カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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191027 神の愛の責任

英神父 ミサ説教 イグナチオ教会 於 幼児洗礼式

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ルカによる福音書 18:9-14(そのとき、)自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」+ 

   今日はたくさんの子供が恵みを受けることになります。幼児洗礼にあたって、神様の子となるということです。神様のお恵みということを改めて思い起こしたいと思います。先輩の神父様で、いつも繰り返していた言葉は、「神の親心」です。神様は親の心を持っている方だということで、その神父様は神の親心ということを述べていました。確かに神様は親心を持っているということはその通りだと思います。今日の福音書の中でもへりくだって、神様にごめんなさいと言ったら、いいよ、と言って受け入れてくださる。これこそ神の親心の一番典型的なことでしょう。  この教会に長らく在籍されたブラザーエルナンデスという方がおられて、ブラザーとしてこの教会でずっと働いておられました。50年以上少年院を訪問されたりして、今もしておられます。それは心に傷を負った、あるいは道を間違えた少年少女とずっと深く関わりを持ち続けていました。ブラザーエルナンデスが最近ご自分の経験を書かれた本を出されました。結局大事なのはなにかですけれども、明らかに親の愛なんです。ご両親から心から愛された子供は、非行に走るということはありえないわけです。逆に彼は50年間し続けて、親の心で子供達とずっとずっと関わってきました。本当に素晴らしいブラザーです。この本の中に子供をどうやったら非行に走らせることができるか。逆説的に子供を非行に走らせるコツというのが書いてあるのです。このようにすれば確実に子供が非行になりますよと、経験から書いたものです。それは「幼い頃から冷たくし、放りっぱなしにせよ。遊び相手にならずにスキンシップもしない。欲しいと言ったら何でも買い与える。我慢させることは禁物。子供の間違いや失敗は理由を聞かずに叱り飛ばせ。腕力を使って叱りつけよ。子供がどこで何をしても気にしない。遊び仲間も気にしない。兄弟やよその子供と比較し、お前はバカでダメなやつだと連発する。食卓での団欒はせず、子供の話、関心を無視する。子供の善行や努力を褒めるな。ごまかしや要領のよさ、悪事をほめよ。夫婦は常に意見を対立させ、父親は面倒な話題から逃げよ。お金が人生のすべてであると教える。宗教や精神生活を軽蔑させろ。子供の前で常に法律、警察、学校、役所などの悪口を言い、社会の規則やルールへの敵意を植えつけよ。」とこれだけやったら子供が非行に走るということです。(笑)もちろん皆さんはその反対です。この正反対をすれば子供達は元気ですくすくと育って、立派な子供に育ちますよということです。子供が小さければ小さいほど、親の愛の責任がどれほど大事だということを明らかなことではないかと思います。当然子供のありのままを見つめて、いいところがあれば褒めてあげる。間違ったら叱りますけれども、当然心から赦してあげなければなりません。人と比較することは絶対しないで、子供をありのままに認めて、育て養い導くということです。そのことを考える時に、わたしの心に湧いてくるのは、だから神の愛は親心なんだということです。つまり今読んだ非行化するためのヒントですけれど、もし神様がわたしたちにそうしていたら、人間全体が駄目になるんじゃないですか。神様がわたしたちに一人一人を認め、罪を赦し、ありのままの良さを受け入れてくださっている。そしていつも良い恵みで導いてくださっているのは、神様そのものがわたしたちにしてくださっているそのものだと思います。だから今日来ている親御さんたちに言いたいのは、神の親心とは反対で「親の神心」でしょうか。ご両親は神様の心で子供たちを愛するように。逆に言うと神様の愛のように、子供たちを本当の愛で、間違っていたら叱り、甘やかすわけではない。でも赦して導いて養い育てる。神様の心でもし子供を育て続けるならば、それは神の子として成長していくということになるのではないかと思います。わたしたちには限界があり、完全にできませんが、それでも神様の愛の心を、夫婦の愛を互いに助け合うことが、子供への愛情だと思います。そのような神様の愛の心を大切にしながら、今日洗礼を受ける子ども、ここに来られている全ての子ども、親御さん方、神の親心を生きていくことができるように、共に祈りをささげましょう+ 

 第一朗読  シラ書 35:15b-17、20-22a

主は裁く方であり、人を偏り見られることはないからだ。貧しいからといって主はえこひいきされないが、虐げられている者の祈りを聞き入れられる。主はみなしごの願いを無視されず、やもめの訴える苦情を顧みられる。
御旨に従って主に仕える人は受け入れられ、その祈りは雲にまで届く。謙虚な人の祈りは、雲を突き抜けて行き、それが主に届くまで、彼は慰めを得ない。彼は祈り続ける。いと高き方が彼を訪れ、正しい人々のために裁きをなし、正義を行われるときまで。

第二朗読  テモテへの手紙 二 4:6-8、16-18

(愛する者よ、)わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。
わたしの最初の弁明のときには、だれも助けてくれず、皆わたしを見捨てました。彼らにその責めが負わされませんように。しかし、わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。そして、わたしは獅子の口から救われました。主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン+

 

2019年 10 月 27 日(日)10:00
 年間 第 30主日〈緑〉C 年 
  カトリック麹町教会 主聖堂 於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記