カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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6-7 三位一体の神を信じ 識別し愛に生きる

英神父 福音朗読とおはなし

ヨハネによる福音書 3:16-18神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである+

 今日は三位一体の祝日にあたるわけです。わたしたちが信じるキリスト教の神様が父と子と聖霊の三つの位格に分かれているけれども、それが神様として一つであるという、そういう教義をお祝いしている祝日にあたります。簡単に言うと、なんでこのような事をキリスト教は言っているのか。わたし自身が一番納得しているのは、神様は愛だから、つまり神様が互いに愛し合っているから、わたしたちも互いに愛し合うように。特にキリスト教は愛を強調されていますから、愛を生きるような呼びかけに繋がっていると思います。そして先週、識別について話しましたが、識別という事も愛を生きるということが深く関係していると思います。今日はそのお話しをしたいと思います。

三位一体の神様の識別はいったいなんだったのか。イグナチオの霊操という本の中のお告げの所でこのように黙想しなさいと書いてあります。「神の三つのペルソナが、人々で満ちている地球の全面を眺め、人々がみな地獄に落ちるのを御覧になり、人類を救うために第二のペルソナが人間となることを永遠から決められた事。」とあるんですが、三位の神様が識別をして、第二のペルソナ、御子であるイエス様をこの地上に送ることを決められたということです。ここから愛による識別が実は始まっているという事です。

この識別の難しさを前回お話しした続きとして語るなら、危機的な時ほど識別が難しいし、識別力が問われるということです。これを一番痛感したのは9年前の東日本大震災の後の福島の人々です。様々な専門家の意見、人々の動きがあまりに様々で、わたしは当時からいろいろな意見を発表していたのですが、何かを言うたびに、ある人から賛同を得て、ある人からは批判を浴びるような、つまり何を言っても誰かを助けるけれど、誰かを傷つけるような、そのような非常に難しいことを体験しました。その時何が一番難しい識別だったかというと、福島に住んでいる方が、避難するか地元に留まるかということです。もちろん絶対逃げなくてはならない所ははっきりしていましたが、福島市内などのその周辺地域の方です。それは本当に大きな識別で、どっちをとってもいろいろ言われざるを得ない。本当にあの時は識別を一人一人がするしかなかったんです。地元に残る人は色々な理由で残ったし、自主的に逃げた方は子供の教育や子供の健康など様々な理由で逃げることを選んだんですが、それもその人の得ている情報や置かれている立場や、家族の関係とか地元のお付き合いとか、様々なことがあって、ある人は地元に残ることを選び、ある人は東京に出てくることを選んだんです。それはいまだに正解か否か言えないわけだし、地元に残った人にも様々な苦しみがその後にも襲ってきましたし、東京に自主的に避難してきた人々にも、様々な大きな苦しみがやってきました。識別という事の大切さと難しさを感じたのはその時が一番でした。前回のお話しで聖霊の導きにと言ったんですけれども、聖霊の導きというのは非常に抽象的なんです。でももうちょっと具体的に言うならば、神の愛、愛するという方向性の中でわたしたちは選ばなければならない事だろうと思います。簡単に言えば自分の健康、家族の健康。自分をどう愛していくかという事でしょう。家族の事だったら、家族の健康、精神状態を合わせて、家族を愛するならばどういう選択をするか。そして置かれている仕事の状況です。ほとんどの場合は避けることができないですけれども、でもその仕事をすることのリスクを合わせて、多くの方々は仕事を愛して、仕事を大切にしていますから、仕事をどのような形でするのか。あるいは教会を愛している方々は教会に来るか来ないか。やはり自分を愛し家族を愛し隣人とか教会の仲間を愛し、自分の置かれた役割の中でどのようにするかを一人一人決めるしかないと思います。そして識別には必ず大きなリスクを伴うし、選んだことが最終的に正しいか間違っているかという事も、多くの場合難しくなればなるほど決めることが出来ないというわけです。

疫病とキリスト教というのも様々な出来事があります。一つ話しをすると、6月にお祝いされるイエズス会の聖人で、聖アロイジオという人がいます。アロイジオはザビエル聖堂の前室で聖遺物を飾っていて、聖遺物の一人がアロイジオなんです。青少年の保護聖人になっているんですけれども神学生の時に亡くなった聖人で、アロイジオが神学生の時にペストの大流行時代でした。それでイエズス会の置かれた立場は、ペストの患者の世話をするかしないかということが問われました。神学生の時から聖性の素晴らしさは働き出さなくても明らかなわけです。上長は神学院の院長だと思うんですけれども、ある意味イエズス会の中でも逸材なわけです。だからペストの患者のお世話をして、もし彼が命を失ってしまったら、イエズス会にとっても人々にとっても大きな損害になるであろうと思われたわけです。つまり将来的にイエズス会を背負って立つ人材であるとその時から明らかだったわけです。院長はそういう識別からアロイジオにペスト患者の世話をするなと言ったわけです。でもアロイジオは自分で識別をして神様のみ旨、困っている人を助け愛することを考えた時に、アロイジオはペスト患者の世話をすべきだという識別で、結局彼は院長の命令に逆らってペスト患者の世話をしたんです。それで彼はペストにかかって、若くして亡くなったということなんです。

