこれは教会のリーダーを呼んだということです。つまりいろんな街に宣教して教会をつくるんです。その教会にリーダーを置かないと、当然次のところまで行けません。教会のリーダーたちが一番最初に 「教会の長老たちを呼び寄せた。 長老たちが集まって来たとき」28節「聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」各教会のリーダーは監督という名前の人と、長老という名前の人のたぶん二種類が区別がついてきて、パウロやその他の人々が、監督と長老という人々を任命しました。エフェソというのは大きな街なので、一つの教会ばかりではなしに周りのいくつかの教会もあったかもしれない。それで監督とか長老とか現地の人をリーダーに任命して、それで教会をつくって、そこからまた別のところに行ったというわけです。そういう形で教会をどんどん作っていてペトロもパウロも最終的には行くことになります。こういうところからだんだん教会の組織になっていくわけです。監督というのは今の司教様になります。長老というのは司祭にあたります。奉仕者というのは最終的には助祭というものになって、今のところは教皇、司教、司祭、助祭という形で、今の教会のリーダー達に役割がだんだんと形づくることになりました。監督が司教様ということで、一つの町にある大きな教会に監督がいたでしょう。 エピスコスは司教と言う意味です。東京のように大きいなところでは、一人の司教様が置かれていて、それを助ける長老 はプレスビテルス、英語でpriestになってたくさんの司祭が手助けするような形が世界中で組織されていくわけです。東京教区といいますが東京と千葉の二つが入っています。中心的な都市の名前が教区の名前になっています。たとえば四国だったらば高松教区と言います。高松市に司教様が住んでおられるからです。東京教区というのは東京の関口教会に司教座聖堂、カテドラルと言って司教様の椅子が置いてあるということです。カテドラルは司教様の椅子が置いてあるところの教会ということです。このような組織を世界中に作ったということになっていて、横浜だったら横浜教区、長野県も 静岡県も入っていまけれども、横浜市に司教座聖堂があり、 横浜教区の司教様が一人いて、それで各街々に神父様がいるという形を作ったと言うことになります。ついでに言うと、もともとの奉仕者というのは、食べ物の分配というか、会計係というか物理的な世話をするようになって、初代教会では時によっては司祭よりも力を持っていた時代もあった。会計係というのは権力を持つからです。お金を持っている人が一番権力を握っていた。そういう時代もあったんですが、だんだんと司教司祭制度は確立して、助祭という形になって、奉仕者はディアコノス、ディーコンという言葉はここから来ている。今はどちらかと言うと司祭になる一年前に助祭に叙階されて、一年後に司祭に叙階されます。
テモテ第一ではどういう人が司教、監督にふさわしいかというと、監督も奉仕者も結婚している人です。家庭をよくおさめている人がなると書いてあります。使徒言行録よりもう少し進んだ姿が、テモテへの第一の手紙に書かれていると言われています。今のところはこのような形で、聖職者というのは助祭、司祭、司教、教皇そういう形でなっています。 修道会はこの流れとは別になります。修道会はどちらかと言うとパウロのように、あちらこちらに行って宣教活動するような流れが別にでます。教区の神父様たちというのは東京の中で働く。修道会はパウロ系であちこちに行く。フランシスコ・ザビエルは日本に来たり、パウロの伝統でそれぞれの修道会が目的を持って、教区に縛られない形であっちこっちを越えていろんな活動をしたり宣教したり、修道会はもっと後の時代に出て来ます。もともとは土地に根付いた形で司教様とか司祭とかが 協力しながら司牧するという形になります。司祭の務めというのは三つあって 王職と預言職と祭司職。これは全部イエス様が行ったものです。三つの役割を司祭がするというのは伝統的なものです。王職とは共同体のリーダーの役割です。リーダーとしての群れの責任を持つ。だから司教様だったら東京教区全体のリーダーの役割です。そのグループが問題解決するために責任重大で、大きな決断をしなければいけないような。現代的にはリーダーシップと言うか共同体の奉仕するような仕事をするということと、二番目は預言職です。神の言葉を預かる。 旧約から預言者の伝統というのは教える役目ということで、ミサの説教ができるのは助祭以上になります。 普通の信者さんはできないです。預言職というものを執行するようにされている。入門講座をやったりするのも伝統的には預言職を持っている司祭とか何かの役割がある人ということになります。三番目の祭司職は秘跡の執行です。ミサを立てられたり洗礼を授けられたり赦しの秘跡をするのも、司祭以上に限定されている。この三つの役割をするのが司祭の役割であります。たとえば先ほどの十一人のたとえがあるんですが、限定されるかと言ったら、福音宣教するというイエス様の命令は、司祭にだけ言ったわけではなくて、みんなに言った。