カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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190609 聖霊降臨の主日

英神父 ミサ説教 イグナチオ教会 於

ヨハネによる福音書 14章15-16、23b-26節

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」+

 今日は聖霊降臨の大祝日です。このように献堂20周年のお祝いをできるというのは、大きなお恵みではないかと思っています。今日来てくださったゲストの神父様方だけではなくて、献堂した20年前の時に多くの方が心を合わせて聖堂を造った。20年間の様々な人々の捧げや奉仕があったと思います。そういう方々に感謝したいと心から思いますし、イグナチオ教会は70年前にできました。あるいはそれ以前のことを考えても、様々な恵みの力が働いていたと思います。フランシスコ・ザビエルから始まってキリシタン時代の大先輩の方々もおられる。もっと言えば2000年前のイエス・キリストの十字架と復活、そして今日お祝いしてる聖霊の恵みがあるからこそ、今の私達があるということ、それを思い起こしたいと思います。聖霊降臨の不思議な出来事は第一朗読で読まれましたけれども、強い風がその時に吹いたような。そして突然彼らが語り出したんですけれども、それが誰が何を喋ってもお互い理解できる。言語が違ってもお互い理解できるという不思議な体験をこの聖霊降臨でしているわけです。それは非常に不思議なお恵みだと思います。今日はインターナショナルミサで7つの言語で歌ったりお話があったりするわけですが、ちょっと言葉が変わると全く分からないわけで、わたしたちはここで暮らしていこうとするときに言語が違うと言うことは、大きな障害になっているということは確かでしょう。文化であるとか国籍であるとか、人種の違いでわたしたちは苦しむことがある。この聖霊降臨のお恵みはそれらの違いが取り払われて、お互いが話すことを全て理解することができた、いわゆる完全なコミュニケーションが言語を越えて成立した。それが聖霊降臨の不思議な出来事です。それはわたしたちはインターナショナルミサでこそ思い起こしたいと思います。わたしたちは言語の違い、文化の違いで何か軋轢が起きたり、なんとも言えないナショナリズムがあったり、差別があったり、ヘイトスピーチがあったりする。何か世界を分断する力が働いているということは認めなければならない。だからこそわたしたちは逆に聖霊の恵みにより頼みたいと思います。聖霊の恵みによってわたしたちは違いを乗り越えることができる。お互いを理解しえない壁を乗り越えることができる。その恵みをわたしたちが生きている。あるいは聖霊の働きがあるからこそ、わたしたちが違いを超えて一つの共同体、一つの教会を形作っていくことができます。これは教会の始まりであるけれど、わたしたちの教会を目指している姿でもあるでしょう。違いを乗り越えお互いを軋轢を乗り越えて、互いに理解して互いに愛し合って助け合っていく、そのようなイグナチオ教会になれるように、わたしたちは願いたいと思います。聖霊の恵みがあるからこそ、わたしたちはそのような教会が作れるということ。それを心を合わせて願いたいと思います十

第一朗読 使徒言行録 2章1-11節

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

第二朗読  ローマの信徒への手紙 8章8-17節

(皆さん、)肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです+

 

2019年 6 月 9 日(日)12時インターナショナルミサ
 聖霊降臨の主日〈赤〉C 年 
  カトリック麹町教会 主聖堂 於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記