カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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211123 教会黙想会

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 今日はイグナチオの生き方ということと、人間関係のようなことのテーマで行いました。ルカによる福音書はこの11月の終わり頃から世の終わりの話しばっかり出てくるので、今日も恐ろしいお話しです。エルサレムの神殿の破壊と、その後の混乱、どのような印があるかということです。いつの時代もそうですが、やはり一つの時代が終る時には、過去の物が破壊されて、様々な問題が起きてくるということはあるでしょう。現代もそうかもしれないし。でもまさしくイグナチオが生きた時代は中世から近世に変わる時代の大きな転換点だったんです。中世的なものがペストが流行っていてその影響もあったと言われています。中世的なものが滅びざるを得ない。そして新しい近代的なヨーロッパが始まる。その中でイエズス会と修道会が出てきたということです。その時からプロテスタントも出てきたわけです。やはり時代の区切りみたいな時には大きな混乱があると共にやはり新しい息吹も出てくる。私たちが今イグナチオとその生き方を見つめるのは今の混乱というか、どう受け止めて、コロナも一つですが、私達がどうこの新しい道を選んでいくかということ。そのためのヒントというかそれもやはり得るように努めたいと思います。
二人の神父さんの話しを聞きながら、私もちょっと様々な刺激を受けて、短い時間で思い巡らしてました。
ニャー神父様がおっしゃった通り最初の仲間はうまくいってないんですよね。そんなにグループは上手くなれなかった。それがなぜそうだったのか。私もよく考えることなのですが、少なくともパリにいた時にフランシスコ・ザビエルとかピエール・ファーブルとか、いろんな状況がうまくいって、グループになることができたわけです、イグナチオがリーダーで。その時の彼らの名称というかどう呼ばれたのかっていうのはラ・コンパニーア・デ・ヘススという風な名称を使ってたんです。コンパーニャというのは、英語でいったらコンパニオン、仲間ですね。デ・ヘススというのはイエスですね。最初は自分たちのことをイエスの仲間といっていたんです。まだ組織化する前ですが。それは大事かなという気がします。コンパニオンといっていい。コンは仲間という意味ですね。コンパニオンのパンっていうのはパンなんです。一緒にパンを食べる物がコンパーニャというかコンパニオンの意味なんですよね。一緒に食事をしているという意味もあるし、やはりパンというのは御聖体の意味も入ってる。ともにキリストの体を分け合った仲間たちという。その繋がりが最初の大きな出発点だったということです。だから一番大事なのはやはりイエス様を中心とした仲間だってことです。
その後はイエズス会ソサイティ・オブ・ジーザスの会に組織になりました。会にしました。イグナチオ会にしなかった。元々コンパーニャというその気持ちを忘れてはいけないということと、イグナチオ会にしなかったんですね。イエズス会にした。つまりイグナチオにとっては考えられない自分の名前をつけるというのが。これをイエス様を中心にする仲間なんだから名前にイエスをつける以外に他の考えは全くなかったんだよね。でもそれで申請したらバチカンからとんでもないと。イエスという名前を頭につける会というのは認められない。それまであったのはアウグスティヌス会とかベネディクト会とかフランシスコ会とか。みんな創立者の名前をつけるのが伝統的だった。でもイグナチオはそんな考え方は全く無かった。イエス様中心なんだからそれを名前につけるしかない。そこに集まった仲間だというそういう気持ちなんです。だからもしかしたらこのイグナチオ教会はイグナチオが認められないかもしれない。イグナチオの名前をつけている教会だから、イグナチオの心ではない。本当はイエスが中心でイグナチオが中心ではないってことですよね。イエスを中心として私たちはやはり共に歩んでいく仲間としてお互いに助け合いながら歩めるかどうかということです。