みんながしなければならないというのが今の考え方です。特に1960年代に第二バチカン公会議というのがあって、あまりに硬すぎるところがあったので、もう少し神の民で教会全体のことを考えなければならないということで、 王職、預言職、祭司職というのも、信徒の共通祭司職ということで、全員しなければならない。あるいはする恵みが与えられていると考えられています。神父様だけ一人やればいいと言うのではなくて、信徒みんなでこれを果たしていくと言うことを大事にしましょうということです。王職と言ったら言葉が硬いでしょうが、共同体に奉仕をすることがわたしたちにとって大切なことということです。王の務めというのは威張ることではなくて奉仕すること、特に共同体の中で一番困っている人を助けるのが王様の務めです。まさしくこの共同体の中で、わたしたちは奉仕をしていく役割を担わなければなりません。預言職のことで言うならば、福音を語るというのはミサの中では司祭だけですが、日常生活の中でイエス様は福音を語られたように、神の愛を伝えるような何らかの福音宣教をそれぞれの場で、わたしたち一人一人もするように呼ばれています。祭司職を 言うならば、ミサそのものは司祭だけが限定されていますが、ミサの中でも典礼奉仕とかいろんな方とかと 共同でやっています。様々な典礼奉仕の協力者も必要ですし、祭司職の本質は何かと言ったら一番深い根本的なことは、つまりイエス様が生きている間は祭司職はされていません。イエス様ご自身は生贄を捧げたりされていません。当時のユダヤ人の祭司の人々のように。つまり本当の祭司職は何かと言ったら十字架と復活を生きるということになります。それをミサで記念しているのだから。本当はわたしたちも十字架と復活を生きていくように呼ばれています。それはイエス様自身が生贄を捧げられたということが、わたしたち自身を捧げるということの祭司職の一番の本質です。自分なりの形ということで自分の苦しみを辛さを神様に捧げて、あるいは復活の喜びを共に味わうようなことをする。この三つのことをわたしたち一人一人が生きていきましょうということです。もう一つは現代のカトリック教会は特に先進諸国、欧州米国日本が当てはまりますが、司祭職の減少、つまり司祭になる人があまりに激変しすぎて、 教会のあり方を見直さなければならないという問題に直面しています。ミッション2030とかこの教会を変えて行こうという動きの一つはこの問題があるからです。世界的に見て一人の司祭に対して何人の司祭がいるか。数年前のことで変わっているかもしれませんが、簡単に言いますと、日本は一人の司祭に対して、信者が三百人ぐらい。三百人ぐらいの教会に一人の司祭がいるのがだいたいの平均です。イタリアやアメリカの場合は、司祭一人に対して信者は千人ぐらいいます。すると教会が千人ぐらいに対して一人の司祭がいる。韓国の場合は司祭も信者も増えています。だいたい一人の司祭について信者は三千人。だから日本の約十倍になります。フィリピンやブラジルの場合は司祭一人に対して信者は八千人。日本は司祭の数が足らないと言っていますが、司祭の数が一番多いのは日本です。韓国ですら三千人に1人。イグナチオ教会では所属人数は一万六千人ぐらい。フィリピンだと主任司祭と助任司祭の二人が標準 。これぐらいだったらフィリピンの大都市で普通サイズです。 日本は外国から宣教師がいっぱい来て、信者を増やそうとたくさん来たけれどそんなに増えなかった。司祭一人につき三百人ぐらい。プロテスタントの日曜日の礼拝にする平均数は三十年ぐらい変わっていません。牧師先生一人につき平均三十二人です。カトリックは三百人で十倍になります。牧師先生に言わせると三十人のお世話で精一杯だそうです。日本では手厚いサービスがあるんでしょう。フィリピンだと一人で八千人だから時代によって色々な流れがあります。日本で働いたことがある韓国人の神父様と話したことがあって、日本が懐かしい。一人の司祭に三百人ぐらいだから、家族的な付き合いになります。韓国だと一人につき三千人だから名前も覚えきれないし、家庭的な繋がりが韓国ではなかなか難しいと言っていました。韓国ぐらいの方が世界的平均値だということで、わたしたちのあり方も変わらなければなりません。ついでに切支丹時代はどうだったかと言うと、小教区を作るまでには至りませんでした。共同体を作るまででした。教会を立ててもすぐ壊されてしまい 、その当時は司祭一人につき信徒は一万人でした。今のブラジル・フィリピンを超えているぐらいの値です。当時の司祭は巡回するしかない。だから各町にあるのは全部、信徒が 監督、長老みたいな形になって、共同体を全部信徒が担っていたのを、司祭がミサと告解をやっていました。司祭と信徒のあり方も場合によっては様々な流れがあるということです。だからわたしたちもこれからの教会も今までの感覚とは少し違う形で考えていく必要性はあるかもしれません十

 

2017年 1 月 30 日(月)
 第 24 回 キリスト教入門講座 
 カトリック麹町教会 信徒館ヨセフホール於
  イエズス会 英 隆一朗 神父 講座記