カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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10-25 隣人を自分のように愛しなさい

英神父 ミサ説教 聖イグナチオ教会 於

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マタイによる福音書 22:34-40(そのとき、)ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」十

 今日は幼児洗礼式ということで、小さな子供が御堂に何人もいるので、なんとなく気持ちも和やかになるように思います。日頃のイグナチオ教会の日曜日のミサは、ちょっと静かすぎるかなという感じです。だいたい日曜日のミサは子供が混じっているのが普通のことなので、今日は日曜日のミサらしい感じがしています。

今日の福音書で、イエス様が大切な掟を言うわけです。この掟はたった二つだけで「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」ということと、二番目は「隣人を自分のように愛しなさい」です。この二つの掟であるというわけです。やはりまず最初に神様を愛するといっていることを、わたしたちは心がけなければならないことではないかと思います。

日常生活でわたしたちは人間同士、家族、あるいは小さな子供だったら、やはりお父さんお母さんが世話をしなければならないということは、当たり前のことですけれども、その中で神様をまず愛するということを、それを心に忘れないようにしてくださったらいいのではないかと思います。

子育てで忙しい時に、毎日曜日に教会に来るのはちょっと難しいかもしれないし、日頃の生活の中で祈りの時間とか、聖書をゆっくり読むことも、もちろんなかなかできないでしょうけれども、神様がわたしたちを支えて守ってくださっているという気持ちを、忘れないでいただいたらいいのではないかなと思います。

いつも思うことの一つですが、神様の恵みを一番感じるのはどういう時か。わたしは結婚担当でもあるんですが、やはり夫婦の出会い、この人とパートナーとして巡り会って、結婚するというところに、神の強い恵みを感じます。男性と女性がこの人と一生を共にしていこうとする出会いと決意。そこに神の恵みを感じると共に、もう一つは、やはり子供が生まれるという事です。ここに神様の神秘。神様の特別な恵みを感じます。わたしたちはこの家族と生活を共に歩むことの中で、やはり神に守られている、導かれているということを、何か心の底で思い起こすようにしてくださったらいいのではないかと思います。

そしてみなさんの現実は、小さな子供を育てる。そこにも一番大切なものは、愛ということになると思うんです。これがなかなか難しいのではないかと思います。現代は忙しいし、共働きをされているカップルが多いと思うんですが、なかなか子供のケアが十分行き渡らない。ニコニコしたいと思っても、イライラがたまったり、忙しさとか疲れたとか、子供を十分に愛することができないということは、皆さんもしばしば感じられることかもしれない。

最近、知り合いのお母さんから、子育てをどうしたらいいですかとメールが来て、パニックでもうできませんという。人間が人間を愛するというのは限界があるということです。人間の最大の苦しみの一つは何かと言ったら、愛したいけれど、十分に愛せない無力さですか。子育てもそうでしょう。あるいは夫婦関係でもそうでしょう。本当は愛したいんだけれど、十分に愛せない。疲れとか怒りとか、ちゃんとやってくれないとか。パートナーが、子供が言うことを聞かないとか。様々な限界があるという。でもわたしたちはその限界、弱さをやはり認めなければならないでしょう。

そしてわたしたちの人間的な愛に限界があるからこそ、神様の支えが必要。子育てにおいても、あるいは家族が共に歩んでいく、あるいは夫婦が共に歩んでいく中でも、神様の助けがどれほど必要なのかということです。あるいは神様が守ってくださるからこそ、わたしたちの足らない愛を補ってくださっているという、信頼と祈りの中で歩んでいくんだと思います。

今日は10人の子供が、神の子供となるんですね。神様が育ててくださると思います。神様が導いてくださると思います。それを心の中で信じながら、祈りながら、これからも進んでくださったらいいのではないかなと思います。

そして神様の大きな守りの中で、夫婦の関係、親子の関係があると。その気持ちを大事にしていくことが、やはり子供自身の信仰が成長していく第一のことだと思います。小さな子供自身が、自分の力だけで生きてくのではなくて、やはり神様に支えられて、神の恵みの中で成長していけるという。それが神の子供となる最大の恵みと喜びでしょう。

この幼児洗礼式を通して、わたしたちの心を神様に向けましょう。そして足らないところを補ってくださるように、これから難しいことがあるかもしれない。それも神の恵みで乗り越えていけるように。そして小さな子供が神の子供として、神の恵みの中で、スクスクと成長していけるように、心を合わせて、みなさんと祈りを捧げたいと思います十

第一朗読  出エジプト記 22:20-26
(主は言われる。)寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。
寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに向かって叫ぶ場合は、わたしは必ずその叫びを聞く。そして、わたしの怒りは燃え上がり、あなたたちを剣で殺す。あなたたちの妻は寡婦となり、子供らは、孤児となる。
もし、あなたがわたしの民、あなたと共にいる貧しい者に金を貸す場合は、彼に対して高利貸しのようになってはならない。彼から利子を取ってはならない。もし、隣人の上着を質にとる場合には、日没までに返さねばならない。なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。わたしは憐れみ深いからである。

第二朗読  テサロニケの信徒への手紙 一 1:5c-10
(皆さん、)わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです十

 

2020年 10月 25 日(日)幼児洗礼式
 年間 第 30主日〈緑〉A年 
  カトリック麹町教会 主聖堂 於
   イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記