もちろん私は責任者としていますけれども、でも大事なのはみんな仲間だという気持ちで歩めるかどうかということが最も大切でしょう。最初の仲間からみんな仲良しグループでもなかったんですよ。やはり難しい人とか必ず反対意見いう人とか最初からいて、話し合いしてもなんでもかんでもうまくいくわけではない。でも大事な時に曲がり角にどうしたかというと、集まって話し合いをしたということですよね。あの仲間をどうするか。エルサレムに行くか行かないかとか。ローマに行くか行かないとか。それをかっこいい言葉でいうと共同識別をするということなんですよね。仲間で集まって祈りながら神様の御旨は何なのかをお互い求めながら、道を見つけていくという。共同識別ということが大切になってます。私たちのこの共同体の教会のあり方にもしたいと思います。でもただ集まって話せばいいとわけではないわけです。ただ集まって話すと、例えば極端にいうとその人が発言する前に分かる。自分の意見を主張するために話すんじゃなくて神の御旨は何なのかを求めるために話し合う。自分の意見はもちろんあるわけですけれど、それをぶつけて国会ではないけれど、議案を通すために反対賛成の話しをするんじゃなくて、みんながその心でとらわれのない心で本当に神様が何を望んでるかということをみんなで探し求める。だから自分の意見とかもちろんあっていいわけですけれど。でも大事なのは自分の意見とか自分の立場とかに固執するんではなくて、神様が何を求めているのかということを、自分の心の表面ではなくて、深い所で神の呼びかけを聞く。話し合いとか分かち合いですかね。でも本当だからその時間がかかるんですね。パッと集まって話しをするのは日頃の考えしかないですから、共同識別みたいな会議は意味があると思いますね。みんなで何を求めるのかでも、普通の会議だとついつい自分の立場を言ったり、認めたくない意見を反対するために発言するため、相手を否定するために発言したりとかということだけになってしまうと御旨にかなわない。神様の御旨に合わせられるかどうか。柴田神父様がおっしゃった通りですけど、やっぱり愛だけじゃなかなかうまくいかない。愛すると言ったってどこかに濁りもあるしとらわれもありますから。だからその一人一人が識別をして本当に神の御旨を選ばない限り本当の愛にはならないわけです。人間に心の曇りがあったりとらわれがあるから愛すると言ったって、結局自分の思い通りに相手をしたいみたいな気持ちだけになってしまう危険性はいつもいつもあるし。あるいは仲良しこよしの人たちだけと仲良くするっていうのを愛という風に捉えてしまうこともあるでしょう。
本当に最初の仲間たちがニャー神父様がおっしゃったように国際的で文化も言語も違う人達が最初に集まったっていうところからスタートしてるのもお恵みだと思います。今この教会はこの中は日本人が多いですけれど、今はベトナム人の方がいっぱい来ているわけですし、英語ミサはアフリカの方がすごく増えています。それは本当にイエスの仲間であるという事は、違っている者たちの集まりだっていうことなんですよね。違っている者達と相互理解をしながら、やはり私たちは対話を話し合う機会を積み重ねいく中で共同識別が少しできてくるでしょう。私たちは何のために集まって何を目指しているのかということですよ。その一つがミッション2030という一つの方向性をつけて目指しているのは何のために集まっているかっていうことがある程度クリアでないと、仲良しこよしで集まるために集まっているわけじゃないわけですから。別の言葉で言えば私たちはミッションを果たすために集まっている。イエスの仲間たちのこの教会もですね。それをやはり意識しながら歩んでいけたらいいんじゃないかなと思います。