そのような事もあって、彼は後に列聖されて聖人になって、青少年の保護聖人になっています。その時アロイジオがペスト患者の世話をした方が良かったのか良くなかったのか、いまだに院長の言っている識別の方が正しかったのかどうだったのか。アロイジオの識別が良かったのか悪かったのか、今となっては第三者が口出すことではないけれども、彼はペスト患者の世話をしてペストにかかって、そのあと列聖されたのは事実なわけです。でも院長にしろアロイジオにしろ識別の根本は神の愛と人々への愛をどうするかということだったんです。こういう危機の中で考えさせられることです。今コロナウイルスの感染症が蔓延しているので、アロイジオの執り成しをわたしはお祈りしているので、わたしたちが御心にかなった生き方に出来るようにという願いをしています。

もう一つ、感染症ではないのですけれども、切支丹時代、いわゆる迫害が厳しくなって、息も絶え絶えなくらい厳しい時代に、イエズス会員が日本の中で10人ぐらいしか残っていなかった、殉教したり転んだり、様々な理由だった。そこでイエズス会は大きな決断をしなければならなくなった。10人でどうするかという。その時のイエズス会員の識別ですけれども、何年迫害が続くか分からないし、迫害が終わった時にもう一度再びイエズス会員で教会を立て直さなければならないので、そこで決めたことは、10人のうちの5人のエリートをマニラに退避させたんです。あとの5人のイエズス会員を日本に残すと決めて、つまりイエズス会の戦力を半分に分けて、半分温存、半分を非情な迫害の中に置くという決断をして、迫害が終われば、温存していた5人をもう一度日本に戻して、再宣教をするという識別が決定だったわけです。その当時はそれでいいとみんなが思ったんですけれども、結果はご存知の通り、イエズス会は数年で状況が変わると思ったら、結局切支丹への迫害が250年続いたんです。当時のイエズス会もそこまでとは思ってなくて、どうなったかと言ったら、温存5人組はマニラに行ってそこで何もせず亡くなってしまったわけです。残った5人は全員殉教して、その内の何人かは福者や聖人に結局列聖列福されました。その時のイエズス会が今から正しかったとか、間違っていたとかは何も言えない。その時の状況の中で全体の事を考えて、最善だとその時思ったことを識別して選んでそうなったわけです。聖霊の導きだと言えるし、別の言葉で言ったら、神を愛して人々を愛していく。どのような形が一番いいのか、それはその時一人一人の神父が、イエズス会全員が考えて、識別して選んだ結果がそのような形になったわけです。

わたしたちが三位一体の神様を信じているという事は、神様が互いに愛し合いながら、そして最初の一番の識別は、第2のペルソナである御子であるイエス様をこの世に送った。送ったということは十字架につながっていたということです。そこまで神様だから分かって送られたのでしょうけれども。でも十字架の後に復活の恵みに繋がっていくわけですけれども、やはりわたしたちの識別は三位一体の神様の愛に基づいて、わたしたちが愛をどう実践していくのか、何を大切にしてどういうリスクを背負って生きる決断をするのかということです。今は感染リスクが低くなっていますから、危機感も薄れていますけれども、でもどうなのかです。感染しないためには家から一歩も出ないことが一番いいのは間違いないわけです。逆に何でもいいからと外に出歩いていいとも言えないですけれども、わたしたちのこのようなリスクや危機の中で神様を愛する。そして自分を愛する、隣人家族を愛する中で、どういう選択がいいのか。よくよく識別しながらわたしたちは行動していく必要性があるでしょう。そして選んだ行動が、良かったとか、良くなかったとか、軽々に判断出来ることではないと思います。わたしたちが誠実に愛を生きていこうとするならば、やはり主がみ旨に適った、それは人からみたらおかしなことかもしれないし、それも分からないですけれども、わたしたちが神のみ旨を、愛の心を持って、隣人愛を持って生きていこうとする時に、わたしたちの生き方は自ずと示されてくるでしょう。それも悩みながら、ああかこうか考えたり、恵みを願ったりという事ですけれども。わたしたちが三位一体の神様を信じている以上、わたしたちが根本原理である愛を生きていくことです。それをわたしたちの生き方の基盤にしながら適切な行動、そして愛のこもった生き方、どのような中でも、どのような制限があったとしても、それをわたしたちが生きていけるように一歩一歩、歩んで行きたいと思います+

 

 

 第一朗読  出エジプト記 34:4b-6、8-9
(その日、)モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、(た者)」モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」

答唱詩編 ダニエル補遺・アザルヤ29.30.32.31.33
神の名はあまねく世界に輝き、その栄光は天にそびえる。

わたしたちの先祖の神である主よ、あなたに賛美。
あなたは代々にたたえられ、あがめられる。
あなたの栄光の聖なる名に賛美。
その名は代々にたたえられ、あがめられる。

あなたの栄光、聖なる神殿の中であなたに賛美。
すべてにまさり、あなたは代々にたたえられ、あがめられる。
玉座におられるあなたに賛美。
すべてにまさり、あなたは代々にたたえられ、あがめられる。

ケルビムの上に座し、すべての深みを見通されるあなたに賛美。
あなたは代々にたたえられ、あがめられる。
大空の中であなたに賛美。
あなたは代々にたたえられ、あがめられる。

第二朗読  コリントの信徒への手紙 二 13:11-13
兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように+