カトリック 英神父の説教集 ○キリスト教のおはなし○

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211212 喜びをもって主を迎える心の準備

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ルカによる福音書 3:10-18
(そのとき、群衆はヨハネに、)「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

  待降節のだいたい第2主日と第3主日は、洗礼者ヨハネの話しを朗読するようになっています。今日の朗読箇所の前の所で、洗礼者ヨハネは裁きがあるということを民衆に厳しく語りました。それでみんな驚いて「わたしたちはどうすればよいのですか」ということを洗礼者ヨハネに尋ねるところから、今日の福音の朗読が始まっているわけです。
悔い改めに相応しい生き方はどういうことかということですが、洗礼者ヨハネのいう、悔い改めの生き方は非常に単純なものと言えるでしょう。「下着を二枚持っているものは、一枚も持たないものに分けてやれ」下着といっても普段着ですけれど、下着二枚持っているものは一枚も持たないものに分けて、食べ物を持っているものも持っていないものに分け与えなさい、分かち合いなさい。愛の行いというか周りの人に親切にする、非常に単純なことを洗礼者ヨハネはすすめているわけです。何か厳しい断食とか徹夜のお祈りとか特別なことを洗礼者ヨハネは悔い改めているのではなくて、裁きを前にして愛の心を持っていきなさいという。非常に単純で、でも本当に大事なことを教えておられているように思います。
私たちは今、イエス様の誕生を待ち望む準備期間です。この準備の期間を「わたしたちはどうすればよいのですか」ともし聞くとしたら、同じようなこたえになるのではないかと思います。
もう3年前になりますけれども、ケルクマン神父様ですね、ここの教会の助任司祭だったのに突然亡くなられてしまいました。ケルクマン神父様の子供時代の待降節の過ごし方の話しを聞いたことがあって、彼は5人の男兄弟なんです。どんなに毎日プロレスばかりか、騒がしかったと思います。だいたいドイツの習慣だと思いますが、待降節に入ったら、一人ひとりが小さな飼い葉桶を作るという。厚紙でイエス様の誕生を迎える飼い葉桶を一人ひとり作って、厚紙だと冷たくて硬いので、赤ちゃんのイエス様がそこでゆっくり寝られるように藁を敷く。それがドイツ人の習慣みたいで、待降節の間、一日一ついいことをやったら自分の飼い葉桶に一本の藁を敷くことができるというんです。少しずつ藁を増やしていって、25日のイエス様の誕生を迎える時に温かい藁の上にイエス様が寝ることができるようにというわけです。
リーゼン・フーバー神父様からも聞いたことがある。神父様もドイツ人で子供の時に同じような習慣があったというんです。

でもケルクマン神父様に言わせると、都会に住んでいると藁は見つからない。藁の代わりに、ストローを代わりに敷くそうです。5人の兄弟とお父さんお母さんと、毎晩9時に晩の祈りを家族みんなで唱えるという習慣があって、その時にお父さんとお母さんと5人の子供に、今日はどういういいことをしたかと聞いて、その5人が今日こういうことをしたとか、おばあさんの荷物を持ってあげたとか、小さなことを言えば、それはよかったねと言って、ストローを渡してくれて、ストローを自分の飼い葉桶に敷く習慣があるというんです。
彼が言っていましたけれども、結局5人の兄弟は競争になるから、どっちがたくさんのストローを、兄弟喧嘩する人はもらえませんが、みんなで一生懸命競い合って小さな親切な事を考えて毎日一つずつする。でも最初は兄弟に勝つために一生懸命ストローを集めているんですけれども、だんだんと親切なことをすると自分も嬉しいし、荷物を持ってあげたおばあさんとかにも喜ばれる。だから自分も喜ぶし、相手の中にも喜びの気持ちが湧いてくる。最初はストロー集めだったけど、だんだんと親切にすることの中に喜びがもっと強く感じられるようになるというんです。
今日の主日は前も言いましたけれど、喜びを分かち合う日なんです。第二朗読の最初に「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」喜びはどこから来るかと言ったら、やはり互いに親切にし合う中でこそ、喜びが重なっておきてくるということは事実ではないかと思います。
なかなか毎日一つ親切にするというのは、なかなかチャンスがないのです。だから毎日一つするというのはそれほど簡単なことではないのです。私たちは決まった通りに行動していますから、そのチャンスはあるようで実はないのです。でもそれを私たちも喜びの主日を、本当の喜びを分かち合うために、あと2週間ぐらいに迫っていますけれども、毎日一つずつ小さな親切を行うことが、喜びをもって主を迎えるということの一番近道というか、一番確かな準備ではないかと思います。
だからケルクマン神父様は最後おっしゃっていたのは、飼い葉桶にストローがいっぱいになるよりも、自分の心に喜びがいっぱいになる。それでイエス様を迎えることができるクリスマスが本当の大きなクリスマス・プレゼントになるでしょう。小さな子供にとってはクリスマス・プレゼントをもらう事が一番の喜びというか、楽しみにしている人もいるでしょうけれども、 多分互いに親切にしあう喜びが、物をもらうよりももっと深い大きな本当のクリスマス・プレゼントをもらうことにつながるのではないかと思います。そのような気持ちで私たちは、喜びをもって主を迎える準備の心構えですね。

やはり愛の心を大切にして、実際に本当に小さなことで、道に捨ててあるゴミを拾うとか本当に小さな小さな、私たちは小さなことしかできないですけれども。小さな親切を積み重ねることによって、イエス様の誕生を心からの喜びを持って迎え入れることが出来るように、お互いのために祈り合いたいと思います+

 

 

 

第一朗読  ゼファニヤ書 3:14-17
娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。
娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。主はお前に対する裁きを退け お前の敵を追い払われた。
イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。
その日、人々はエルサレムに向かって言う。
「シオンよ、恐れるな 力なく手を垂れるな。お前の主なる神はお前のただ中におられ 勇士であって勝利を与えられる。
主はお前のゆえに喜び楽しみ 愛によってお前を新たにし お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」

第二朗読  フィリピの信徒への手紙 4:4-7
(皆さん、)主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。