今ネットで見られてる方も多いですし、人と人との繋がりが弱いですけれど、でも本当にイエズス会になってからですけれども、やっぱりミッションで人を派遣するわけですよねどんどん。だから基本的にバラバラなんです。一緒にいることもありましたけれどバラバラな時があるので、柴田神様ニャー神父様がおっしゃったように、どれだけ離れている者同士のコミュニケーションを大事にしたかったということなんですね。だからイグナチオ・ロヨラは七千通の手紙を総長時代、何年間か忘れましたけれど、七千通の手紙を、彼が書くだけじゃなしに、当然他の人たちもイグナチオに手紙を書いていたわけだから。そのコミュ二ケーションをどう繋がりを持っていくかということが、この教会の心がけることだと思います。今はメールとかいろんな方法で。でもやはりみんな立場も違うし、なかなか集まることもできない中で、どう繋がっていくのかということをもっと心がけて歩んでいければいいのではないかと思います。
キリシタンの迫害時代ですよね。会員が本部に手紙を書くんですよね。同じ手紙四通書くんですよ。ラテン語で書くんですが、四通書いて船に分けて。つまりローマまでの船なんだから、どれが届くかわからないから同じ手紙を四通書いて、日本から行く船便の中に一つずつ、だから四通出して一通ぐらいしか届かないんです。途中で船が難破して人間が死ぬだけでなしに手紙も全部なくなっちゃいますからね。四通ぐらい送ってやっと一つぐらいが一年後ぐらいに着くぐらいなんです。でもそれでも日本の状況がキリシタン時代に情報が色々あるから、なんで日本でこれだけ殉教者が列福されたりするのかと言ったら、イエズス会員の記憶、記録が残っているからなんですね。殉教がどうだったかこうだったかったということを日本の状況を、日本に行ったイエズス会員が手紙に書いて送っていて、それが何百年後もアーカイブにあるから。だから証拠があるので列福式ができるわけです。証拠が無ければ列福式はできないです。それがあるから何人もの人が福者になったり聖人になったり福者として、高山右近にしてもその時のコミュニケーションのやり取りの蓄積があるからです。恐ろしいことに殉教した中浦ジュリアンとかペトロ岐部の神学校時代の成績までも残っていて、僕の神学時代の成績が何百年も残ると思うと頭が痛い気がします。このお互いのやり取りをどれだけ離れていたとしても、どれほどお互いの繋がりを大事にしたかっていうことなんですね。
イグナチオがフランシスコ・ザビエルに送った最後の手紙は自分はそろそろ歳だから、フランシスコ・ザビエルにそろそろローマに帰ってきてくれと。自分としては次の総長をフランシスコ・ザビエルに託したいという気持ちがあった。もちろん選挙ですから彼が選ばれるかどうか分からないけれども、できれば自分の後継ぎとして帰ってきてほしいと、フランシスコに出した手紙が最後なんですが、出した時にはフランシスコ・ザビエルはフランスで亡くなっていたんですね。一年二年の時差ですから。フランシスコ・ザビエルが亡くなったという知らせの手紙が着いたのが一年後ですから、フランシスコ・ザビエルが亡くなってるのを知らずに、イグナチオはフランシスコ・ザビエル宛の手紙を書いてあるんですよね。その手紙が残っているわけです。今はメールで世界中に出せます。でもやはりそのような手紙のやり取りの中でも離れていてもイグナチオとザビエルがどれほどの深い信頼関系の繋がりをもっていたかということが、手紙から明らかなんですよね。バラバラであってもやはり繋がっている。でもある時一緒になって共に過ごした日々があるから心の繋がりというのが、だから離れていてもやっぱり手紙が着くのに一年かかったとしても繋がりの中にあったということです。イエスの仲間同士の繋がりをイグナチオも周りの人もみんな大事にしながら生きていたということですね。私たちもそのような繋がりを大事にしましょう。
対面で会えている人たちは繋がりを大事にイエス様を中心としてその繋がりを持ちながらあるときは教会に来れなくなる人たちも歳をとって来れなくなる人もいます。それはいっぱいあると思います。でもちょっと手紙を出すとかそういう繋がりでもいろんな形の繋がりを私たちは持ちながら歩いて行くことはできるんじゃないかと思いますね。
多くの信者がいて色んな困難もあるし国籍も違う様々ですけれども、私たちが主における仲間としてですね、お互いに助け合いながら繋がりを持ちながら、あるときは深い繋がりのある時は離れていても細い繋がりでも持ちながら、私たちが歩んでいけるように、心をこめて私たちのためにこの教会のために祈りをささげましょう+