カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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190602 主の昇天

英神父 ミサ説教 イグナチオ教会 於

ルカによる福音書 24章46-53節(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「聖書には)次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた+

 今日は主の昇天の大祝日にあたっていて、第一朗読と福音朗読で主の昇天の場面が語られました。イエス様が天に昇られるということで何が一番大事かというと、天に昇って神の右の座に着かれたということです。それがもっとも大切なことでしょう。弟子たち一人一人の前に現れて、四十日間もすごくお恵みだと思いますけれども、イエス様が本来の姿、神の右の座、つまり神様と同じ存在として力を発揮するということ、それが非常に大切なことだと思います。つまりイエス様は神様の存在として働かれるので、わたしたちは小さな違いを乗り越えて、神のもとに一つになれるということです。別の言葉で言えば普遍的な存在、イエス様が普遍的な愛で全ての人を慈しんでおられるということです。イエス様は神の右に着かれたので、ユダヤ人だけではなく、どんな国の人にも神のもとにわたしたちは共に歩むことができる。どんな人とも共同体を作ることが出来る。それはイエス様が神の右の座について全てを超越する存在として、全てを慈しみ全ての人々をどんな違いがあっても導いておられる。まさしく神様の普遍的な愛、それを全て受けられるようになった。そしてそこから、来週お祝いしますが、聖霊ですべての人に与えてくださいます。イエス様が神の右の座に着いておられるのは決定的に大切なことでしょう。決定的にすべての違いやわたしたちの罪やわたしたちの困難を乗り越える全ての力をくださる神のもとに、わたしたちがあるということを示しておられると思います。これがイエス様の復活の恵みの最終的な形であるということは間違いないと思います。

この主の昇天をお祝いする前に、ご存知でしょうが、川崎のカリタス学園の凄惨な事件がありました。皆さんも心を痛められていると思います。いうまでもなくカリタスは 愛という意味でミッションスクールです。わたしはカリタス学園と深い関わりがあって、シスターたちも教職員の方も何人も知り合いがいて、登戸の駅前もしょっちゅう通っていましたので非常に心が痛みます。わたしも献花とお祈りをささげに行きました。マスコミ関係者で騒然として何とも言えない雰囲気でした。皆さんもカリタス学園の方のために被害者家族関係者の方々のためにお祈りしている方も多いと思います。そのためにもこのミサでお祈りをささげたいと思います。そのカリタス学園のことを思いをめぐらしていると、修道会のシスターは、もう一人も働いていませんが、カナダのケベック・カリタス修道女会が経営しています。カリタス会はカナダ生まれの修道会で、創立者がマルグリット・デュービルという方で、カナダで最初の聖人になった方です。その方の伝記を読むと恐ろしいほど次から次へと苦しみが襲ってきて、それを乗り越えざるを得ない、そういう人生でした。これでもかという苦しみが襲いかかっていました。最初に結婚したら姑にいじめられて、またご主人がとんでもない人でひどいめにあい、そのうちご主人が亡くなられて、それから貧しい人のために奉仕活動を始めて、その活動で集まった女性たちと活動を始めました。当時は誤解され石を投げられたり、軽蔑とか嘲りを長い間受けました。時代がそうだったんでしょう。火事で1度目は修道院が全焼しました。2度目は福祉ホームを作っていたんですがまた全焼してしまい、2度大火事で全てを失いました。福祉法人を始めてから何度も潰れそうになったけれど危機を乗り越えました。植民地時代でイギリスとフランスが戦争し始めて、巻き込まれて潰れそうになったり、本人も病気で何度も倒れました。次から次へと苦しみがやってきたことをわたしは思い出していました。マルグリット・デュービルの一つのモットーは今のカリタス学園のモットーですけれども、普遍的な愛を生きるということです。誰をも拒まない、全ての人を愛するということで、カリタス学園の精神で、普遍的な愛を生きていくということがマルグリット・デュービルの精神で、カリタス学園の精神です。まさしく主の昇天のイエス様の力と言えるでしょう。でも実際は多くの苦しみを体験せざるを得ない。わたしたちは個人においても共同体においても、様々な大小の苦しみに直面せざるを得ないということは認めなければなりません。でもその時に言えるのは二つのことでしょう。神様に対する全面的な信頼と、そしてその問題を一つ一つ丁寧に解決していく、そのような姿勢が必要でしょう。今回の事件を受けて加害者に何が問題であったのかを一つ一つ丁寧に見ながら未然に防げる方法を探していかなければならない。学校関係者は安全を探さなければならない。マルグリット・デュービルの伝記にはお金を貸している人に返してくれるように手紙を出したり、その時できる最大限の事をやりながら、一つ一つの困難をクリアしていくわけです。結局わたしたちがそのように積み重ねていく、個人としてもそうだし共同体としてもそうでしょう。大きな問題が次々あったとしても、それをしっかり受け止めて神様の普遍的な愛に信頼して、誰かを恨んだり憎んだりするのではなく、そこから神様の御旨が働かれるように全身全霊でその事にあたっていく。その積み重ねの中でわたしたちの信仰生活が成り立っていると言えるでしょう。マルグリット・デュービルはカナダで最初の聖人になりました。イギリスとフランスが戦争していて彼女はフランス側なんですけども、イギリス兵もかくまっていました。敵味方関係なく助け、普遍的な愛というのはまさしくそういうものだと思います。カリタス学園の人々が今回の困難を乗り越えていけるように、わたしたちも心を合わせてお祈りしたいと思います。そしてまたわたしたち一人一人にも様々な困難や苦しいことが来るかもしれない。でも一つ一つをしっかりと受け止めて、神様に信頼して誠実に対応していくならば、やはり一つ一つを乗り越えていくことが出来ると思います。わたしたちは主の昇天、神の右におられるイエス様の力を信じて生きているわけですから、その神様の普遍的な愛を信頼しつつ、わたしたちもそのような愛の心をもって日々歩んでいけるように、このミサで祈りをささげたいと思います+

第一朗読  使徒言行録 1章1-11節
テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

第二朗読  ヘブライ人への手紙 9章24-28節、10章19-23節
キリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださった(のです。)また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう+

 

 

2019年 6 月 2 日(日)8時半ミサ
 主の昇天〈白〉C 年 
  カトリック麹町教会 主聖堂 於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記