カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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6-14 永遠の命を得るキリストの聖体

英神父 福音朗読とおはなし

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ヨハネによる福音書 6:51-58(そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。)「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」+

 今日はキリストの聖体で、イエス様のご聖体を記念する祭日にあたっています。イエス様の体をいただくことはどれほど大切なことかということをお祝いする日に当たっています。この日まで公開ミサができないというのも何か不思議な気がします。ご存知の通り来週の日曜日から部分的にではありますが、やっとみなさん方もミサに参加できるような形になることになったので、個人的にはほっとして気持ち的には少し前向きではあります。このキリストの聖体ということをミサに参加できない中で、私たちはその意味を改めて深められたら良いのではないかと思います。日本でもやってたかもしれませんが、伝統的なカトリックの国では、キリストの聖体のミサの後に御聖体を掲げて街中を聖体行列をするという習慣まであって、御聖体がどれほど大事かということを街中に知ってもらうためにパレードをします。それは国によって街によって大きなお祭りになっているところもあります。今は日曜日はご聖体を拝むことすらできないでいます。ただキリストの体を考えた時にさらに私たちは考えなければならいことがあると思います。それは二つぐらいあって、一つはパウロの手紙ではっきりしているのは、キリストの体というのはご聖体の事を意味すると共に、教会を意味するということです。私たちは一人一人がその部分であって、教会というのは全体としてキリストの体を形づくっているということです。教会の共同体制と言うか、キリストの体という事は単に御聖体だけを指しているのではなくて、教会そのものを意味しているということなんです。だから来週から教会に全員ではないですが、グループで予約した方がミサにあずかっていくわけですが、教会がキリストの体という事を皆さんに思い起こして欲しいと思います。特に今ステイホームで緊急事態宣言中は家にいなければならなかったので、信者さん同士のつながりというのは物理的にほとんど不可能でしたが、でもこうやって教会に少しでも来れるということは、信徒同士のつながりを、もう一度確かめ合う、お互いのつながりを確かめて、私たちの教会がキリストの体として繋がっているということをもう一度新たにする時ができたと言えるでしょう。ミサそのものには部分的にしか参加できないですけれども、でも私たちはミサに参加できてもできなくても、キリストの体の一部ですから、教会全体がキリストの体として喜びを喜び、悲しみを悲しむ、互いのつながりを改めて結びあっていこうという気持ちを新たにしたいと思います。特にイグナチオ教会では孤独な群衆だと思うことが度々あって、ミサに来て誰とも喋らず、平和の挨拶だけして、ミサが終わったらすぐ帰ってしまう。隣に座っている人も見ず知らずの人でということで、私たちはミサに集まってキリストの前に預かっていると思うけれども、教会としてのキリストの体というのは、少なくともイグナチオ教会は弱いということを前々からずっと思っていました。都会で人間関係が嫌で、個人的な信仰ですか、それを養うには最適な場所だったかもしれませんが、このような状況の中では、単に個人的な信仰だけでいいというわけにはいかなくなったのです。私たちは信徒同士のつながりを持ちながら、互いに助け合いながら生きていく教会のメンバーである。キリストの体の一部だということです。それを思い起こしましょう。
今年の年間テーマは新しい協働という、共に働くという意味ですが、副題としてついているのは「私たち一人一人がキリストの体」だということを共同体的な繋がりをしっかりと確認していきたいと思っていたのですけれども、このような状況になったからこそ余計この繋がりという事を意識してもらったら良いのではないかと思います。
そしてまた2番目のことですが、これも有名なマザーテレサのお話ですが、聖体拝領という話です。聖体拝領って英語で言うとコミュニオンです。一つになるという意味なんです。有名なお話でマザーテレサがまだ若い頃、アジアの宗教者会議か何かがあって、各宗派の代表、キリスト教、仏教、ヒンズー教、イスラム教、神道、等々の代表者が集まって、この宗教者会議を何年かに一回集まっていると思いますが、最終日にゲストスピーカーとしてマザーテレサが招かれました。そこでマザーテレサが非常に短いお話しをしたのですが、マザーテレサは、わたしは一日に二回聖体拝領、コミュニオンをいただきました。一回は朝のミサで神父様からご聖体をいただきました。その後朝食を食べた後、街の中を巡っている時に死にかけた男性を見つけて、その男性を連れて、死を待つ人の家へ連れて行ったというわけです。体を綺麗に洗ってあげて、その男性がにっこり笑ってありがとう、と言ってそのまま亡くなっていきました。マザーテレサは、その時二度目のご聖体拝領をいただきました。二度目のコミュニオンをしました。その人の顔をその人を通してイエス様を頂いた。その亡くなっていく男性にありがとうと言った顔がとても美しかった。という話をされました。マザーテレサのこの二回の聖体拝領というエピソードですが、私たちは今全然できなくて、これから少しずつ聖体拝領ができるわけですが、先ほどの話しも同じですが、苦しんでいる人や困っている人の中にイエス様がおられて、その人を心から助けたり親切にしてあげることは、私たちクリスチャンにとって聖体拝領だということです。この聖体拝領を私たちは忘れてはいけない。これもステイホームだった時は、緊急事態宣言中は家に閉じこもって困っている人の所に行くとか具体的に助けるというのは非常に少なかったですが、今少しづつオープンになった今こそ、二回目の聖体拝領をすることができることになってきたわけです。教会に来ることも、ものすごく大事なので是非とも聖体拝領に来ていただきたいですが、マザーテレサのように二回目の聖体拝領ですね。困っている人や苦しんでいる人に心から親切に助けてあげることを通して、苦しんでいる人の中にいるイエス様を私たちはいただくことができるということです。この二つ目の聖体拝領の神秘を私たちは忘れてはいけないと思います。このキリストの聖体をお祝いしているこの日こそ様々な所にイエス様がおられて、私たちはイエス様を喜ばせることもできるし、イエス様の恵みをいただくことができる。わたしたちの親交の深さ、広さ、広がりを私たちが生きていけるように、共に祈りを捧げていきたいと思います+

第一朗読  申命記 8:2-3、14b-16a
(モーセは民に言った。)あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。
主はあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出し、炎の蛇とさそりのいる、水のない渇いた、広くて恐ろしい荒れ野を行かせ、硬い岩から水を湧き出させ、あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。

答唱詩編135:12.13.14.15.18.19
主をたたえよう。主はいつくしみ深く、そのあわれみは永遠。

エルサレムよ、神をほめたたえよ。
シオンよ、神をたたえよ。
神はおまえの門のかんぬきをかため、
その中に住む人を祝福される。

神は国ざかいに平和をもたらし、
よい麦でおまえを養われる。
神は地に向かっておおせになり、
そのことばはすばやく走る。

神はみことばをつかわしてこれを溶かし、
いぶきを送られると水が流れる。
神はみことばをヤコブに知らせ、
定めとおきてをイスラエルに告げられる。

第二朗読  コリントの信徒への手紙 一 10:16-17
(皆さん、)わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです十

 

 2020年 6 月 14日(日)
 キリストの聖体〈白〉A 年 
  カトリック麹町教会於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 福音朗読とおはなし